「世界一になる!」力強く宣言する “みちのく”岩手初のプロテニスプレーヤー・菊地裕太(以下、菊地)。
故郷・岩手県への想い、これまでの苦しみや葛藤、そして見据える未来についてお話を伺うと、菊地選手の持つハートの“強さ”と“熱さ”が浮かび上がってきます。「同じ夢を見ることができる存在」と話す、所属先のみちのくコカ・コーラボトリングへの想いも合わせて伺いました。

家族の影響でテニスの道へ|岩手県の冬の厳しさと上級生に揉まれた成長期
ーー岩手県矢巾町に生まれた菊地選手。どのようなきっかけでテニスを始めたのですか?
菊地)母と兄が先にテニスをしていて、「楽しそうだな」と思いながら見ていたのがテニスに関する最初の記憶です。子どもながらに「あのなかに混ざりたい」という想いがあり、5歳から僕もテニスを始めるようになりました。
ーー4歳上のお兄さんと比べられる場面も多かったのではないですか?
菊地)兄は常に自分の前を走っていて、比べられるというか、ずっと追いかけているような感じでしたね。兄のボールを返せずに悔しい想いもたくさんしましたし、「負けたくない。もっと上手くなりたい!」と思わせてくれる特別な存在でした。
兄だけでなく、僕の通っていたスクールは上級生が多かったので、常に3つか4つ上の選手と一緒に練習していました。全然敵わなかったのですが、今考えると“上手くなれる環境”だったと思います。
ーー負けず嫌いだったんですね、とくにきっかけとなった試合はありますか。
菊地)忘れもしない、小学校1年生のときの大会ですね。上級生と練習していたこともあり、決勝まで危なげなく勝ち上がったのですが、決勝は接戦の末、同い年の選手に負けてしまいました。今でもその負けたときのシーンを思い出せるくらい、悔しい思い出であり、自分が“上手くなりたい”と思い続けられている原点ですね。
ーー“インターハイ三冠”などの菊地選手のプロフィールを見ると、「常に勝ち続けてきた人なのかな?」とも思ってしまっていました。そんな岩手でのたくさんの悔しい想いがプロテニスプレーヤー菊地裕太を創り上げていったのですね。
幼少期の菊地選手
世界一を目指して|兵庫県・相生学院高校への進学と三冠までの道のり
ーー岩手県は、 “雪国”でもあり、冬場はテニスをする環境が整っているとは言えません。そうしたことも、兵庫県の相生学院高校に進学した理由なのでしょうか?
菊地)もともとは県内の高校に進学しようと考えていました。ただ、やはり冬はまず雪かきからスタートする過酷な環境です。そのおかげで、メンタルの部分や短い時間での練習を工夫する力など、得られたものがあるのも事実ですが、練習量という意味ではなかなか追いつきません。
ーー地元を出ていくことに抵抗はありませんでしたか?
菊地)もちろんありました。高校生の間に『いわて国体』の開催が決まっていたこともあり、「岩手代表として、優勝したい」という想いは僕の中でもとても強く持っていました。
しかし、相生学院の先生から「菊地は世界に通ずるステップを持っている、君のことを世界一にする」と誘われ、自分の中での目標が、高校日本一やプロになることから、明確に“世界一”に変わりました。思い切った決断でしたが、“世界に挑戦する環境”を求めて相生学院に進学しました。
ーー実際に進学した相生学院で見た“世界”はいかがでしたか?
菊地)1つ上にアメリカから帰ってきた選手がいたり、世界レベルのジュニア大会にエントリーしている人もいて、より世界をリアルに感じられる環境でした。
ただ、本当に練習量はすごかったです。僕も諦めの悪い性格なので、「まだやれます」と言いながら限界まで練習していましたし、東北と異なる夏の暑さにも苦しみながらもなんとか頑張りました。その結果、自分の思い描いていたテニスに技術が追いつき、精神的にもタフさを身につけ、勝てる力が備わっていきました。世界への夢が着実に現実に近づいていると実感していました。
ーー3年時にはインターハイでシングルス、ダブルス、団体で優勝と三冠を達成、名実ともに日本一になります。
菊地)自分の長所でもあるフットワークと、速く攻撃的なテニスに磨きをかけた3年間でした。ただ、“優勝して当たり前”の高校でもあったので、嬉しかったというよりホッとした気持ちが大きかったですね。
ーー高校卒業後はアメリカの大学に進学。高校からプロになることは考えなかったのでしょうか?
