ものの創造されてゆく秘密の不思議さと、歴史をかさねて堆積されたものの重々しさを感じさせた――――火野葦平(1951年)有田焼の初期を代表する窯だった「天狗谷窯跡」。階段状に連なるように造られた登り窯の遺跡は、日差しが当たると鮮やかな赤色を見せた有田焼の初期を代表する窯だった「天狗谷窯跡」。階段状に連なるように造られた登り窯の遺跡は、日差しが当たると鮮やかな赤色を見せた

 特急電車がJR有田駅に近づくと、車窓から古びた煙突がいくつも見えてくる。かつて有田焼の窯元が使っていたものだ。佐賀県の有田を初めて訪れた作家の火野葦平もそんな風景を見て、多くの窯元を訪ねた。

愛した釣り 嘆きの雨…湯河原町(神奈川県)


 職人が土をこね、
釉薬(ゆうやく)
をかけ、あるいは絵を描き、彩色し、焼く過程を見たことで、〈ものの創造されてゆく秘密の不思議さと、歴史をかさねて
堆積(たいせき)
されたものの重々しさを感じさせた〉と随筆の中で回想する。

 有田町で明治初期から製造販売を続ける「
香蘭(こうらん)
社」の深川祐次社長(66)は「有田焼は昔から各工程で分業が進み、それぞれに優れた職人がいる。それもまた有田焼の魅力と感じたのでしょう」と心情を推し量る。
 火野は素焼きした器に自身で絵を描いた。焼き上がると意外な出来栄えで〈色の秘密といふものは、なかなか深刻なものに思はれた〉とさらに興味を深めた。
 有田焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に肥前の領主、鍋島氏が現地から連れ帰った陶工の李参平(金ヶ江三兵衛)が1616年に有田の
泉山(いずみやま)
で白磁鉱を発見、日本最初の磁器を焼いたのが始まりと伝わる。
陶山神社では磁器の鳥居が参拝客を迎え入れる陶山神社では磁器の鳥居が参拝客を迎え入れる 地元では定説だが、県立九州陶磁文化館の鈴田由紀夫館長(71)は「白磁鉱をいつ誰が発見したのか実はよく分かっていない。伝説で彩られた部分もありますね」と苦笑する。 ただ、有田の自然から生まれたのは事実だ。 薪となるアカマツの林があり、近くを流れる川は白磁鉱を小さく砕くための水車に利用された。山の斜面もうまく利用し、小さな窯をいくつも階段状につなげ、下から上に向けて効率的に焼く登り窯で大量生産にも成功した。
 町内には江戸初期に造られた登り窯が李参平ゆかりの国史跡「
天狗谷(てんぐだに)
窯跡」として残る。斜面の長さ50メートル以上、幅3~8メートルもある遺跡だ。
 乳白色の地肌に赤、青、緑などで彩色した絵画のような柿右衛門様式は江戸期の欧州で好まれ、青みがかった白い地肌に精密な文様を施した鍋島様式は幕府や大名への献上品となった。現在の生産品は安価な器からタイル、絶縁体まで様々。 「人々が求めるものに応じてきたからこそ有田焼は400年続いてきたのでしょう」。壮大な登り窯跡を見上げながら、鈴田館長の言葉を思い出した。◇
 
火野葦平
(ひの・あしへい)

 1906~60年。北九州市生まれ。中国戦線に従軍中の38年、「
糞(ふん)尿(にょう)譚(たん)
」で第6回芥川賞を受賞。「麦と兵隊」などで流行作家となり、「花と龍」「革命前後」などを発表。今回の言葉は51年の「別冊文芸春秋」23号の寄稿「いろ」から。

 有田焼は江戸期、すぐ近くの伊万里港から長崎を経由し、欧州など世界各地に輸出されたため、「伊万里焼」などと呼ばれた。有田町には今も100軒ほどの窯元があり、老舗の柿右衛門、今右衛門、源右衛門は人気が高い。

