2025年7月2日 午前7時30分
【論説】幕末の福井藩で武器の製造や洋式帆船の製造に携わり、明治維新後は新政府で殖産興業に尽力した佐々木権六(長淳(ながあつ))。マルチな才能を発揮し、多くの業績を残しながら知名度は低かった。
だが近年、小説に描かれ展示会が開かれるなど関心が高まりつつある。福井の生んだ偉人の一人として大いに注目したい。
福井市の県文書館では「GONROKU」と題した企画展が16日まで開かれている。同館が保管する「松平文庫」の資料を中心に、その生涯をたどる内容だ。知られざる人物像や技術官僚としての傑出した業績を浮かび上がらせている。
1854(嘉永7)年、黒船が再来航した際には、偵察のため藩から浦賀(神奈川県)に派遣され、小舟で近づいて乗り込み、艦内や武器の写生を許され、将校らの求めに応じ特技の剣技を披露したという。20歳の頃、江戸へ出て剣豪に入門したこともあり、技も度胸も抜群だったのだろう。
その後、鉄砲や火薬の製造責任者となり、西洋式帆船「一番丸」の建造も担当。67(慶応3)年には渡米し、ジョンソン大統領に面会。軍施設の視察を許され、大量の武器の購入も果たした。まるでドラマの主人公のような活躍ぶりだ。
江戸の藩邸では62(文久2)年に権六が「ビラスビイデ独行車」を組み立て、前藩主松平春嶽が試乗したとの文書が残る。これは日本における自転車の最古の記録とされる。
明治維新後は新政府の役人として養蚕や紡績に関する研究調査や指導を行った。日本人技術者が初めて手掛けた近代的工場「新町屑糸(くずいと)紡績所」(群馬県高崎市)の所長に就き、建設に携わった点も特筆すべき業績だ。この施設は国の重要文化財として現存する。ウィーン万博では日本館の館外建築や庭園整備で工事監督を務めた。
このように多分野に足跡を残す権六だが、福井では親友だった橋本左内や春嶽ほど知られず、まとまった評伝もなかった。
ようやく今回の企画展を担当した長野栄俊さんが20年ほど前から研究に着手し、2011年に県立こども歴史文化館で、昆虫学者・養蚕学者となった長男の佐々木忠次郎との親子展を開いて注目されるようになった。現在、福井新聞で連載中の馬田昌保さんの小説「左内と権六」でもその活躍の一端が描かれている。
だが、権六には安島浦(坂井市三国町)での築港工事など、まだよく分かっていない業績もある。
幕末維新という日本の大転換期に活躍した権六。その抜群の行動力と知恵は、混迷の時代に生きる私たちにも見習うべき点が多々ある。権六に関する研究と顕彰を進めたい。
