「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督による長編映画最新作。昨年のベネチア国際映画祭では審査員大賞(銀獅子賞)を受賞し、濱口監督の国際舞台でのトロフィーをまた一つ増やした一本。叙情と叙述、音楽とイメージと物語と人の姿が絡み合う「映画の森」のその奥へ、観客を誘う映画である。(編集委員 恩田泰子)
ワン・ビン監督「青春」…中国社会の片隅、若者たちの甘くて苦くていとおしい人間模様
「悪は存在しない」から。花(西川玲)=(C)2023 NEOPA/Fictive
映画の舞台は南信州の高原エリア、広大な木立やきれいなわき水など、自然が間近に感じられる町。地元の暮らしの達人とでもいうべき男、巧(
大美賀(おおみか)均(ひとし)
)は、8歳の娘・花(西川
玲(りょう)
)と2人暮らし。近くでは、グランピング場建設計画が進行中だ。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が収益を求めて計画したものだが、内容はずさん。住民説明会のために芸能事務所の従業員、高橋(小坂
竜士(りゅうじ)
)と黛(
渋谷(しぶたに)采郁(あやか)
)がやってくるが――。
穏やかな暮らしと、それを脅かす開発計画。よくある話かと思いきや、映画は思わぬ方向へ転がっていく。そもそも最初から、この映画にはただならぬ気配が漂っている。 冒頭、映し出されるのは、木立の中から見上げる風景、のはずなのだけれど、見ているうちに不思議な感覚を覚える。見上げているのにのぞきこんでいるような、木々の枝が織りなす模様を見ているはずなのに何か別のものを見ているような……。イメージと時間、そして石橋英子による音楽が一緒になって観客をのみこんでいく。
「悪は存在しない」から=(C)2023 NEOPA/Fictive
それから映画は物語の軌道にのる。巧と花を中心に町の人々の日常描写が始まり、やがてグランピング場計画の話につながっていく。巧をはじめ、町の住民たちは余計なことは言わない。でも、そのとき伝えるべきことは伝える。そうした言葉の力、言語センスは、住民説明会の場で静かに
炸裂(さくれつ)
する。
欺瞞(ぎまん)
を突き、道理を説く、生活者たちの知性に触れ、胸がすっとする。フレデリック・ワイズマン監督が「ボストン市庁舎」の中で映し出した民主主義の風景が脳裏に一瞬去来する。日本の映画で、人が議論する場面をこんなにも面白く見られるなんて、とも思う。それは、このくだりでの議論が、現実社会の問題をちゃんとつかみ出しているからでもあるのだけれど。
この映画は、なんでもないような風情で、ありきたりの道筋から逸れ、叙述と抒情の間を自在に行き来する。まき割り、水くみのアクション、小さな花の冒険、時を止める「だるまさんがころんだ」……。大人や子供の日々の営みを印象的に映し出しながら、観客を引き込み、日常や社会、人が生きる世界を再発見させる。日常がふいにめくれあがるような気がする。天と地がふっと反転するような気さえする。
「悪は存在しない」から。巧(大美賀均)と花(西川玲)=(C)2023 NEOPA/Fictive 終幕で起きることが何なのか。そもそも、タイトルはどういう意味なのか。わかるようでわからない。わからないようでわかる気もしないでもない。 一つ言えるのは、この映画は、観客を丸裸で放り出したりはしていない、ということ。残響を残す数々のイメージ。引っかかりを残す登場人物の言動と語られない存在のこと。そして石橋による、時に不穏で、時にこよなく美しい音楽(本作の出発点は、石橋から濱口への映像制作のオファー。石橋のライブ用サイレント映像「GIFT」とともに本作がつくられた)。 映画を構成する表現ひとつひとつが、頭の中に驚くほど鮮烈に残されていることに、見終わった後、気づく。そして、それは日常に戻った後も、ふとした折に去来しては問いを投げかけてくる。
「悪は存在しない」から=(C)2023 NEOPA/Fictive 観客を、望むと望まざるとにかかわらず、とりこにしてしまう作品。終わりのない映画の森へようこそ、である。
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「悪は存在しない」
=2023年、上映時間:106分、製作:NEOPA/fictive、配給:Incline=4月26日から、東京・Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2(下北沢)ほか全国公開
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