日本各地では、風土に根ざした多様な染織品が古くから作られてきました。その美しい布を次世代へと受け継いでいきたい──そんな願いを込めて、全国の産地を取り上げた特集「染織レッドリストを救え」は、雑誌『美しいキモノ』で大きな反響を呼びました。この特集を、各産地への最新リサーチ情報を加えて、デジタル連載として復刻します。
北から巡る連載の第13回では、茨城・栃木県の「本場結城紬」をはじめ、茨城県の「いしげ結城紬」、栃木県の「宮染め」「足利銘仙」「真岡木綿」「佐野縮」を紹介します。
茨城県・栃木県「本場結城紬」温かな地風と絣が特徴の紬の最高峰
撮影=中村 淳
精巧な絣模様が美しい本場結城紬。すべて/結城・小倉
茨城県結城市、栃木県小山市を中心とした鬼怒川沿いで作られる紬です。鎌倉時代から領主となった結城氏が、紬を朝廷への献上品に用いたことから「結城紬」と呼ばれるように。いちばんの魅力は、軽くふっくらとした独特の風合い。撚りのない糸で作る織物は世界でもほかに例がなく、無撚りの手つむぎ糸を用いて、古い機の形式である地機を使って織ることが、本場結城紬の大きな特徴です。
地機織りでは、腰で糸の張りを調節しながら織ることで、糸に負担をかけずに、柔らかくてふっくらとした布が生まれます。亀甲絣や蚊絣で構成された精巧な模様も特徴です。本場結城紬は手つむぎ糸を100%使い、手括り、または直接染色で絣を作り、地機または高機で手織りされます。手つむぎ、手括り、地機織の三つの工程は、国の重要無形文化財に指定されています。経済産業大臣指定の伝統的工芸品、茨城県郷土工芸品に指定。
制作工程
撮影=西村 武
材料の繭と真綿。真綿は主に福島県の保原で製作されます。
撮影=西村 武
指先を使って、真綿から細く糸を引き出し、ほとんど撚りのない「手つむぎ」糸を作ります。
撮影=西村 武
絣となる部分を木綿糸で結ぶ「絣括り」。
撮影=西村 武
括った糸を煮て染めます。
撮影=西村 武
棒に付けて振り下ろして叩き、括った糸の際までを染めます。
撮影=西村 武
地機で織ります。経糸は紐で腰に付けられ、緯糸を打ち込むときにぐっと腰を引きます。反物幅より広い大杼も独特です。
【その後の本場結城紬(2026年現在)】
制作を継続中です。本場結城紬卸協同組合HPでは結城紬情報を発信。結城紬ミュージアムであるつむぎの館では、資料や反物の展示、ショップや体験工房があり、各種イベントを行っています。栃木県には、おやま本場結城紬クラフト館がPRを行っており、体験プランなどを用意しています。
Related Stories茨城県「いしげ結城紬」真綿紬の風合いを感じる紬織物
撮影=中村 淳
いしげ結城紬の着尺。無地、縞、絣模様など、多様な柄を製作。すべて/市原亀之助商店
常総市石下地区を中心とする鬼怒川沿いの地域で作られる紬です。当地は肥沃で昔から綿や絹などの織物が盛んな地域。明治時代後期には絹綿交織の織物が開発され、石下紬として市場の好評を博しました。昭和三十年代頃から消費者指向の変化に伴い、高級絹織物の生産に転換。長い歴史と伝統の技術により、現在は紬独特の味わいに新しい感覚を調和させた高級絹織物を作っています。
十字絣、亀甲絣といった絣模様に特色がありますが、無地や縞もあります。真綿から引いた柔らかな糸を製織する際、作業効率を上げるために動力を取り入れたのが特徴。手織りの紬もあります。四十数工程ある作業は熟練の職人の技に支えられています。茨城県郷土工芸品に指定。
制作工程
写真提供=結城・奥順
手紡機による糸作り。真綿から動力を使って糸を引きます。
写真提供=結城・奥順
絣糸を作るには様々な手法があります。これは直接摺り込みによる絣糸染。
写真提供=結城・奥順
型捺染による絣糸染。
写真提供=結城・奥順
