42人が死亡した1991年の信楽高原鉄道事故で、現場近くにある
法性寺(ほっしょうじ)
の住職、樋田法弘さん(47)が、10年以上前から命日に追悼法要を行ってきた亡き父の後を継ぎ、犠牲者を悼む。遺族は高齢化が進み、近年は出席者も少ない。樋田さんは「『事故を風化させてはならない』という遺族の思いを伝えたい」と話す。14日で事故から33年となる。(大津支局 西村歩)
「事故を風化させないため、法要を続けていきたい」と話す樋田さん(9日、滋賀県甲賀市で)「事故を風化させないため、法要を続けていきたい」と話す樋田さん(9日、滋賀県甲賀市で)信楽高原鉄道で正面衝突し、大きく盛り上がった車両(1991年5月14日、本社ヘリから)信楽高原鉄道で正面衝突し、大きく盛り上がった車両(1991年5月14日、本社ヘリから)

 91年5月14日。中学生だった樋田さんは、信楽高原鉄道で通学していた。事故で不通となり、約10キロ離れた自宅まで歩いて下校する際、正面衝突して線路上で山のように盛り上がった列車を目にした。 車内に閉じ込められた乗客を助け出そうとする救急隊員や警察官らで現場が騒然としていたことをはっきりと覚えている。 僧侶で、滋賀県信楽町(現・甲賀市)職員だった父・善弘さん(2022年に76歳で死去)は、遺体安置所の体育館に身元確認に訪れる遺族への対応に当たった。車両に圧迫された遺体は黒く腫れ上がり、あまりの悲惨さに正視できない状況だったという。 別の寺から引き継ぐ形で、10年以上前から追悼法要を行ってきた父に、遺族らは、法要をいつまでも続けてほしいとの思いを訴えていた。 事故で妻を亡くし、遺族らで結成した鉄道安全推進会議(TASK)の会長を務めた吉崎俊三さん(18年に84歳で死去)は法要で、父に「亡くなった人をしっかり供養するという思いを忘れないでほしい」と語ったという。樋田さんは、そのことを父から繰り返し聞いた。 父が22年に体調を崩して亡くなり、樋田さんは、昨年の追悼法要を取り仕切り、慰霊碑の前で犠牲者42人の名前を読み上げた。近年、遺族の出席は数人で、すでに亡くなった人も多い。今年の14日も、信楽高原鉄道やJR西日本の幹部らが参列する法要で読経する。
 樋田さんは「突然、大切な家族を失い、
看(み)
取ることすらできなかった家族の無念を精いっぱい受け止め、鉄道関係者が、このような事故を二度と起こしてはならないと思いを新たにし、安全について考える機会にしてほしい」と話している。
◆信楽高原鉄道事故=
1991年5月14日午前10時35分頃、滋賀県信楽町(現・甲賀市)の信楽高原鉄道(SKR)貴生川(きぶかわ)―紫香楽宮跡(しがらきぐうし)駅間で、SKRの車両(4両)と、直通していたJR西日本の車両(3両)が正面衝突し、42人が死亡、600人以上が重軽傷を負った。SKRの当時の運転主任ら3人が業務上過失致死傷罪などに問われ、1審で有罪が確定した。

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