 文・西條耕一

 写真・中村光一
焼き物の町 名水の恵み
 火野葦平を見習い、有田焼の窯元を見て回った。有田町で古伊万里などアンティークの店を経営する
椋露地(むくろじ)
淳市さん(67)に紹介された「しん窯」は大手ではないが、いくつにもわたる工程を外注せず、自社で基本的にまかない、「
青花(せいか)
」ブランドの独自の器を作る。
有田焼の工房では工程が細かく分かれ、それぞれの職人が黙々と自分の仕事をこなしていく(しん窯で)有田焼の工房では工程が細かく分かれ、それぞれの職人が黙々と自分の仕事をこなしていく(しん窯で)
 今も工房に女性の職人が多いのは、「
濃(だ)
み」と呼ばれる伝統的な染め付け技法は昔から女性が担っているからだ。
 専用の大きな筆で顔料を塗り込むにはかなりの集中力が必要だと思い、記者は離れた所で見ていたが、梶原茂弘社長(79)が構わず「はかどってるか」と声をかけると、女性の職人は少し手を止めて「はい」と普通に答える。太い筆に顔料を含ませて塗る「濃(だ)み」の作業は女性が担っている(しん窯で)太い筆に顔料を含ませて塗る「濃(だ)み」の作業は女性が担っている(しん窯で) 色つけがずれることもなく、繊細な作業を次々にこなしてゆく。経験を積んだ職人の技術の高さに目を見張った。
 顔料はかつて中国大陸産の
呉須(ごす)
を使っていたが、今では中央アフリカ産に変わった。「いいものがあれば世界中から取り寄せますよ」と梶原社長は胸を張る。
 前日に訪ねた百田陶園は「1616/arita japan」ブランドで、海外の28の国と地域に輸出しているという。 「世界が平和だから有田焼の仕事をさせてもらえるんです」。梶原さんは力を込める。九州の山間部の小さな町で、世界を見据える人がいかに多いことか。認識を改めた。
 焼き物の町は名水の里でもある。竜門峡渓谷の水は「名水百選」に入っている。椋露地さんの車で近くを通ると、道路沿いの岩盤から水が湧き出ていた。清らかな軟水を飲食店の人たちがポリタンクで
汲(く)
みに来ていた。
名水の里で知られる竜門峡の滝名水の里で知られる竜門峡の滝 昼時でもあり、竜門ダム近くの「龍水亭」へ。仕入れたコイを湧水を利用した池に放ち、1週間余り泳がせるうちに味が良くなるという。
 有田焼の皿に盛られたコイのあらいを自家製の辛みそでいただく。臭みなど全くなく、清涼感を感じる。
女将(おかみ)
の徳永マスミさん(73)は「有田の自然の恵みです」と笑った。
 ●ルート 羽田から福岡空港まで2時間弱。市営地下鉄の福岡空港駅からJR博多駅を経由し特急で有田駅まで約2時間。羽田から佐賀空港便も利用できる。 ●問い合わせ 有田観光協会=(電)0955・43・2121 九州陶磁文化館=(電)0955・43・3681[味]ビール・ご飯に合う唐揚げ 有田町で注目されている銘柄鶏が「ありたどり」だ。同町で食鳥肉の加工・販売をする企業「ありた」が1993年から販売。現在は佐賀、長崎県の計15農場で飼育する。主に植物原料の飼料で育てることで臭みがなく、柔らかな肉質になるという。 テイクアウト専用の店舗「から揚げドンドン」は有田町などに計10店ある。池田憲正社長(61)は「鮮度のいい鶏を使っており、子供からお年寄りまで幅広い年齢層に人気です」と話す。 有田本店の店舗((電)0955・46・4660)で買い求めた「しょうゆから揚げ」(100グラム270円)=写真=をホテルに持ち帰って食べてみた。ジューシーでビールにもご飯にも合う。値段は店舗や唐揚げの種類によって変わる。ひとこと…おしゃれな陶器店 有田焼の専門店が集まる「アリタセラ」では20店ほどが展示即売をしている。 その一つが「1616/arita japan」ブランドを展開する百田陶園だ。フランスやオランダのデザイナーによる有田焼の食器がショールームのような空間に展示されていた。カフェも併設、陶器店のイメージが覆された。

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