「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。長井好弘の演芸おもしろ帖 襲名や改名、真打ち昇進披露などパーティーといえば、まず思い浮かぶのが東京・上野恩賜公園内にある上野精養軒だ。
不忍池の向こうに見える精養軒(右奥)。四季の自然に囲まれた立地にある。左手前は不忍弁天堂
明治の初期に建てられた日本の西洋料理店の草分けであり、文学作品にも登場する老舗中の老舗である。昭和中期から平成の中頃までは、落語家や講談師の真打ち披露宴といえば、上野精養軒に決まっていた。その後、パーティーが次第に派手になり、上野精養軒では入りきれないような大きなものが出てきたことから、大手ホテルなどを使うことも増えたが、令和の現在、再び上野精養軒の出番が増えてきた。
今年2月25日には「落語協会百年」の記念式典が、上野精養軒3階の桜の間で催された。今からちょうど100年前の1924年、当時の
都(みやこ)
新聞に「上野精養軒で落語協会の発会式」という記事が出た。それなら「百年」の記念セレモニーも同じ会場で、ということになったという。上野精養軒は落語協会よりもはるかに年嵩の先輩なのである。
落語協会百年を祝ってからまもない3月6日、同協会の新真打ち、林家つる子と三遊亭わん丈の昇進披露宴が開かれた。会場も同じ、上野精養軒である。
真打ち襲名披露の口上で、左からわん丈の師匠・天どん、わん丈、つる子、つる子の師匠・正蔵(3月21日、上野の鈴本演芸場)。わん丈はロックバンドでの音楽活動を経て「新作落語のカリスマ」円丈に入門した。つる子の命名の由来は「ツルっとしているから」(正蔵)だとか 同店で一番大きな宴会場である3階の「桜の間」は、壁全体に設けた窓からの眺望が売り物だ。片や陽光にきらめく不忍池の全貌を見ることができ、もう片方は上野公園の緑がこれでもかと広がっている。 ところがこの日は朝からの冷たい雨で、窓越しに見る早春の上野公園には薄もやのようなベールがかかり、冬枯れの風景に舞い戻ったかのようだった。 「近頃、精養軒でパーティーをやると天気が良くないね」「そうなんですよ。落語協会百年の時も雨と風がひどかったもんねえ」 会場の隅で、柳亭市馬・落語協会会長とこんなやりとりをした。外は冷たい雨、でも「桜の間」では花見の宴
ところがこの日の宴席は、そうした外の寒気が入り込む余地がないほど盛り上がった。主役の新真打ち、林家つる子と三遊亭わん丈は、同協会では久々の
抜擢(ばってき)
扱いだ。2人とも十数人を抜いての昇進だけに、落語界や演芸ファンの期待は大きく、会場は独特の華やかな空気に加え、ムッとするような熱気が渦巻いていた。
来賓には、落語協会の良きライバル、落語芸術協会から参事の桂米助がやってきた。かつては「突撃! 隣の晩ごはん」の一言で満場を笑いに包んだ人気者も、今は肩書きが違う。 「ユーチューバーの桂米助です」 不敵に笑う米助。「隣の晩ごはん」と同様、ノーアポイントでデジカメ片手に突撃するので、芸人たちも恐れおののいている。おそらく近いうちに米助の「YouTube」につる子とわん丈が登場するのだろう。舞台裏でどんなインタビューを受けたのかと詮索したくなる。
始まったかと思ったら、もう中締め
(注1)
だ。協会理事・金原亭馬生の挨拶も米助に負けてはいない。
「つる子はどう見たって温泉宿の若
女将(おかみ)
でしょう。(横にいるわん丈を見て、はたと考え)わん丈は……結婚詐欺師に見えます」
馬生の冗談発言に場内大爆笑。必死で手を振り否定するわん丈の横で、つる子が笑いこけている。
パーティーは余興も楽しみ。この日は女性ばかりのサンバチームが、会場の耳目を独占した。頭とお尻に極彩色の羽根飾りをつけた女性8人が、会場のあちこちに分かれパワフルに踊りまくる。強烈な刺激に当てられたのか、一緒に踊り出す芸人もいる。途中、三味線の寄席
囃(ばや)子(し)
に合わせて踊るというコラボも披露したが、微妙にステップが合わないのがかえって面白い。最後はつる子、わん丈も舞台に上がり、派手なサンバチームに囲まれて、ぎこちなくポーズを取った。
華やかなサンバチームが会場を盛り上げた余興。多くの仲間や招待客が新真打ちの門出を祝った
つる子が壇上に上がるたびに、「つる子
綺(き)麗(れい)