力織機で製織。手織り機も使われます。
【その後のいしげ結城紬(2026年現在)】
制作を継続中です。長く本場結城紬の陰に隠れた存在でしたが、高い技術力に支えられた物作りで、近年価値が見直されています。最盛期は100軒を超える工房がありましたが、現在は約7軒が稼働しています。茨城県結城郡織物協同組合HPで情報を発信中。
栃木県「宮染め」真岡木綿の染めに始まる宇都宮の染物
撮影=中村 淳
注染で染めた浴衣。すべて/中川染工場
宇都宮市で染められている、主に木綿の染物です。名前の「宮」の字は、宇都宮に由来します。江戸時代、真岡地方で盛んに生産された木綿地を染めるために、市内を流れる田川沿いに染色業者が集まったのが始まりと言われています。明治以後、注染の技術が宇都宮に導入され、浴衣や手ぬぐいなどを染めるようになりました。栃木県の伝統工芸品に指定されています。
【その後の宮染め(2026年現在)】
現在も数件の業者が宮染めを行っています。
栃木県「足利銘仙」斬新な銘仙で一世を風靡
所蔵・写真提供=足利織物伝承館
戦後に作られた足利銘仙。
戦前に女性の間で人気だった銘仙。足利は後発産地でしたが、一九二七年に生産が本格化。画家や女優を起用したポスターや、百貨店の陳列会など、デザインと宣伝に尽力し、一九三九年には生産高全国一に。
他産地同様に絣技術が豊富ですが、大正期には経糸捺染と括りの絣の緯糸を用いた「半併用絣」で斬新な銘仙を作って大人気に。戦争で生産が途絶え、戦後は流行の変化などで昭和三十年代に衰退。
制作工程など
所蔵・写真提供=足利織物伝承館
銘仙が織られた高機。
所蔵・写真提供=足利織物伝承館
昭和の戦前に作られた、カラフルでモダンな銘仙。
【その後の足利銘仙(2026年現在)】
足利銘仙は途絶していますが、現在も織物の産地であることに名残を残しています。足利銘仙の資料・歴史などは、足利織物伝承館で見られます。
Related Story栃木県「真岡木綿」江戸の庶民に親しまれた白木綿
写真提供=真岡市文化課
古い真岡木綿。所蔵/福原呉服店
江戸の文化・文政期に年間三十八万反を生産し、隆盛を極めた白木綿。真岡周辺は綿栽培の適地で、木綿を晒す水流にも恵まれて生産が盛んに。経緯ともに手紡ぎの糸で、白く薄手で肌触りが良いと好評を博し、当時江戸で白木綿や浴衣を「もおか」と呼ぶほど有名に。しかし流行の変化や、明治中期に安価な海外産木綿糸を用いた「岡木綿」が出回るなど他産地との競争に敗れ、昭和初期に衰退。現在は復興の会も。
制作工程など
写真提供=真岡市文化課
真岡木綿を高機で織る様子。
【その後の真岡木綿(2026年現在)】
白木綿としては途絶しています。真岡木綿会館で制作体験などを行っています。
栃木県「佐野縮」海外にも輸出された木綿の縮
所蔵・写真提供=佐野市郷土博物館
佐野縮の生地見本帳。布の表面に縮の凸凹が見えます。
佐野でかつて作られていた綿縮。起源は江戸末期の嘉永年間にさかのぼるといわれます。最初は農家の副業でしたが、江戸末期には町工場が作られて織物業が発展。明治になると「佐野の綿縮」として、国内はもとより海外にも輸出され、佐野の代表的な産業へ成長。大正時代には第一次世界大戦とともに注文が殺到したといいます。太平洋戦争の統制で生産ができなくなり、戦後に途絶しました。
制作工程など
所蔵・写真提供=佐野市郷土博物館
機織りに使われた足踏み式の高機。
【その後の佐野縮(2026年現在)】
佐野縮は途絶しましたが、現在も織物の産地であることに名残を残します。佐野市郷土博物館で資料などが見られます。
撮影=中村 淳 西村 武 構成・文=笹川茂実
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