和菓子職人 名主川千恵さん 和と洋、伝統と新しさ。それぞれを兼ね備えた和菓子の世界を独特の言葉で広げていくところに、名主川千恵のスタイルがある。

「都をどりの花かんざし」…桜と柳、初演から不変

 例えば看板商品の「アントニオとララ」。茶色と黄色の丸い餡にハーブや花がちりばめられた生菓子は、森鴎外が翻訳したアンデルセンの「即興詩人」の登場人物からとった。詩人アントニオがたどった人生の苦みは焦がしキャラメル餡、妻となるララの情熱的な人生は甘酸っぱいマンゴーの餡で表現。説明文を添え、和と異国情緒が混じり合うイメージに導く。「和菓子が食卓に並ぶささやかな幸せ」が続くよう願いを込める(京都市下京区で)=川崎公太撮影「和菓子が食卓に並ぶささやかな幸せ」が続くよう願いを込める(京都市下京区で)=川崎公太撮影森鴎外が翻訳した「即興詩人」にちなむ「アントニオとララ」森鴎外が翻訳した「即興詩人」にちなむ「アントニオとララ」 個性的な菓銘は物語の主人公にとどまらない。「たゆたふ」、「木漏れ日」、「乙女の唄」――。季節に応じて並ぶ和菓子を手に反芻すると、香りや味に深みが出てくる感覚にもとらわれる。「言葉は、お菓子のイメージ、奥行きに直結する欠かせないもの。共有することで、情緒、文化を知ってもらえる」と柔らかな口調で語る。菓銘「たゆたふ」。淡く色づけした練り切りで春風に舞う紙風船を表した菓銘「たゆたふ」。淡く色づけした練り切りで春風に舞う紙風船を表した「木漏れ日」。ういろうに映し出される若葉を太陽の光が包むよう「木漏れ日」。ういろうに映し出される若葉を太陽の光が包むようスミレをイメージした「乙女の唄」スミレをイメージした「乙女の唄」手渡されたおはぎ、人生変えた 大学4年の秋、人生を変える出会いがあった。伝統行事をテーマにした卒業論文の調査で訪れた鹿児島県でのこと。顔見知りになった高齢女性から別れ際に大きなおはぎを手渡された。帰りの列車で頬張ると、粒あんが口の中でほどけ、甘みが広がった。「どこか懐かしくて、ほっとした。一期一会、そんな瞬間に立ち会えた」 知識はなかったが、迷いもなかった。卒業後に京都市の製菓学校に入り、入学式翌日には1831年創業の「長久堂」(京都市北区)のアルバイトに応募。昼は工場長だった村上俊一(故人)から和菓子のイロハを学び、夜は学校に通った。 「それまで『これをやりたい』という明確な希望がなかったから、『こんなこともできるんだ』という感動の連続だった」と懐かしむ。 季節を感じさせるための意匠には驚かされた。干菓子は季節ごとに数十種類の木型を使い、生菓子は夕暮れの空のように境目のない繊細な色遣いを出すため、指で色の濃淡を操る。中でも村上が付ける「吟遊詩人」「沈思」といった菓銘へのこだわりに強くひかれた。 1年、また1年と続けるうちに、気づけば15年。かつての同僚は「真面目に技を磨き、伝統を忠実に再現できる丁寧さを持っていた」と話す。和菓子作りに使う木型和菓子作りに使う木型 2020年5月に独立。堀川五条(京都市下京区)に「菓子屋のな」を構えた。店名に「菓子屋」と冠したのは、「親しみやすく、枠にとらわれず、コーヒーや紅茶にも合う普段のお菓子として楽しんでもらいたい」との思いからだった。思い込み脱し、自由に 茶の湯と発展してきた和菓子は、主に米粉や小豆などを使い、形や色合いから四季の移ろいを表現する。名主川は、そこに旬の果物やハーブを使うことで味覚、印象的な菓銘を添えることで想像力に訴える。
 このスタイルに行き着いたのは、元イタリア料理人の夫の勧めから。それまで茶席で出される抹茶を邪魔しないような味や食感を心がけていただけに、当初はぶつかった。だが、和菓子が中国や西洋の文化を取り入れて発展してきたことを知り、「限られた場のものと思い込んでいたのは、私の方だった」と
腑(ふ)
に落ちた。
 「常に最新のおいしさを追求したい」と自由に創作する分、「何も知らなかった自分が感動したものを残したい」と、京都で紡がれてきた技術や文化も大切にしている。 「伝統を知ってもらうための入り口として、気軽に手にできるものでありたい」。和菓子の奥深さへいざなうため、技と言葉を丹念に練り込んでいく。(敬称略、相間美菜子)
 
読売新聞オンラインでは、名主川さんの動画を公開しています。#kyoto特集へ

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