だ!」「好きだなあ」。来賓が挨拶をすれば「いよ、(柳家)さん喬、たっぷり!」などと変な掛け声を連発する客がいる。誰かと思えば、つる子が所属する根岸(初代林家三平)の一門の大先輩、林家源平だ。当人は後輩たちの宴を盛り上げようと、目一杯のサービス精神を発揮しているつもりなのだが、微妙に「間」を外した掛け声に芸人たちは苦笑いをするばかり。同じ一門の後輩でもある司会の林家たい平に「源平師匠、あと一回で退場ですからね」とサッカー並みの厳重注意を受けていた。
最後は新真打ちの挨拶。つる子が「披露興行、頑張ります!」と拳を握れば、わん丈は空を仰ぎ、2021年11月に亡くなった元の師匠、三遊亭円丈へ「師匠、ありがとうございました!」と叫んだ。その横で、「今の師匠は俺なんだけど」と言わんばかりに、円丈から弟子を引き継いだ現在の師匠・三遊亭天どんが己の顔を指差し、満場の温かな笑いを誘った。 わん丈はさらに言葉をつないで、「僕は寄席に1人でも多くのお客さんを呼びたい。そのためには結婚詐欺でも何でも……。馬生師匠、やり方教えてください」と、先ほどの馬生のエール(?)に見事に応えた。
上野のお山を下りてきた交番横の早咲きの桜はほぼ満開だった(3月6日、写真は一部加工してあります) 披露宴からの帰り道、上野公園を鈴本演芸場の方に歩いた。雨は小降りになったが、まだ休むことなく降り続いている。公園の出口近くになって空が明るくなったような気がした。見上げると、交番横の早咲きで知られる桜が2本。七分咲きか、いやもう八分は咲いている。上野精養軒の「桜の間」から、上野公園交番横の桜へと、見事なリレーで「つる子・わん丈」の真打ちの門出を祝ってくれているのかもと、柄にもなく優しい気持ちになった。晴れの日に満開の祝い桜は間に合わず
月末の31日に再度、上野精養軒に出かけた。「落語協会百年」も含めて、この春3度目。今回は、講談の「
梅(うめ)湯(ゆ)
改め四代目宝井
琴(きん)凌(りょう)
真打ち昇進披露宴」である。
前夜まで天候を心配していたが、今日は快晴だ。気温も急上昇して午前中から20度を超えそうな勢いだという。 都内では桜の開花宣言があったばかり。出かける場所は、都内有数の花の名所、上野公園だ。そして宴席は「桜の間」。満開の桜に祝福される、これ以上にない披露宴ではないかと、我がことのように喜んで出かけた上野公園に、なんと桜が咲いていない! 日本人、外国人の区別ができないほど、公園内の道は大変な人出だ。ワゴン車の屋台が至る所に出ていて、飲み物やスナック類を売っている。道の両脇は一族郎党、親類縁者、サークルの若い仲間などが車座になって花見の宴の真っ最中だ。だがしかし、肝心の桜は一分咲きなのだ。 「花見に行ってきたかい?」「ああ、すごい人だったよ」「花はどうだった?」「桜は……、咲いてたかなあ」
「長屋の花見」「花見酒」に「花見の
仇(あだ)討(うち)
」。花見のネタのまくらを、思わず思い出していた。
この日の宴は、講談のパーティーにしては珍しく
洒(しゃ)落(れ)
た雰囲気だった。宴の幕開け、おめでたい獅子舞に先導され、主役の新真打ち四代目宝井琴凌と、その師匠の宝井
琴(きん)梅(ばい)
が会場に入ってくる。その時の音楽が「A列車で行こう」の生演奏だった。
オールドジャズが流れる大人の空間で催される講談師の披露宴。講談らしい生真面目さとざっくばらんな親しみやすさ、硬軟入り混じったが空気が何とも心地よい。 講談らしい「硬」の代表は、米寿を過ぎた演芸評論家の重鎮、保田武宏氏による解説だ。その際、各テーブルに「琴凌代々」を詳述する“テキスト”が配られた。 「この資料は講談研究家であり、梅湯さんに琴凌襲名を勧めていた吉田修さん(2022年没)の著書『東都講談師物語』からいただいたものです。本来なら吉田さんが解説すべきものですが、今日は米寿というおめでたい年齢の私が申し上げましょう」 披露目の宴席で、時ならぬ講談教室が始まった。琴凌という名前は師匠の「馬琴」を「凌ぐ」という意味である。初代琴凌は東流斎という亭号だったが、肥前松浦侯の屋敷に招かれて「赤穂義士銘々伝・大高源吾」(芝居の「松浦の太鼓」)を読んだことからお出入りとなり、松浦侯の勧めで、東流斎から俳人の宝井其角にちなんだ「宝井」へ改名した。三代目琴凌は、四代目馬琴の高弟であり、師匠の死後、五代目を名乗ることもできたのに、末弟の琴鶴に名跡を譲った。このことに感謝した五代目馬琴は「俺の目の黒いうちは一門に琴凌を作らない」と公言し、その弟子の六代目馬琴も五代目の考えを尊重した。それが三代目琴凌没後、88年も「琴凌」という名を継ぐ者がいなかった理由である――などなど、保田氏は貴重な講談の歴史を、高齢とは思えぬよく通る声で明快に語ってくれた。
