東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが、4月27日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演。台湾の食文化を変えた福岡県出身の農業技師・末永仁(すえなが・めぐむ)の功績について紹介しました。
蓬莱米命名100周年の田植えイベント
きょうは、日本と台湾を結ぶ「ある農産品」のお話です。その農産品が品種改良されて、ちょうど1世紀=100年を迎えました。そして、そこには福岡県出身者が大きな貢献をしていました。それは、日本人も台湾人も、そしてアジアの多くの国の人たちが日々口にする食べ物「コメ」の話です。
日本の農水省に相当する台湾農業部は4月22日、「蓬莱米」の命名100周年を記念するイベントを台北郊外で開き、日本人と台湾人が共に田植えを行ないました。日本の台湾統治時代に日本人農業技師によって品種改良され生まれた蓬莱米は、今日、台湾市民の食生活の中心となっています。
「蓬莱」とは、古代中国から伝わる伝説の島のことです。「中国大陸の東に、不老不死の仙人が住む島がある」とされ、中国大陸の東の島であることから、まさに台湾を指し、台湾の別称となりました。その台湾で品種改良され、生まれたコメを蓬莱米と名付けたわけです。先週開かれた100周年記念イベントでは、子供たちも参加して蓬莱米の苗の田植えが行われました。福岡では田植えシーズンはもう少し先ですが、台湾ではもう始まっています。
開発に携わった福岡県出身の農業技師・末永仁
この蓬莱米の開発に携わった日本人が、末永仁です。福岡県の旧筑紫郡大野村生まれ、現在の大野城市の出身です。福岡県の農業試験場に勤めたのち、台湾に渡りました。当時、台湾では農業技術者が不足していたためです。
末永は結婚して間もない妻を病気で失っていました。幼い我が子を大野村の親に預け、独り日本を離れたのは1910年(明治43年)のことです。妻を亡くし、失意の底にあった末永にとって、台湾行きを決意したのは、人生の再出発という思いもあったとされています。
パサパサのインディカ米から、粘り気のあるうるち米へ
当時の台湾では、主に長粒種であるインディカ米が栽培されていました。タイ米とも呼ばれ、東南アジアや南西アジアで今日も栽培されている、粒が長く水分を吸いにくくパサパサしている品種です。
一方、日本人が好むのは、粘り気のある「うるち米(粒の短いジャポニカ米)」です。ただ、日本から持ち込んだうるち米は、台湾のような気温が高いエリアでの栽培には適しませんでした。そこで、台湾でも生育できるうるち米の開発に努めたのが末永仁でした。失敗を重ねた末、日本産のうるち米と台湾のインディカ米を交配し、台湾の気候に適合するコメの品種を作り上げました。
台湾で生産できるようになった、いろいろな種類のうるち米の総称が「蓬莱米」です。今からちょうど100年前の1926年、当時の行政のトップであった台湾総督がそう名付けました。
台湾の「弁当文化」と「駅弁」を支える
コメを使ったものとして、台湾には今も日本と同じ「弁当文化」があります。例えば、いろいろな惣菜から好きなおかずを選び、ごはんと一緒に詰めてテイクアウトできる弁当屋があちこちにあります。また、鉄道に乗ると駅弁もあります。これも日本と同じように、台湾各地にご当地駅弁や名物駅弁があります。
街角の弁当屋でも、駅弁でも、もちろん家庭の食卓でも、今日台湾の人たちが食べるのは、ほとんどがうるち米です。末永が生み出したコメがその後も品種改良を重ね、今日の台湾食文化を根底から支えているわけです。末永仁は、台湾の農家、そして台湾の人々にとって恩人と言えるでしょう。
水田で倒れた末永と、今日の台湾産米
末永は1939年(昭和14年)、台湾で亡くなりました。53歳でした。職場である水田で倒れたといいます。台湾に渡って30年近くが経っていました。台湾で行われた葬儀には、末永を慕う農民らが数多く駆け付け、その死を悼みました。
話を4月22日に開かれた蓬莱米命名100周年の記念行事に戻します。このイベントには末永のひ孫にあたる男性も招待され、参加しました。また、出席した台湾農業部の次官(副大臣)が、驚くべきことを語っています。
「昨年、日本に向けて輸出した台湾産のコメは1万2500トンでした。例年の3倍から4倍でした。そして今年は3月末までの3カ月で4500トンに達しており、昨年を上回るペースです」
「令和の米騒動」と言われ、コメ不足が叫ばれたのが昨年(2025年)でした。その影響で台湾からのコメの輸入が増えたのでしょう。これは、台湾産のコメの品質の高さ、美味しさ、そして安全性の証明でもあります。
忘れてはならない歴史の背景
末永の功績は非常に大きいものです。ただ、忘れてはいけないこともあります。当時の日本がなぜ、台湾で日本人が好むうるち米の品種改良を急いだのか、という背景です。
日本では人口が急増し、食糧不足が顕著になっていました。だから、植民地だった台湾で食糧を生産する、中でも日本人の口に合うコメを生産し、それを「内地」と呼ばれた日本本土へ送り込むという大命題があったのです。つまり、「植民地・台湾は日本本土の食糧基地だった」という事実です。
末永らが開発したうるち米は台湾の人たちの食文化になり、台湾の農民が潤う結果をもたらしましたが、敗戦まで半世紀も続いた、日本による台湾支配という歴史の側面もしっかりと押さえておく必要があります。
今も「末永仁に会える」場所
末永仁が亡くなって90年近くになりますが、今でも私たちは「末永仁に会える」場所があります。
末永は台湾に渡る前、福岡県の農業試験場に勤めていました。その試験場は現在の福岡県農林業総合試験場として筑紫野市にあります。その試験場の資料館に、末永の胸像が置かれているのです。これは、台湾の実業家が寄贈したもので、日本と台湾の友好・友情を示しています。機会があれば、ぜひ見学に行ってみてください。
台湾でコメの品種改良に生涯をささげた末永仁。彼が生み出した「蓬莱米」といううるち米の命名から100年を迎えました。日本が台湾を植民地支配した時代の出来事とはいえ、農業技術者だった末永は、自らの知識と経験、そして情熱を純粋に品種改良のために注ぎ込んだのでしょう。福岡県に住む一人として、郷土の先人の功績を改めて讃えたいと思います。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。
田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、橋本由紀、飯田和郎
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