科学部 宮沢輝夫
【パリ十八日発=AFP】フランス航空医学科学研究センターの科学者は十八日、ネコをベロニック・ロケットで大気圏外に打ち上げ、パラシュートで地上に回収した。この実験はサハラのハマギールで行われた。なおフランスはこれまでネズミを打ちあげる実験を三回行っている。またネコが大気圏外に打ちあげられたのは世界ではじめてである。
世界で初めて猫が宇宙空間に到達したことを伝える記事(1963年10月19日読売新聞夕刊)
宇宙に行った猫の銅像(左)建設に奔走したマシュー・ガイ(Matthew Serge Guy)さん(本人提供) これは1963年10月19日、読売新聞夕刊に載った記事です。〈ネコ、初の宇宙飛行 仏が成功〉と見出しにある通り、今から60年以上前、猫が初めて宇宙に行ったことを報じたものです。
記事中のべロニック(ヴェロニク)・ロケットというのは、フランスが所有する観測ロケットの名前です。また、サハラのハマギールとあるのは、かつてフランスの植民地だったアルジェリアのハマギールという町のこと。このサハラ砂漠にある発射場から、猫を収容したロケットは打ち上げられたのでした。 今回のにゃんころ事件簿は、宇宙に行った猫の最期と、その猫に思いをはせて銅像を建てた英国ロンドン在住のマシュー・ガイ(Matthew Serge Guy、以下マシュー)さんについて、ご紹介しましょう。仏ロケットで宇宙へ、パラシュートで無事に帰還するも…… その猫は生きて地球に戻ってきました。彼女――猫はメスでした――はロケット先端のノーズコーン部分に収容され、高度157キロ・メートルの宇宙空間に到達した後、ロケット本体から分離されたノーズコーンごとパラシュートで地球に帰還したのです。飛行時間は13分ほどで、うち無重力状態を約5分経験しました。 これは人類ならぬ猫類の歴史上、特筆すべき出来事だったと言えます。
フェリセットの写真。クラウドファンディングの返礼品のポストカードより(マシューさん提供) 無事に帰った猫。ところがその約3か月後、なんと安楽死の憂き目に遭います。打ち上げ前、猫の頭には電極が埋め込まれていました。飛行中の脳の動きを記録して、ロケットで宇宙飛行をすることが、人間にどんな影響を生じさせるかを調べるためです。科学的な検証のために、最後は解剖する必要があり、彼女は宇宙から生還しようがしまいが、どのみち死ぬ運命でした。 猫たちは事前に訓練も受けました。“猫たち”と複数なのは、計14匹の猫が候補になっていたためです。猫たちは名前でなく番号で呼ばれており、C341が彼女のそれでした。
ロケットの発射時の
轟(ごう)音(おん)
に慣れるための訓練、横回転する装置の箱に入れられてグルグル回転させられる耐G(重力加速度)訓練……。猫たちは、当時の宇宙飛行士と大差ない訓練を受けたと言います。その様子は、フランス国立視聴覚研究所(INA)の公開映像で見ることができます。
宇宙に行った猫は帰還後、メディアの注目を集め、フェリックスと呼ばれます。当時世界的に有名だったアニメ「猫のフェリックス」に似た、黒白のいわゆるハチワレ柄の猫だったためです。しかし、ほどなく研究者側が、フェリセットと女性の名前に訂正したそうです。仏ストラスブールで銅像の建設へ
マシューさんがデザインしたクラウドファンディングの返礼品のトートバッグ(マシューさん提供) このフェリセットについて世界で最も詳しい一人は、先述したマシューさんでしょう。 マシューさんはフェリセットの存在が世の中から忘却されていることに義憤を抱き、彼女に正当な歴史的評価を与えるべく、銅像を建設した人だからです。
マシューさんは、英国のクラウドファンディングのサイト
「Kickstarter」
で、フェリセットの銅像建設プロジェクトを始動しました。2017年のことで、マシューさんは当時、ロンドン市内の広告会社に勤めていました(現在はグーグル勤務)。プロジェクトの目標金額は4万ユーロ(当時のレートで500万円前後)です。
フランスの国際宇宙大(The International Space University)で行われたフェリセット像の除幕式(同大提供) フェリセットはパリ出身と伝えられており、当初は故郷のパリに銅像を建てる計画だったそうです。最終的に2019年、仏ストラスブールの国際宇宙大に銅像が建てられました。1961年に初めて宇宙に行った人類、ユーリー・ガガーリン像のすぐそばにフェリセット像はあります。 猫好きならば、マシューさんの情熱を称賛せざるを得ません。私は彼に連絡を取り、オンラインでインタビューしました。その内容を紹介して、今回のにゃんころ事件簿を終えることにしましょう。フェリセットの名誉を守りたい(マシューさん一問一答) ――猫が宇宙に行ったことを初めて知ったとき、どんなことを思いましたか。
マシュー
とても驚くと同時に、少し悲しくなりました。猫好きとして、なんでもっと早く知らなかったのだろうと、なんで宇宙に行った猫のことが全く知られていないのだろうと、がくぜんとしました。
――そもそもフェリセットを知ったきっかけは。
マシュー
勤務先のキッチンで、ベロニク・ロケットの打ち上げ50周年を祝うティータオル(麻のキッチンクロス)を目にしました。ティータオルには、猫の絵が大きくプリントされていたのですが、猫の名前はなく、その姿もフェリセットには似ても似つきません。ただ、そのときは猫が宇宙に行った事実を知らず、ティータオルのデザインも格式張ったものだったので、ロシアのロケットの話かと思ったほどです。