襲名披露パーティーで師匠の琴梅(右)と並ぶ梅湯改メ琴凌。30歳を過ぎてから入門した遅咲きだ。「名人・馬琴を凌ぐ」という意味の名前が88年ぶりに復活した
講談らしからぬ「軟」の空気を醸し出していたのは、本日のゲストでもあるシニア世代のジャズバンドの生演奏だった。リーダーのサックス奏者、五十嵐
明(あき)要(とし)
さんは91歳。二代目神田山陽と縁が深かった八丁堀の講釈場「
聞(ぶん)楽(らく)亭(てい)
」の子息だという。演奏途中で司会の宝井琴鶴がインタビューを敢行。「江戸時代からやっていた寄席でしたが、昭和20年(1945年)の(東京)大空襲で焼けちゃった。今となっては懐かしいです」
東京で芸人になる夢を叶え、真打ちになった姿を父に見せたかった 最後は琴梅、琴凌師弟の挨拶だ。この日の会場では「桜が満開かと思ったら、咲いていなくて残念」という会話があちこちで聞かれたが、琴梅も弟子の晴れの日に桜が間に合わなかったのが心残りだという。 「でもね、遅咲きの桜というのは、この琴凌に似合っていると思うんですよ。山形から出てきて、30歳過ぎと言う、芸人としては遅い入門をしてから14年、ひたむきに頑張ってきた。遅咲きであっても、真打ちになっても努力を続け、立派な花を咲かせてくれると思います(場内喝采)」 四代目を襲名した琴凌は淡々と修業時代を振り返った。 「山形で生まれ、山形で育ち、地元で就職して、俺は一生山形で暮らすんだと思っていた。それが社会人5年目に両親にも相談せず突然会社を辞め、芸人になるために東京へ出ていった。本当に親不孝で、会社の皆さんにも迷惑をかけた。父親は、私が二ツ目になる時、わざわざ山形から高座を見に来てくれた。残念ながら真打ち昇進には間に合わず亡くなってしまったが、雲の上で喜んでくれていると思います。いきなり退職願を出した会社の社長さんは、今日の宴席に来てくれました」
2012年に若手講談師の会を始めたころ。右端が、前座2年目だった琴凌(当時は梅湯)。二ツ目まで名乗った「梅湯」は、故郷の山形県が温泉どころであることに由来する 会場後方の席で立ち上がり、照れ臭そうに深々と頭を下げているのが社長さん本人らしい。周囲の人々との本音の付き合いをしている。それがそのまま、新真打ち琴凌の個性と人柄なのだろう。 ほっこりした思いを胸に抱いた宴の後、相変わらず人出で大にぎわいのメイン通りを何とか縦断して、上野駅まで戻った。行きは一分咲きだった桜が、ほんの数時間で三分咲きぐらいまで花開いた気がする。
落語協会の林家つる子、三遊亭わん丈、そして講談協会の四代目宝井琴凌、5月には落語芸術協会でも、3人の新真打ち
(注2)
が誕生する。早咲き、遅咲きにかかわらず、美しく長く、咲き誇ってほしいと祈らずにはいられない。
(注1)芸人の披露宴では、来賓の挨拶と乾杯が終わった後、すぐに中締めが行われるので、慣れない参加者は驚くに違いない。出席者に現役の同業者が多く、中には寄席の出番が迫っているので早々に退席しなければならない者もいる。そういう芸人のために、宴会半ばで一度、「シャンシャンシャン」と手締めをするのが慣例になっているのだ。
(注2)春雨や風子改め
雲(うん)龍(りゅう)亭(てい)雨(あめ)花(か)
、くま八改め四代目山遊亭金太郎、神田真紅改め三代目
松(しょう)林(りん)伯(はく)知(ち)
。新真打全員の名前が変わるのは珍しい。
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プロフィル
長井 好弘(
Nagai Yoshihiro
)
1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。
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