宏一さんの友人からのメッセージが届いた携帯電話を見つめる恵さん(18日、兵庫県三田市で)=加藤あかね撮影宏一さんの友人からのメッセージが届いた携帯電話を見つめる恵さん(18日、兵庫県三田市で)=加藤あかね撮影

 2005年のJR福知山線脱線事故で命を落とした乗客106人の中に、19歳の大学生の男性がいた。25日で事故から19年。男性が生きたのと同じ長さの時間が流れ、今年の命日を、母親は特別な思いで受け止める。事故後も契約を更新し、友人との縁をつないできた男性の携帯電話を解約し、服も一部を処分した。思い出の品に一つずつ別れを告げ、新たな一歩を踏み出そうとしている。(阪神支局 加藤あかね)亡くなった小前宏一さん=恵さん提供亡くなった小前宏一さん=恵さん提供
 亡くなったのは、大阪教育大の2年生だった
小前(こまえ)
宏一さん(当時19歳)。通学のため、先頭車両に乗車し、帰らぬ人となった。
 母親の恵さん(68)(兵庫県三田市)は絞り出すように語る。「事故を挟んで19年、人生を折り返した。宏一が生きていた19年は楽しくて長い時間だったが、事故後は、何もない時間が過ぎていく19年だった」◎ 事故の翌日だった。宏一さんのズボンのポケットに入っていたとみられる携帯電話はほぼ無傷で戻って来た。電源を入れてみた。安否がわからない間、恵さんは、心配で何度も宏一さんに電話をかけていたが、自分からの着信履歴は画面になかった。電車に乗る時、電源を切っていた宏一さんの律義な性格を思い出した。事故の2年後に届いた、友人から宏一さんへの誕生祝いのメッセージ(画像は一部修整しています) ▼事故の2年後に届いた、友人から宏一さんへの誕生祝いのメッセージ(画像は一部修整しています) ▼ そんな中、宏一さんを案じる友人たちからのメールが約50通届いていた。事故後も友人からのメッセージは携帯電話に届き続けた。 <小前ちゃん 21歳の誕生日おめでとう!最近やっと春らしくなったよ。そろそろ桜の時期やで>(2007年3月24日) <内定!!!>(08年5月30日) 事故などなかったかのように、誕生日の祝福や進路決定の報告が入ってきた。その度、「宏一のことを覚えていてくれてありがとう」と恵さんは感謝し、友人たちの心遣いにずっと励まされてきた。 「解約せず、ずっと置いておきたい」。事情で一度機種変更したが、当時の携帯電話も一緒に充電しながら大切に保管してきた。◎ 体重2200グラムの未熟児で生まれ、保育器で育った宏一さん。四つ違いの姉の頃と比べてもずっと小さく、「みんなの中に入って、ちゃんとやっていけるのかな」と気をもんだ。よく熱を出し、自転車で転んで骨折したこともあった。 優しい性格で、小学生でサッカーを始めると、友人が次々増え、学校やアルバイトなどで充実した日々を送っていた。
 そんな宏一さんと毎日のようにメールしていたことが思い出され、恵さんも、携帯電話にメッセージを送ったことがある。4年前の宏一さんの誕生日だ。「34歳お誕生日おめでとう そちらでは(天国にいる)二人のお
爺(じい)
ちゃんとも会えてますか!?(愛犬の)夢ちゃんももうすぐ16歳です」
 遺品の一つ一つが思い出で「ずっと処分できない」と思ってきた。事故から19年が近づき、「私たちの中で大事に記憶しておけばいい」と整理を始めた。
 宏一さんの友人とのつながりの証しとして残してきた携帯電話。思いきって解約した。打ち込んでいたサッカーの練習着や五月人形も寺院でお
焚(た)
き上げした。
 生きていれば38歳。その姿は、もう想像もできない。「宏一は19歳のまま。携帯電話が、宏一の友達と私をつないでくれてきたが、解約して手元に置いておくだけでいいかなと思えるようになった。宏一も『おかん、いいよ。もう片付けてえな』と背中を押してくれているんじゃないかな」。時間がかかってもいい。一歩ずつ進んでいく。

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