21年前、福岡空港の近くで面識のない男に刃物で刺され、命を奪われた23歳の女性。キャビンアテンダントになる夢は突然、絶たれました。愛する娘を失い、長い間生きる意味を感じられずにいた父親。今、娘の姿を追うように、止まったままだった時計の針を動かし始めました。

■福島敏広さん(69)
「事件後、生きていくことの答えを探し求め、悩み続けていました。」

父親が語り出したのは、愛する娘の命を奪われたあの日からのことです。

北九州市に住む福島敏広さん(69)。どんな時間を、どんな思いで過ごしてきたのか、率直な言葉で伝えます。

■福島さん
「犯人への憎しみ。そのような簡単な単語のみでは言い表せない感情のまま生き続けてきた、地獄のような20年です。」

2004年12月から2005年1月にかけ、飯塚市、北九州市、福岡市で3人の女性が相次いで殺害された連続殺人事件。3人を手にかけた男はいずれの被害者とも面識はなく、2011年に死刑が確定し、2019年に刑が執行されました。

福島さんの一人娘・啓子さんは、連続殺人事件の被害者の一人です。出勤途中、福岡空港近くの公園で男に刃物で刺され、命を落としました。23歳でした。

当時、福岡空港で地上支援業務に携わっていた啓子さん。キャビンアテンダントになる夢をかなえるため、仕事を続けながら専門学校に通っていました。

■福島さん
「基本的には真面目な子だったと思います。一生懸命さは伝わってくるね。何でも諦めない。」

犯人への憎しみ、娘を失った絶望的な悲しみで、生きる意味を感じられなくなった福島さん。

■福島さん
「そっとしておいてほしい、顔も見せたくないというのが本音でした。17年間。」

ふさぎ込むような心境に変化が生まれたのは、事件から17年後でした。

■福島さん
「過去を振り返るより、あしたを見つめたいね。子どもが遊んだり、ここで夢を語ったり悩み事を相談したりする公園になってほしいですね。」

啓子さんが命を落とした、福岡市博多区の「大井北公園」。福島さんは、事件後、啓子さんの友人たちが将来に不安を感じたり悩んだりするたびに、この公園を訪れていたことを知りました。

『夢を語り合った友人たちにとって、娘の存在は心の支えであり続けている』

福島さんは、この公園の愛称を「夢を語る公園」にできないかと福岡市に手紙を送り、その願いは3年前にかないました。

■福島さん
「啓子は人と語り合ったり人と接したりするのを大事にしていた子なので。我が子、啓子は夢の途中でそういう形になったので(友人たちは)夢が達成できたらいいかなと。」

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