A man wearing a beige shirt standing in front of a concrete wall.西村彬氏は日本に移住したあと、不動産業界を経て「A Cabin Company」を起業した。Provided by Mori Nishimura34歳の西村彬氏はニュージーランドで育ち、16歳で日本に移住した。大学卒業後は東京の不動産会社でキャリアを積んだ。そして2025年、移動式キャビンを使った自然体験型の宿泊ビジネスを手掛ける会社を日本で立ち上げた。

この記事は、日本で創業したA Cabin CompanyのCEOを務める西村彬(Mori Nishimura)氏へのインタビューをもとに再構成したエッセイだ。長さと読みやすさを考慮して編集している。

世界旅行に出たはずの私は、いつしか日本の田舎で「起業」していた。地域活性化事業で約700万円の収益を得ている | Business Insider Japan

世界旅行に出たはずの私は、いつしか日本の田舎で「起業」していた。地域活性化事業で約700万円の収益を得ている | Business Insider Japan

私は成長するにつれて、自分が何者なのか分からなくなっていった。

ニュージーランドで過ごした幼少期は、自分がどこに属しているのか疑問を抱くことなど一度もなかった。しかし歳を重ねるに従って、周囲の同年代の子どもたちとの違いを強く意識するようになった。そして、それが日本という国や、父が祖国である日本を離れる決断をした理由に対する好奇心をかき立てたのだ。

父がニュージーランドの首都オークランド(Auckland)に家族を連れてきたのは、日本の都会生活でのプレッシャーから遠ざけ、自然に囲まれた環境で私たち子どもを育てたいという思いからだった。

周囲に日本人家庭はほとんどなく、私はよく、2つの文化の狭間に立たされているような感覚を覚えていた。

16歳のとき、私は1人で日本に渡り、京都にある全寮制の高校に入学した。そこでの生活は、ニュージーランドとは何もかもが正反対だった。自由に外を歩き回れていた日々が一変し、突然「門限」という制約の中で生活することになった。

しかし、私はそこで初めて、周囲から「浮いた存在」ではないと感じることができた。クラスメートの3分の2は帰国子女(海外で育ち、日本に戻ってきた子どもたち)で、彼らは私の気持ちをよく理解してくれたからだ。

A man walking on a beach in Japan.西村氏は日本の田舎に魅力を感じるようになっていった。 Provided by Mori Nishimura田舎を旅して原点に返った

大学進学後、私は日本各地を旅して回るようになった。授業が始まる前の朝、車であちこちに出かけてはサーフィンを楽しんだ。そうするうちに、日本の田舎の風景に強く惹かれるようになっていった。

その風景は、ニュージーランドで過ごした子ども時代を思い起こさせた。よく家の近くの森に逃げ込んで、小屋を作って遊んでいたあの頃を。

2015年に大学を卒業すると、私はまたあの迷子のような感覚に戻っていた。ニュージーランドに帰ろうかとも考えた。しかし、東京にとどまって不動産会社で働く道を選んだ。

数年後、私はリンクトイン(LinkedIn)で日本の不動産市場や地方の暮らし、ホスピタリティなど、自分が興味を持っている話題について発信し始めた。そして最終的に、独立して起業することを決めた。

新型コロナウイルスのパンデミック中、私は日本の地方を旅しながら、自分は次に何をしたいのか考えた。そのなかでトレーラーのシャーシ(車台)の上に小さなキャビンを建てるアメリカの企業に出合い、日本でのビジネスチャンスを見出した。法的に「車両」として分類されるため、建築確認申請や用途地域規制をクリアしつつ、本格的な宿泊施設として運営できるからだ。

私はそのコンセプトを、日本の環境に合わせてアレンジすることにした。

Standing outside of a cabin from A Cabin Company in Japan.西村氏はリンクトインで小型キャビン建設について投稿し、注目を集めた。Provided by Mori Nishimuraゼロから会社を立ち上げる

2024年、私はそのアイデアをリンクトイン(LinkedIn )で発信した。当初は投資家から資金を集めることを狙っていたわけではない。しかし時間が経つに従って、私の投稿は「その事業に自分も関わりたい」と望む人々を引き寄せるようになっていった。

1年後、私がプレシード・ラウンド(起業の最初期段階)の資金調達を開始すると、複数の投資家から支援の申し出があった。現在の正社員2人もリンクトインを通じて出合った。リンクトインはチーム作りにも支援者のネットワーク構築にも、思いがけない力を発揮したのだ。

調達した資金で、2025年8月、東京都心から電車で約2時間の場所にある、千葉の南房総国定公園内に第1号キャビンをオープンした。

広さ16平米のキャビンは、日本の杉とヒノキで造られており、自然を一望できる大きなピクチャーウィンドウ(はめ殺しの窓)が空間の中心に据えられている。宿泊者には薪、コーヒー、お茶を無料で提供するほか、近くのスーパーまで買い出しに行けるよう自転車も用意している。このキャビンはオープンからわずか3カ月で満室となり、それ以来ずっと予約が埋まり続けている状態だ。

第2号キャビンは2026年5月にオープンし、9月には第3号が完成する予定だ。

A Cabin Company in Japan opened the first cabin in Chiba.西村氏は東京に隣接する千葉の国定公園内に第1号キャビンをオープンした。Provided by Mori Nishimura

キャビンはトレーラーの上に建てられているため、法律上は建物ではなく「車両」に分類される。

日本でスタートアップを経営するのは決して容易ではない。ほかの国と比べて企業を支援するエコシステムがまだ発展途上にあり、ベンチャーキャピタルの数も少なく、資金調達の選択肢が限られているからだ。

キャビンの宿泊料金は1泊2名で約3万円(約190ドル)。これまでのところ、宿泊者の約70%が女性だ。ひとり旅の男性が多いと想定していたが、実際はそうした男性客は一人もいない。これは予想外のことだった。

A bed in a room at A Cabin Company in Japan.これまでのところ、宿泊客の70%は女性だ。Provided by Mori Nishimura自分の名前に恥じない生き方をしたい

起業するとき、私は両親に何も言わなかった。言えば止められると思っていたからだ。両親はあとから知って驚いてはいたが、応援してくれた。

父は、私に最大のインスピレーションを与えてくれる存在だった。

いまから5年ほど前、父は日本に戻り、自分で小さなキャビンを建てられるような手頃な土地を田舎で探し始めた。しかし、末期の病と診断され、その夢が実現するのを見届けることなく、この世を去ってしまった。その経験が、会社を立ち上げるという私の使命感の源泉となっている。

父は、私に「彬(もり)」という名前をつけてくれた。日本語で「森」を意味する言葉と同じ響きを持っており、まるで、最初からこの仕事をするために生まれてきたかのように感じる。

A new cabin the woods in Japan.2号キャビンは2026年5月にオープンした。Provided by Mori Nishimura自然との関係を取り戻す

私の会社は自然をテーマにしているが、最近は宿泊客を案内するとき以外でなかなか自然に触れる機会を持てていない。週7日、休むことなく働いているからだ。

東京のような大都市で休息をとろうとしても、本当の意味で心身のスイッチをオフにすることはできない。機会さえあれば、焚き火やバーベキューを楽しみたいと思っているのだが。

自分のキャビンを満喫したい気持ちはある。でも、常に予約で満室のため、それを叶えられずにいる。

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