東京ステーションギャラリー(東京駅直結)で、「生誕130年 前田寛治 ポエジイとレアリスム」が7月4日から開催されます。

本展は、“洋画壇の若き闘将”として知られる洋画家・前田寛治まえだかんじの生誕130年と、彼が設立に加わった一九三〇年協会100周年を迎える2026年を機に開催される、18年ぶりの大回顧展です。密度の濃い制作をおこなった彼の画業の展開を追うとともに、一九三〇年協会の仲間たちによる出品作品も紹介し、前田芸術の意義を再検証します。本展では、前田寛治の作品を回顧するとともに、近代日本の若き洋画家たちが追い求め、築こうとしたものとは何だったのかが、あらためて問い直されます。

生誕130年 前田寛治 ポエジイとレアリスム 一九三〇年協会設立100年

会場:東京ステーションギャラリー(東京都千代田区丸の内1-9-1)

会期:2026年7月4日(土)~8月30日(日)
[前期:7/4(土)-8/2(日) 後期:8/4(火)-30(日)]
※会期中一部展示替えをします

開館時間:10:00-18:00(金曜日は20:00まで)
※入館は閉館30分前まで

休館日:月曜日(ただし7/20、8/10、8/24は開館)、7/21(火)

観覧料:一般 1,600円、高校・大学生 1,100円、中学生以下無料
※障がい者手帳等持参の方は、一般 1,100円、高校・大学生 900円
(ともに介添者1名は無料)
※当日券はオンラインチケットおよび美術館1階窓口で販売

アクセス:JR東京駅直結(丸の内北口改札前)

詳細は、東京ステーションギャラリー公式サイトまで。

洋画壇の若き闘将 前田寛治18年ぶりの回顧展

33歳でこの世を去った前田寛治(1896-1930)は、短い活動期間ながら日本の近代洋画界に大きな足跡を残した画家です。彼は、詩的感性と西洋絵画の伝統を踏まえた写実性の融合を追求しながら、多彩に芸術を花開かせました。

前田は1921(大正10)年に東京美術学校を卒業、同年帝展に《花と子供等》が入選し、翌年11月に渡仏、2年半ほど滞在します。近代以降のフランス絵画を冷静に見渡しながら、クールベ、アングル、マネらの仕事を研究し、自らの絵画と思想を確立しようとしました。また、友人であるマルクス主義理論家・福本和夫の影響による芸術論を打ち立て、労働者の姿を描くようにもなります。

1925年に帰国、帝展に出品した《J・C嬢の像》が特選となり、以降も特選を重ね、1929(昭和4)年に帝国美術院賞を受賞しました。また、1926年に一九三〇年協会をパリ時代の仲間とともに結成、前田はこの会の中心人物となって実験的な作品を発表しました。1928年には「前田写実研究所」をつくって後進への指導をおこない、美術雑誌への寄稿や講演などで絵画論を展開しながら、制作においてそれを実践し、詩的感性を発揮した深みのある作品を次々に生み出したのです。1930年に33歳という若さで亡くなりましたが、まさに時代の寵児であり、近代洋画史に名を刻むにふさわしい活躍ぶりでした。

前田寛治《花と子供等》 1921年 鳥取県立美術館
前田寛治の作品にみられるふたつのポイント
その1:ポエジイ

「ポエジイのない絵はだめだ!ポエジイ!ポエジイ!ポエジイ!」
—–東京美術学校時代のノートより

東京美術学校時代、前田寛治はノートに「絵は詩である」(1922年1月)と書きつけています。彼は画業の初期に、いい絵画にはポエジイがあることを発見しました。終生「ポエジイのない絵は駄目だ」「詩がなくなると絵は萎びる」と周囲に語っていたそうです。「描きつつ深まる」をモットーに、前田は自らの作品に詩を求めて制作を続けていたに違いありません。

前田寛治《物を喰ふ男》 1924年 鳥取県立美術館
その2:レアリスム

「私達は燃えるような生命の写実が必要である、如何なる絵画も此の生命の感動と優れた写実がなければだめである」
—–前田寛治「一九三〇年協会 第四回展公募に際して」「美之國」1928年12月号

前田寛治は日本近代美術史のなかで、現代社会を描くという意識を他に先んじてもち、描き続けた画家です。その結果《棟梁の家族》をはじめとした名作が誕生しました。前田は絵画論のなかで、写実の基本的な3要素は「質感」「量感」「実在感」を得ることだとしています。描く対象をただ忠実に再現する絵画ではなく、それを超えた表現を摸索し、表現しようとしたのです。

前田寛治《福本和夫像》 1927年 鳥取県立美術館
前田寛治《棟梁の家族》 1928年 鳥取県立美術館
「美は変る。そのことが真実なのである」

—–前田寛治「美は永遠だろうか?否」「美之國」1927年9月号

前田寛治《仰臥裸婦》 1925年 鳥取県立美術館

「来るべき時代の美の把握こそ青年達の生命を賭して獲なければならないもの」だと前田は考えていました。パリ留学最後の年には、《黒衣婦人像》や《仰臥裸婦》など、現地の人をモデルに留学期の集大成ともいえる作品を描いています。帰国後も日本人をモデルにして、それぞれ印象の異なる裸体画や婦人像を発表しました。彼のとどまらない制作意欲を表すかのような活躍ぶりだったのです。

前田寛治《黒衣婦人像》 1925年 東京国立近代美術館
前田寛治の仲間たち、一九三〇年協会出品作品も紹介

前田は、一緒にパリの空気を吸った4人の若き画家仲間である里見勝蔵、小島善太郎、佐伯祐三、木下孝則とともに、日本における新しい油彩画の創造を目指す美術団体「一九三〇年協会」を1926年に設立しました。同協会は、1930年の前田の死とともに独立美術協会へと移行していきましたが、当時の旧態依然とした画風が蔓延する帝展や二科展に対抗する新しい時代の勢力として注目を集めました、日本近代洋画史を語るうえで欠かせないグループであったと言えるでしょう。

前田寛治《C嬢》 1926年 個人蔵
前田寛治《子供の顔[棟一郎]》 1930年 個人蔵
佐伯祐三《広告(アン・ジュノ)》 1927年 大阪中之島美術館
前田寛治《赤い風景》 1923年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館

わずか33年という短い生涯を駆け抜けながら、日本の洋画界に鮮烈な光を残した前田寛治。彼の代名詞ともいえる「ポエジイ(詩情)」と「レアリスム(写実)」が、どのように呼応し、深化していったのか。本展では、重要文化財級の名作から、パリ時代の仲間たちとの競演まで、彼の画業を多角的に見つめ直します。時代に抗い、理想の美を追い求めた若き画家たちの熱量を18年ぶりとなるこの貴重な大回顧展で存分に体感してみてください。(美術展ナビ)

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