菊地)もちろんプロ入りも考えていましたが、高校2年生のときに出場した『USオープンジュニア』のときに、アメリカの大学からたくさん声をかけていただいたことがきっかけで、アメリカの大学進学へ気持ちが傾いていました。ジュニアランキング1位の選手もいるような環境は、自分に磨きをかける上で魅力的なものであり、岩手から出て相生学院を選んだときの感覚とも似ているものがありました。“世界一になるために必要なこと”を考えたときに一番いい環境を選んだ形ですね。
ーー話を聞くだけでも厳しい環境だと感じますが、菊地選手がアメリカで苦労したことを教えてください。
菊地)一番衝撃だったのは各国のナンバーワン選手の意識の高さです。高校のときは僕も日本で一番の自信がありましたが、イギリスやインド、デンマークのナンバーワン選手が集まる中で、「どうやって自分が一番になるか」をみんなが考え、しのぎを削っているのが印象的でした。
対戦相手でも同世代の各国ナンバーワンだけでなく、2年生・3年生・4年生にもそれぞれ世代ナンバーワンがいる。そういう相手に勝っていかなければ世界一になれない、と考えたときに、自分の意識もどんどんアップデートされていきました。
ーー世界との“壁”を感じて折れてしまうようなことはありませんでしたか?
菊地)もう何度もありましたよ。でも、かつて苦労を共にした高校時代のテニス仲間と連絡を取り合ったりして、なんとか自分を奮い立たせていました。“プロの準備”という意味でも、「ここで負けてはいられない」という精神でできたことはすごくよかったと思います。
ーーこれまでのお話も聞くと、まわりの方々とのさまざまな“出会い”が、一つずつ菊地選手を成長させていくものになっているのだと感じます。
大学最後の試合、格上に勝利した歓喜の瞬間
“日本一”レベルの選手が集まるプロの世界|勇気を与えられるプレイヤーになりたい
ーー大学卒業後、いよいよプロの世界に足を踏み入れます。また壁を感じることはありましたか?
菊地)その世代で日本でナンバーワンだった選手が当たり前のようにいる中で、常に壁は感じています。“プロ”というと、世界的には野球やサッカーのように、大金を手にしているイメージもありますが、プロテニスの世界はその領域に行きつくまでの道のりも遠く、大変なものだということを実感する日々です。
とくにテニスは、1つの国の中だけに留まってできるスポーツではなく、僕の場合日本国内を拠点にしながら世界中を転戦していきます。海外の試合に出ないとポイントが取れない、まだ賞金の高い大会では勝てない、どうやって生活をしていくのか、そうしたプレッシャーのかかる戦いをしている選手は多くいるのではないでしょうか。
ーーそうしたことを考えると、所属しているみちのくコカ・コーラボトリングさんのような、“サポートしてくれる企業”の存在は非常に大きいですよね。
菊地)そうですね。地元・岩手の企業にはとくに「応援してほしい」という気持ちがあります。
僕自身も、プロの選手を見て「かっこいいな」と思って憧れていました。岩手はまだまだテニスをする環境は少ないのですが、子どもも大人も本当に楽しくプレーをしていて、「テニスが大好きなんだな」ということが伝わってきます。岩手の方々に、地元企業からのサポートを受けて菊地裕太がプロとして勝っていくことで、憧れや夢を見せられたら嬉しいです。
ーーみちのくコカ・コーラボトリングさんとはどのような出会いだったのでしょうか?
菊地)「岩手の企業に応援してもらいたい!」という思いから、知り合いを通じていくつかの企業に訪問していました。その中で出会ったのがみちのくコカ・コーラボトリングさんです。
「地元出身のアスリートを応援したい」と考えていた谷村広和社長(当時・現会長)とお話をする中で、所属契約をさせていただけることになりました。
僕としては、「岩手から、世界で戦う」という点に世界的ブランドでもあるコカ・コーラの会社とともに向かっていけることがすごく嬉しいです。「同じ夢を見ることができる」企業に所属できていることにとても喜びを感じています。
所属企業のみちのくコカ・コーラボトリング
ーーみちのくコカ・コーラボトリングさんとしても、同じように共通の夢を持てる選手を応援している喜びを感じていらっしゃると思います。
菊地)一緒に夢を叶えたいですし、期待に応える活躍をしたいです。
2年後のロサンゼルスオリンピックに出場することが、現時点の一番の目標です。そのためにはランキングももっと上げていかなければならないですし、そこを目標にしながら技術力をつけ、最終的には優勝も目指しています。
グランドスラムもすごく大きな大会ですが、とくにオリンピックは“心を動かされる大会”です。テニスだけでなく、オリンピックに出て日の丸を背負う選手たちは、今の僕にとっても憧れの存在です。国を代表するプレッシャーを感じながら、それを結果に変えていく。そのストーリーで、人々を感動させる大会こそがオリンピックだと思いますし、テニスファン以外の人たちの感動も生み出せるような存在になっていきたいです。
ーー菊地選手は世界に対してどんなテニスで勝負していくのでしょうか?
菊地)173cmという自分の体格を考えると、サービスエースをバンバンとるようなスタイルは難しいです。ですがその分、持ち味のスピードや攻撃性、戦略面を突き詰め、世界に通用する武器にしていきます。
錦織圭選手や大坂なおみ選手の存在は、日本人でもこんなにできるんだという勇気を与えました。次の世代の選手として、僕自身が日本中に、そして岩手県民にそんな勇気を与えられるテニスプレーヤーになりたいです。
ーーありがとうございました!
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