
全島エイサーコンクールなどについて振り返る元沖縄市長の新川秀清さん=8月26日、沖縄市の嘉手納基地爆音訴訟団本部
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琉球新報朝刊
「第70回沖縄全島エイサーまつり」(主催・同実行委員会=沖縄市、琉球新報社、沖縄テレビ放送、市観光物産振興協会、市青年団協議会)が12日から14日まで沖縄市のコザ運動公園陸上競技場などで開かれる。今年で70回目を迎えた全島エイサーは沖縄を代表するイベントに成長し、沖縄の夏に欠かせないイベントとなった。その始まりはコザ小学校のグラウンドで開催された「全島エイサーコンクール」。70回の歩みの中でどのような変遷を遂げてきたのか、また県民にとって全島エイサーとはどんなイベントなのか、改めて見つめ直す。
戦後11年の1956年、コザ市の誕生と同じ年にコザ小学校グラウンドで第1回の「全島エイサーコンクール」が開催された。同年8月23日の琉球新報の紙面には「市の建設に活を入れると同時に琉米親睦を高めていこうというのが催しの趣旨」とあり、戦後の混乱が続くコザ市の活性化を目指して開催を決めたことが分かる。以来70回にわたり開催を続け、2023年には過去最多の36万人が来場するなど今や県を代表するイベントに成長を遂げた。
当時のコザ市は、軍用地の接収を巡り米軍と県民の間で対立が起きた島ぐるみ闘争や、住民運動に対する米軍の経済的な対抗措置とも言える「オフリミッツ」が行われるなど、混迷を極めていた。元沖縄市長の新川秀清さんによると、当時の大山朝常コザ市長は「自分たちの町として市を活性化するためには若者のエネルギーが必要」と考え、全島エイサーまつりを企画していたという。
第1回からエイサーコンクール形式で開催されたが、青年会から順位に不満の声が上がるなどトラブルが頻発したという。地域ごとの伝統に評価を付けることに対する疑義も出はじめ、77年の第22回から「全島エイサーまつり」の形式に変更になった。
全島エイサーが開かれ、現在では県内だけでなく県外や国外までエイサーは広がりを見せている。新川さんは「伝統的な文化が認められたということは沖縄の存在自体が認められたということだ」と話す。
70回を迎えた全島エイサー。新川さんは「時代に沿って新しいものを取り入れることも大事だが、やはり沖縄の歴史を受け止めて、伝えていくような祭りであってほしい」と期待した。(福田修平)

