一揆契諾状の一部。争いを多数決で解決することなどが記されている(長崎歴史文化博物館蔵)
長崎県の上五島地方を拠点とした
青方(あおかた)
氏の古文書群「青方文書」を紹介する企画展が、長崎歴史文化博物館(長崎市)で開かれている。中世の漁業の実態や、九州北西部の海の武士団・
松浦(まつら)
党の様相などが記されており、3月に重要文化財に指定答申されたことを受け、企画した。16日まで。
青方氏は鎌倉時代初期に幕府の御家人となり、後に松浦党の一員となった。江戸時代には五島藩の家老職を務めた。古文書群は中世から江戸時代まで385通あり、文化審議会では、西国武士や海事史を研究する上で学術的価値の高い史料と評価された。同展では18点を展示している。 1196年(建久7年)の相論(訴訟)に関する文書は、「前右大将」こと源頼朝が、青方氏の祖・尋覚を同県の離島・小値賀島の地頭に任命したことを記している。青方氏の由緒を示す史料であり、幕府の権威が、遠い九州の離島まで及んでいたことが読み取れる。 青方文書は、中世の漁業や製塩に関する史料としても、全国有数の質と量を誇る。青方氏の身内の中で、漁業で使う網や製塩の利益の取り分について、細かに取り決めた1330年(元徳2年)の文書からは、平地が少ない環境下でこれらが貴重な収入源であり、利権だったことがうかがえる。 室町時代以降、青方氏を含む松浦党の小領主らは「一揆契諾状」と呼ばれる規則を設け、紛争の防止や解決に使っていた。メンバー間のトラブルや、領民が逃げ出した場合の対応などを規定したほか、もめ事の際は話し合い、「多分之儀」(多数決)で解決すると決めていた。 佐伯弘次・九州大名誉教授(日本中世史)は「血縁的なつながりが中心的だった武士たちが、14世紀後半頃から地域で団結する武士団となっていった変化が分かる重要な史料」と評価する。(北村真)
![[ニュース] 古文書群「青方文書」からみる中世の漁業や製塩事情…鎌倉幕府の地頭から海の武士団・松浦党に [ニュース] 古文書群「青方文書」からみる中世の漁業や製塩事情…鎌倉幕府の地頭から海の武士団・松浦党に](https://www.walknews.com/wp-content/uploads/2024/06/1717230374_20240601-OYTNI50054-1-1024x576.jpg)