曇らねば
誰(た)
が見てもよし富士の山 うまれ姿でいく世
経(ふ)
るとも――――二宮金次郎(1833年頃?)
かつて氾濫を繰り返し「暴れ川」と呼ばれた酒匂(さかわ)川から富士山を望む。植林された堤防の向こうに二宮金次郎の故郷、旧栢山村が広がるかつて氾濫を繰り返し「暴れ川」と呼ばれた酒匂(さかわ)川から富士山を望む。植林された堤防の向こうに二宮金次郎の故郷、旧栢山村が広がる

 薪を背負った少年が歩きながら書物を読む。今なら危険な歩きスマホと同じで勧められないが、かつてそんな二宮金次郎(尊徳)の石像や銅像を見たことがある人は多いだろう。

寺の町 息づく絹織り…南砺(なんと)市 (富山県)

 だが、成長した金次郎が江戸後期の関東各地などを転々とし、農政家として農村再建に尽くした業績はあまり知られていない。 彼が人々の指導に使った和歌を紹介する「解説 二宮先生道歌選」に、〈曇らねば誰が見てもよし富士の山うまれ姿でいく世経るとも〉の一首があった。 小田原城の近くにある報徳博物館の飯森富夫学芸員(65)は「自分の故郷で見た美しい富士山の姿に、人間が本来持っている『徳』を投影して詠み、人々を導こうとした」と推測する。
 故郷とは、今は小田原市の一部となっている旧
栢(か)山(やま)
村。この歌は40代半ばだった1833年頃から、農村再建に関わる書類に繰り返し出てくるという。
 金次郎が成人後も常に心にとどめていた富士山を見たくて、早起きして東京・新宿から小田急線に乗った。故郷に近い栢山駅を過ぎ、人家が途切れると、いきなり雲一つない青空にまばゆく映える富士山が現れた。二宮金次郎が10代半ばまで住んだ生家が保存・公開されている二宮金次郎が10代半ばまで住んだ生家が保存・公開されている
 小田原駅で下車し、すぐ近くの「小田原シネマ館」に入る。偉人の故郷を訪れる前の「予習」も兼ね、ちょうど上映されていた映画「二宮金次郎」を見た。若き金次郎が
鍬(くわ)
で農地を耕す場面の背景には、つい1時間ほど前に車窓から見たのとそっくりな富士山が映っていた。
 午後、故郷・旧栢山村の地にある小田原市尊徳記念館を訪れ、その脇に保存されている生家に足を踏み入れた。幼い弟たちと肩を寄せ合う金次郎少年の姿が思い浮かんだ。 映画を撮った五十嵐匠監督(65)は、富士山が現れる場面を「懸命に働く金次郎が、汗をぬぐいながら富士の崇高な姿を振り返って疲れを癒やしたのでは、と想像しながら意図的に入れました」と言う。 金次郎は映画の中で、決してあきらめることなく、あらゆる障害を乗り越え、疲弊した人々の心をつかんで農村を立て直していく。
 行く先々で多くの信頼を勝ち得たまっすぐな心。それを培ったのは、雲一つかからない「うまれ姿」のような富士山だったのだろう。

 
二宮金次郎
(にのみや・きんじろう)

 1787年、相模国栢山村生まれ。裕福だった実家は父の代に没落。若い頃に両親を亡くし、伯父に引き取られた。農作業のかたわら勉学に励み、成人後に実家を立て直して小田原藩主・大久保忠真にその才を買われ、小田原藩分家の領地である桜町領(栃木県真岡市)の復興を任された。その後600以上の村の復興に関わる。後に幕臣となり、1856年に下野国今市(栃木県日光市)で死去。「解説 二宮先生道歌選」(佐々井信太郎著)は小田原城の南側にある報徳博物館で販売している。

