「東をどり」で初舞台を踏む、万尋さん(左)と千尋さん(右)=秋元和夫撮影「東をどり」で初舞台を踏む、万尋さん(左)と千尋さん(右)=秋元和夫撮影

 花柳界で国内有数の格式を誇る「新橋」。新橋芸者が、磨き抜かれた舞踊などの芸を一般にも披露する「
東(あずま)
をどり」が、5月24日から27日まで、新橋演舞場(東京都中央区)で開かれる。99回目となる今回は、2人の新人芸者が初舞台を踏む。福岡県出身の
千(ち)尋(ひろ)
さん(21)と三重県出身の
万(ま)尋(ひろ)
さん(19)で、本番を前に、お座敷を勤めながら練習に励んでいる。(デジタル編集部 小関新人)
 芸者や料亭などが織りなす世界である花柳界でいう「新橋」とは、現在の東京都中央区銀座から築地にかけての一帯を指し、その名前は、かつて銀座8丁目付近にかかっていた橋に由来している。新橋花柳界は、江戸から明治へ時代が変わろうとしていた幕末期の発祥で、薩摩や長州などの幕末の志士が、江戸では新しい花柳界であった新橋に足を運んだ。維新後、彼らが政府の要職を占めるようになっても新橋に足を運び続け、以来、現在に至るまで、政財界の要人に多くのひいき客を抱えている。
 新橋花柳界を束ねる東京新橋組合によると、新橋には約40人の芸者が在籍しており、6軒の料亭がある。また、18歳以上でなければ新橋芸者になれない。踊り手である
立(たち)方(かた)
の芸者は、花柳、尾上、西川流の3流派のうちいずれか一つの流派の家元から直接指導を受ける。また、演奏者である
地(じ)方(かた)
の芸者は、長唄、清元、おはやしの中から選んで学ぶ。家元の直弟子となり、芸道を究めるその姿勢から「芸の新橋」と言われる。
 新橋芸者の芸が披露される料亭は、「一見さんお断り」の世界。何らかのつてがないと利用すら難しい。そんななかなか見られない新橋芸者の芸を、誰でも間近に見られる数少ない機会が東をどりだ。
 東をどりは、1925年に新橋演舞場のこけら落とし公演として始まった。戦中・戦後に一時中断したが、48年に再開し、台本を川端康成や谷崎潤一郎、吉川英治などの文豪が書き、舞台美術は横山大観や竹内
栖(せい)鳳(ほう)
、前田
青(せい)邨(そん)
といった画壇を代表する画家が手がけたこともあった。
2023年5月に行われた「第98回東をどり」のフィナーレ(中央の男役は、小いくさん)=東京新橋組合提供2023年5月に行われた「第98回東をどり」のフィナーレ(中央の男役は、小いくさん)=東京新橋組合提供
 今回は「新ばし
白花(はっか)繚(りょう)乱(らん)
」と題し、次回が100回となることから、漢字の「百」から「一」を抜いた「白」をテーマにした舞台が繰り広げられる。「東をどり」の演出は、花柳、尾上、西川流の家元が交替で務めるが、今回は、尾上流の尾上菊之丞家元が総合演出を務める。舞台は全2幕構成で、千尋さんと万尋さんが出演するのは、第2幕の浦島太郎を題材にした「
共(とも)白(しら)髪(が)
」。ともに白波の役を演じる。

 千尋さんは、幼い頃から着物が好きで、中学生の頃から芸者に憧れ、中学を卒業したら京都で
舞(まい)妓(こ)
になろうと考えていたが、親を説得することができず断念。高校卒業後に自分の将来を改めて考えたときに、花柳界への思いが捨てきれず、改めて親を説得したところ、「自分の思うようにやったほうがいい」と背中を押してくれた。新橋が「芸の新橋」と呼ばれていることは知っており、「踊りや三味線など自分のやってみたいことを全部出来て、芸のレベルの高いところで挑戦したい」と新橋花柳界の門をたたき、昨年10月、芸者見習いとなった。今年2月に、かつらや着物、白塗りなど「芸者の
拵(こしら)
え」で料亭や先輩に当たる「お
姐(ねえ)
さん」たちの家などを回る「お披露目」が行われ、芸者となった。

 万尋さんは、日本屈指の料亭のひとつ「
金(かね)田(た)中(なか)
」の板前見習いから新橋芸者に転身したという異色の経歴だ。もともと和の文化に興味があり、和食が好きだったので、将来は板前になろうと高校時代は料理の勉強をしていた。そして昨年4月、新橋芸者の活躍の場であり、新橋演舞場の目の前にある金田中に就職し、料理人としての第一歩を踏み出した。
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