Princess Jahnavi Kumari Mewarジャハナヴィ・クマリ・メーワール王女は、一族の投資形態を正式なファミリーオフィスへと転換させ、数世紀にわたって受け継がれてきた富を近代化した。Courtesy of Princess Jahnavi Kumari Mewarジャーナヴィ・クマリ・メーワール王女はインドのメワール王家の一員だ。彼女はファミリーオフィスを組織化し、長年にわたってその運営を担ってきた。彼女が家族の世代を超えた富をいかに守り、成長させているかを紹介する。

この記事はインドのメワール王家の一員であり、家族のマルチファミリーオフィスと自身が創設したプライベートエクイティ会社Auctus Foraを運営するジャーナヴィ・クマリ・メーワール王女(Princess Jahnavi Kumari Mewar)とのインタビューに基づいている。文章は、長さとわかりやすさのために編集している。

私は生まれながらにして、この上ない特権を享受してきた。インドで政府に公式に認められた最後の王は祖父の兄であり、その後、君主制は事実上消滅し、民主主義国家へと移行した。

私はごく普通の子どもとして育った。違いがあるとすれば、いとこたちと宮殿の中にある学校に通っていたことだ。

シンガポールでファミリーオフィス設立が急増…超富裕層は一族の富と影響力を維持しようとしている | Business Insider Japan

シンガポールでファミリーオフィス設立が急増…超富裕層は一族の富と影響力を維持しようとしている | Business Insider Japan

要人が宮殿を公式訪問すると、その夜には、私たち自身も堂々と振る舞うことが求められた。彼らの文化について学び、宮殿を案内し、「こんにちは、私のおもちゃ見る?」といった子どもじみたありきたりの会話ではない交流をしていた。そうした基盤が、どんな場面でも誰とでも臆せず向き合う力を育ててくれた。

両親は私が家業を継ぐことをまったく期待していなかった。家族は不動産、ホスピタリティ、消費財、物流、教育など多岐にわたる分野に投資していたが、私は、父がどんな仕事をし、それをどれほど愛しているのかに、いつも強い関心を抱いていた。

子どもの頃、父のオフィスに駆け込んでは椅子に座り、書類にサインすると言い張っていた。周囲の人々は適当なファイルを私の前に置いていたが、おそらくシュレッダー行きの書類だったのだろう。

成長するにつれ、私はより深くビジネスに関わるようになった。現場への立ち会いが許され、時には自分が役に立っていると感じる場面も出てきた。当時はまだ十分理解できていなかった会議に同席し、書類を確認し、厄介な質問を投げかけ、そのたびに何度も訂正されながら、正確さに対するある種の敬意を身につけていった。

それでも、お金は無限でも保証されたものでもなかった。大学に進学した際、車は与えられ、家賃は払ってもらい、小遣いも受け取ったが、それは決して無制限ではなかった。授業に出て課題をこなしながら、ケータリング会社、クラブのプロモーター、テレマーケターと、3つのアルバイトを掛け持ちした。悪夢のような日々だった。それを経験して初めて、自分の特権的な立場を実感した。

正式なファミリーオフィスの設立

18歳の頃、長年、父の背中を見てきた私に対する期待は、「貢献すること」へと変化した。何か仕事を任されたなら、きちんと成果を出し、しかも高い水準で仕上げることが求められた。

世界金融危機の4カ月足らず前、私は妙な胸騒ぎを覚えた。メルボルンの大学でビジネスと国際貿易を学んでいた私は父に電話し、「私が見聞きしているすべてのことが、どうにも理にかなっていない。抽象的な情報が飛び交っていて、不動産やホスピタリティにとっては、あまりよくないことが起こりそうだ」と伝えた。

それは何か奇跡的な洞察から来たものではなかった。ただ状況を把握できず、将来が怖かっただけだ。それから数カ月間、がむしゃらに集中して仕事に取り組み、世界金融危機が訪れる前に、いくつかのホスピタリティ投資からプラスのリターンで撤退することができた。

20代前半に、私は本格的に主導権を握り、投資会社を正式なファミリーオフィスへと再編し始めた。

当時、父や、ファミリーオフィスに資産運用を任せていた友人・親族たちは、投資において収益性以上に結束や一体感を重視しており、外部資金を導入することも望んでいなかった。

最初の一歩は、きちんと報酬を得る仕組みを作ることだった。父は長年の友人や親族と共同投資を数多く行っていたが、ポートフォリオ管理にかかる費用の大部分は、私たちの側が負担していた。

私は父に、「各自で自分たちの費用を負担してもらうよう、メールか手紙を送れないか」と相談したことがある。しかし父は、その案を一蹴した。そこで私は父の同意を得ないまま、親族の集まりの場でこう宣言した。「今後、私たちと共同投資するなら、きちんと応分の負担をしてもらいます」と。

他にも変えるべきことがあった。

私たちはグローバルに機会を追求する姿勢に転換し、ポートフォリオを再調整して新興市場への配分を増やし、先進国市場への配分を減らした。以前は、新興地域市場への投資を補助的な賭けのように扱っていたが、現在ではそれらを構造的な優先事項と位置づけている。ただし、それにはガバナンスの透明性、現地との足並み、そして出口戦略が明確であることを条件としている。

また、直接投資の比率を大幅に高めた。仲介を挟めば、手数料がかかるだけでなく、責任の所在も曖昧になる。そこで、会計士や投資銀行家、そして名ばかりのアドバイザーを排除した。

だが、私がたとえばポートフォリオ資産の関係者が集まる場に足を踏み入れれば、必ず同じような視線や質問を向けられる。「本当に自分が何をしているのかわかっているのか」「本当に理解して話しているのか」と。決して楽ではなかったが、私は「この場にいることに引け目を感じるのはやめよう」と決めた。同時に、徹底的に耳を傾け、学ぶ姿勢も貫いた。

これには非常に繊細なバランスが求められる。私が「恐竜軍団」と呼ぶ長老たちからも多くを学んだ。彼らは私の両親を慕い、一族の資産を守ろうとしている。非常にリスクを嫌う彼らとの関わりを通じて、私は「大きな成果を追い求める前に、まず資産を確実に守ること」が絶対に必要なのだと理解することができたのだ。

ビリオネアたちは2026年、どこを最高の「投資機会」と見なしているのか? UBSのレポートを読み解く | Business Insider Japan

ビリオネアたちは2026年、どこを最高の「投資機会」と見なしているのか? UBSのレポートを読み解く | Business Insider Japan

Share.