2026.08.29

薯版作家の山室眞二さん。染織家・志村ふくみさんの百寿を祝って制作した新作の前で(神奈川県立近代美術館鎌倉別館)

薯版ならではの味わい

「イモ版」というと、子どもの頃、サツマイモの断面に彫刻刀で模様を彫り、年賀状を作った記憶がよみがえる人も多いかもしれない。神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開催中の「薯いも版画家」山室眞二さんの展覧会「山室眞二の薯版画〈かまくら博物誌〉」(9月27日まで)に足を運べば、その素朴なイメージが大きく変わるはずだ。山野草の花びらの微妙な色合い、水鳥の羽根の柔らかな質感までが、ジャガイモを素材とする版画で見事に表現されている。一見すると絵筆で描いた水彩画のような繊細な表現と、薯版ならではの温かな味わいを併せ持つ豊かな世界が広がっている。(掲載作品は全て作家蔵)

山室眞二《ツバメ》 2025年 薯版、紙 撮影:鈴木静華
「大規模展は画期的」と本人も笑顔

山室さんは1939年7月、横浜市生まれの87歳。横浜市立大で数学を専攻し、旧建設省に入省後は、統計調査などの仕事に携わった。多忙な役所勤めの傍ら、ジャガイモによる版画の制作に携わって約半世紀。ギャラリーなどで個展を開き、本の挿画や装丁も含めた幅広い活動を続けてきた。「薯版は子どもの遊びのようなものと思われがちなので、県立の美術館で大規模な展覧会が開かれるとは画期的なできごとです」と笑顔で語る。

山室眞二《クサギ》2019年 薯版、紙 撮影:鈴木静華
制作は時間との勝負 一期一会の魅力

ものづくりが好きで、学生時代から風景などの木版画を手がけていたが、彫るのも刷るのも力を使うため負担を感じていたという。出張先の北海道で薯版の絵はがきを目にしたのをきっかけに、独学で技法を研究。「手軽にできるのに奥深い」薯版の世界にのめり込んだ。硬いサツマイモではなく水分の多いジャガイモを選ぶのは、「紙に押すとしっとり柔らかな色合いになり、ぬくもりを感じるから」。用具はカッター1本で、断面に図柄を彫り、刷るたびに絵の具で色を付ける。「生もの」だけにイモは数回刷ると劣化し、制作は時間との勝負になる。完成した作品には一期一会の魅力がある。

「博物誌」にちなんだテーマ

少年時代から野山を遊び場とし、若い頃から山歩きに親しんできた。今も作品の題材に選ぶのは、自宅のある鎌倉周辺を散策して出会った植物や小さな生き物が多い。今回の展覧会のテーマは「かまくら博物誌」。敬愛するフランスの詩人・ルナールが動物や昆虫などの生態を短文で描いた「博物誌」にちなんだという。「キッチンにあるジャガイモという日常的な存在から生み出される『美』に目を向けてもらえれば。身近な自然の中に美しいものがあることにも気づいてほしい」と山室さんは言う。

山室眞二 上段右《冴える》、上段左《夕空》、下段《夜空》 2007年 薯版、紙 撮影:鈴木静華
志村ふくみさんとの協働制作も

会場には、スミレやツユクサ、コスモスやワレモコウなど様々な草花や蝶などの昆虫、野鳥を豊かな色彩で表現した薯版画が季節ごとに分けて展示され、遠くに見える山並みと植物を組み合わせた風景画のような構図も。子どもの頃に好きだったという切手を模した細密な作品も目を引く。装丁を手がけた書籍も並び、親交のある人間国宝の染織家、志村ふくみさんと協働し、草木染の糸や布を貼った美しい特装本の数々も展示されている。

志村ふくみ『天青』 造本:シンジュサン工房 2003年 撮影:鈴木静華

随筆家としても知られる志村さんの文章から印象的な言葉を抜き出し、その世界を100枚の薯版画で表現した新作も注目される。10センチ四方の紙に刷られた文字も全て薯版で、志村さんが植物染料で染めた糸、布の断片なども使っている。志村さんが2024年秋に100歳を迎えたことを祝い、1年余りかけて仕上げた。自然の恵みを尊び創作の源泉とする二人の世界が呼応し、山室さんの志村さんに対する深い敬意が込められた特別な作品だ。

山室眞二《志村ふくみの言葉 百葉筥》より 2026年 薯版、糸、裂、紙(一部に志村ふくみの糸 と裂を貼付け、言葉は志村の著述からの引用) 撮影:鈴木静華
ワークショップも大人気

会期中に山室さんが講師を務める薯版のワークショップも3回設定されているが、いずれもすぐに満席になる人気で、関心の高さをうかがわせる。6月下旬に開かれた講座では、参加者たちが絵の具の色合いなどを思い思いに調整しながら、薯版づくりを楽しんでいた。(古沢由紀子)

山室眞二の薯いも版画〈かまくら博物誌〉

会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉別館(神奈川県鎌倉市雪ノ下2-8-1)

会期:2026年5月30日(土)-9月27日(日)

開館時間:午前9時30分-午後5時(入館は午後4時30分まで)

休館日:月曜(9月21日を除く)

アクセス:JR横須賀線・江ノ島電鉄線「鎌倉」駅から、鶴岡八幡宮・北鎌倉方面へ徒歩約15分、または鎌倉駅東口2番のりばから江ノ電バス(大船駅・上大岡駅・本郷台駅行きのいずれか、約5分)に乗り、「八幡宮裏」で下車。徒歩2分

観覧料:一般700円/20歳未満・学生550円/65歳以上350円/高校生100円/中学生以下無料

同館公式サイト:https://www.moma.pref.kanagawa.jp/annex/

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