その後、ベロニク・ロケットと猫の関係を調べました。INAの記録映像などを通じ、フェリセットのストーリーを知りました。これだけ偉大なことを成し遂げた猫にもかかわらず、長年にわたり忘れ去られて、あのティータオルのように事実が間違ったまま放置されている。彼女の名誉を守るため、何か大きなことをしなければと感じました。 ――旧ソ連の人工衛星スプートニク2号で1957年に宇宙に行った、犬のライカは有名ですね。
マシュー
はい。フェリセットのことを調べている間、幼い頃にライカの話を聞いたことを思い出しました。ライカは、英国で広く知られています。それに対し、フェリセットは知られていないどころか、フェリックスという名前のオスの猫だと間違えられていたという事実さえあります。実際、記念切手が販売されているのですが、フェリックスを想定して別の猫が描かれているのです。ティータオルと同じですね。
男性だけが科学や工学の分野をリードしていくというよくある誤解は、猫にも当てはまるようです。世界中から支援
返礼品のポスター(マシューさん提供) ――銅像建設は半世紀以上の時を経て実現しました。
マシュー
はい。現代社会はまさに猫に夢中になっていて、インスタグラムやTikTok(ティックトック)などでは毎日何十億時間もの猫のコンテンツが視聴されていることでしょう。私にとって、Lil BubやGrumpy Cat、日本のMaruなど、有名な猫の「インフルエンサー」の名前を挙げるのは簡単ですし、現に何百万人もの人々が彼らをフォローしています。一方で、文字通り宇宙に行った猫のフェリセットがいるにもかかわらず、誰も彼女の名前を知らないなんて……という思いがあります。
フェリセットは訓練を乗り越え、果敢に宇宙に挑み、最大9.5Gに耐え抜きました。候補だった猫のなかでとりわけ小さい体重2.5キロ・グラムの彼女が、です。しかし、ライカをはじめ、1961年に宇宙飛行した米国のチンパンジーのハムなど、米国と旧ソ連の宇宙競争で脚光を浴びた動物たちの陰に隠れ、フェリセットの存在は忘れられてしまったのです。 ライカは銅像として不滅になり、ハムは名誉の埋葬をされている。しかし、フェリセットには何も与えられていない。彼女に正当な評価を与え、追悼の意を表しなければと、そう感じたのです。 ――フェリセットへの哀切のような感情が原動力になったのですね。
マシュー
そうです。最初は、クラウドファンディングによるキャンペーンが成功するとは思っていませんでした。それでもフェリセットの名前が知られることの助けに、少しでもなればいいという発想だったのです。
――どれくらいの寄付や支援があったのですか。
マシュー
全部含めると、おそらく1200人以上がキャンペーンに寄付してくれました。国の名前をリストアップするには多すぎますが、世界中の人々が支援してくれました。もちろん、日本からも数十人の方が寄付をしてくれました。プロジェクトの発信は英語のみだったにもかかわらず、です。
この活動を通じてフェリセットやライカ、ハム以外にも、宇宙競争の中で多くの動物たちが利用されていることを知りました。フェリセットと同様、そうした動物たちの存在も忘れてはならないと思うに至りました。
マシューさんと愛猫のパール(Pearl=真珠)。パールは保護猫シェルターで長く引き取り手がいなかった猫だったという(マシューさん提供) ――おっしゃる通りだと思います。本日は心に染みいるお話をありがとうございました。ところで、日本を訪れたことはありますか。
マシュー
もちろんです。日本は大好きな国で、中でも好きなところは、日本の文化の中に猫が溶け込んでいることです。猫カフェから美しい神社に至るまで、猫が小さなアイドルのようにかわいがられているのを目の当たりにしました。ヤマト運輸のクロネコのロゴも好きで、配達員が着ているシャツがほしいと思いました。そのときは時間がなくて回れなかったのですが、次回は猫の街と呼ばれる「
谷(や)根(ね)千(せん)
」(東京の谷中、根津、千駄木)にも足を運んでみたいです。
今回は猫学でご紹介いただき、ありがとうございます。猫、そして動物を愛する日本の皆さんに、フェリセットのことをより広く知ってもらえる機会になれば、これほどうれしいことはありません。
※「にゃんころ事件簿」シリーズは随時掲載です。「その1」は
こちら―猫学事始め― 人間にとって、猫という存在はなんなのか。猫にとって、人間という存在はなんなのだろう。 古今東西の人々は猫を愛し、あるいは忌み嫌ってきた。猫は宗教や伝統をはじめ、絵画、文学、音楽といった芸術活動とも浅からぬ縁がある。 昨今の日本ではペットの猫の数が犬を上回り、海外でも似た現象がある。猫は家族と同様の扱いを受け、一部では熱烈な愛護の対象ともなっている。他方で、野生化した「ノネコ」は希少な野鳥を絶滅に追いやりかねない「小さな猛獣」であることが、科学的な調査で判明している。 猫学では識者へのインタビュー、猫にまつわるちまたの話題、科学部記者と暮らすノネコの日常をつづりながら、猫と人とのより良い関係に思いを巡らせていく。
プロフィル
宮沢 輝夫(
みやざわ・てるお
)
科学部次長。ノネコのハニーの飼い主。1998年入社。昆虫少年かつ文学少年として育ち、大学時代は動物写真家が目標だった。在学中の95年、小説「ハチの巣とり名人」で第7回舟橋聖一顕彰青年文学賞を受賞。著書に「生きのこるって、超たいへん!めげないいきもの事典」(高橋書店)、「秋田犬」(文春新書)など。趣味は筋トレで、ボディービル大会に出場したこともある。
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