【写真を見る】極貧から東大首席、世界企業へ 関東大震災直後の東京を救った「能登の殿様」

技術者、実業家、文化人の顔を持つ畠山一清、その足跡をMROアーカイブ映像を交えて取材しました。

畠山一清は、明治14(1881)年、石川県金沢市長町で生まれました。極貧の生活を送る逆境にありながら、不屈の精神で学び続け、義兄の援助を受けて、東京帝国大学(現在の東京大学)機械工学科を首席で卒業しました。

彼がその知識と情熱を注いだのが、当時まだ輸入品に頼りきっていたうずまきポンプの国産化でした。ポンプ技術の権威であった井口在屋(いのくち・ありや)博士の理論を実用化すべく、博士と共に大正元(1912)年に「ゐのくち式機械設計事務所」を創設。これが、後に世界的なポンプメーカー「荏原製作所」へと発展する第一歩となりました。

彼の掲げた「熱と誠」という理念は、最高品質の製品を世に送り出すという固い決意の表れであり、日本のものづくり精神の原点とも言えるものです。

■東京を救った「メイド・イン・ジャパン」の底力

畠山一清と彼が育てた国産ポンプの真価が世に示された決定的瞬間は、大正12(1923)年の関東大震災でした。壊滅的な被害を受けた東京で、水道網の復旧は市民の命を繋ぐ最優先課題でした。

壊滅的な被害を受けた東京で、水道網の復旧は市民の命を繋ぐ最優先課題。この時、東京市に納入されたばかりのポンプが、未曾有の混乱の中で稼働に成功。

不眠不休の応急工事を経て、驚異的な速さで通水を再開させ、国内外から絶大な賞賛を浴びました。かかった時間は1日〜1日半とも言われています。

■数寄者「畠山即翁」美への探求心

産業界で頂点を極めた一清は、一方で日本の伝統文化、特に茶の湯の世界に深く傾倒し、「即翁(そくおう)」という号を持つ近代屈指の数寄者としてもその名を知られています。

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