 文・藤原善晴

 写真・田中秀敏
地元の誇り 振興にも一役 二宮金次郎に興味を持ったきっかけは、今年1月に書店で手にした「いまこそ人生で大切なことは映画から学ぼう」というタイトルの本だった。
 著者の
蓑宮(みのみや)
武夫さんは、小田原市出身の元ソニー役員。影響を受けた名作の数々、そして「小田原の誇り」である金次郎の映画について熱っぽく語っていた。
「二宮金次郎号」に乗り組む製作委員会の高橋眞己さん(右)と五十嵐匠監督「二宮金次郎号」に乗り組む製作委員会の高橋眞己さん(右)と五十嵐匠監督 映画館が姿を消した小田原駅周辺に「まちなか映画館」を作ることを夢見て仲間を募り、土地と建物を確保して運営会社を設立した経緯なども記していた。しかし今年3月の「小田原シネマ館」オープンを見ることなく、蓑宮さんは昨年10月に79歳で他界した。
 映画「二宮金次郎」は2019年に公開。蓑宮さんの夢を引き継ぎ、運営会社の社長となった古川
達高(たつたか)
さん(69)は「上映会に何度も立ち会ったが、いつも観客はエンドロールの後、拍手喝采する。こんな映画はなかなかない。小田原シネマ館では不定期だが上映を続ける」と語る。

 映画は企業の社員研修に使われ、学校や様々な団体から上映依頼が舞い込む。製作委員会は「二宮金次郎号」と名付けたワゴン車を持ち、委員会代表の高橋
眞(まさ)己(み)
さん(62)は「公民館などの施設でも大迫力で鑑賞できるよう、映画館と同じレベルの映写機やスクリーンを積み込んで“出動”します」と意気盛んだ。
報徳二宮神社の二宮金次郎像報徳二宮神社の二宮金次郎像
 小田原観光の中心は子どもたちに人気のNINJA館などがある小田原城。その一角に二宮金次郎(尊徳)を祭神とする報徳二宮神社がある。境内には、神社と地元企業や農家が力を合わせて活動する「小田原
柑橘(かんきつ)倶楽部(くらぶ)
」が運営するカフェがあり、地元産の柑橘類や、地元産品を使ったサイダーなどを販売する。
 草山明久宮司(55)は「地域の産品を循環させる仕組みをどう回復するかは、各地域に共通する課題だ」と指摘し、「今こそ尊徳の教えを地域振興に生かすべきだ」と言う。 ●ルート 新宿駅から小田急小田原線で栢山駅まで約1時間30分。同駅から小田原駅まで9分。 ●問い合わせ 小田原市観光協会=(電)0465・20・4192、小田原市尊徳記念館=(電)0465・36・2381、報徳博物館=(電)0465・23・1151[味]金次郎の食事 カフェで
 倹約家のイメージがある二宮金次郎は、どんな食事をしていたのか。報徳二宮神社境内の「きんじろうカフェ」((電)0465・23・3246)で、66歳の頃の家族の記録をもとに再現された「
呉(ご)汁(じる)
」を食べることができる。
 大豆を水に浸して軟らかくし、すり潰した「ご」を入れたみそ汁で、呉汁単品は660円。神社に併設している結婚式場の料理長が監修した味付けは、質素ながらも豊かな風味が感じられた。 金次郎の食事からは離れるが、地魚の炊き込みごはん、ほうじ茶と組み合わせた呉汁セット=写真=は999円。金次郎は昼食で呉汁を食べていたと伝わるが、ごはんと漬物も一緒だったという。朝食はお茶漬けに漬物、焼きみそぐらい。夕飯もお茶漬けにつゆ物、にしめまたは魚1品と質素だった。ひとこと…富士山愛 脈々と 小田原市内の企業の会長の部屋で、美しい富士山の写真を見せてもらった。映画「二宮金次郎」の製作を強力に応援した一人である会長は、富士山の写真を長年撮り続けているという。富士山はかつて金次郎に与えたのと同じ影響を、この会長をはじめ小田原の多くの人々に今も与え続けているのだろう、と感じた。