
鴻巣友季子の文学潮流(第37回) 国際ブッカー賞受賞「Taiwan Travelogue」(台湾漫遊鉄道のふたり)を翻訳の視点で読み返す
先日、英語文学最高峰の賞、国際ブッカー賞が発表された。受賞作は楊双子作、Lin King英訳のTaiwan Travelogue。日本でも2023年に『台湾漫遊鉄道のふたり』として三浦裕子訳で中央公論新社から翻訳出版され、日本翻訳大賞を受賞しており、日本では新刊ではないが、この国際的に人気を博す小説について改めて紹介しよう。
同作は2021年には台湾で金鼎奨(Golden Tripod Award)を、2024年には全米図書賞翻訳部門も受賞している。偽書あるいは疑似ドキュメンタリー(モキュメンタリー)の手法としても高く評価された。モキュメンタリーは日本作家で目下、Strange Picture(『変な絵』のJim Rion英訳)でダガー賞翻訳部門の最終候補となっている雨穴も、楊とは異なるスタイルで追究している分野だ。
今回の国際ブッカー賞はどのような理由で授与されたのだろう。審査委員長のナターシャ・ブラウンの言を引用しよう。
「愛は権力的不均衡を乗り越えることができるのか? 2026年国際ブッカー賞受賞作Taiwan Travelogueは、日本統治下にあった1930年代台湾を背景にこの問いの微妙なニュアンスを丹念に描き出す。<中略>『台湾旅行記』は驚くべき二重の達成を成し遂げている。すなわち、ロマンス小説としても、鋭利なポストコロニアル小説としても成功しているのだ。 本作の多層性について審査員たちはきわめて豊かな議論を交わすことができた。読者を捕えて離さない、遊び心に満ちながら洗練された小説である」
植民地政策、帝国主義というものにも鋭く切りこんだ作品として読まれているということだ。
偽書スタイルのからくり
舞台は1938年(昭和13年)ごろの日本統治下にある台湾である。語り手でもあり主人公の一人でもあるのが、青山千鶴子という日本人作家。では、何語で書かれているのか? この小説は言語的にかなりの重層性を擁しており、これはたんなる文学遊戯的な企みではない。まず、日本作家青山千鶴子が書いた『台湾漫遊録』という本があり、これが後に『私と千鶴の台湾漫遊録』というタイトルで再出版されたことになっている。
そしてこの本を、通訳として千鶴子に同行した王千鶴という中国人女性が中国語に翻訳。さらに、その自費出版本を後年、楊双子が発見し、再編集・注釈をほどこしたのが本書という設定なのだ。
ここで、西洋小説の始祖とも言われるセルバンテスの『ドン・キホーテ』を思いだす読者もいるだろう。あれも、「シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ」という人物が書いたアラビア語の写本をセルバンテスが偶然発見し、それをモリスコ人(キリスト教に改宗させられたイスラム系スペイン人)にスペイン語に翻訳させ、それを編集したという設定だ。
つまり出版された時点ですでに翻訳書だったという体裁である。これを翻訳学の用語で「生まれつき翻訳(Born Translated)」などと呼ぶ。こうした偽書には、メアリー・シェリー『最後のひとり』、ナボコフ『青白い炎』、カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』など名作が多いと言える。
作者が中国文学だけでなく、セルバンテス、ボルヘス、ナボコフといった重層的テクスチュアリティの書き手に影響を受けているのが感じられる。それが欧米で評価が高いゆえんでもあるだろう。
とはいえ、楊双子は作者あとがきで偽書のからくりをばらしている。「鉄道、美食、百合*(女性同士の愛情関係)を愛する歴史小説家として、これらの要素を組み合わせてひとつの迷宮を造り上げ、読む人を台湾という島の昭和時代の旅へと誘おうと試みたのが、『台湾漫遊鉄道のふたり』です」と。これが安心して読める要素の一つになっているだろう。
千鶴子と千鶴の人物造形としては、虚構である小説を真実の歴史に近づけるため、日本作家林芙美子と、台湾作家楊千鶴の経歴を参考にし、部分的に檀一雄と池波正太郎の作品イメージも取り入れたと述べている。
ライトな文体に隠された批評性
物語の内容はというと、各章においてふたりは飽くなき食への執着と愛を発揮し、台湾の美味を食べまくる。刺身、すき焼きなどの日本料理から、肉臊(そぼろ)、冬瓜茶、米篩目(米粉麺)など、ポピュラーな軽食、そして麻薏湯(黄麻の若葉を使ったスープ)、兜麺(具だくさんの麺)、菜尾湯(具だくさんのスープ)など、台湾人ですら食べた経験を持つ人は限られるという料理まで多種多様な食べ物が百花繚乱だ。食の喜びが横溢している。
いま全世界的に大ヒットしている日本人作家柚木麻子の『BUTTER』(ポリー・バートン訳)も、グルメ小説として受容されている面があるが、美味の探究というのはワールドワイドな関心なのだ。
しかしTaiwan Travelogueにはシリアスな面がもちろんある。台湾とはなにかという問い。千鶴子と千鶴は親愛関係を深めていくが、やはり支配側の日本人と被支配側の台湾人という境界線が取り払えない。
千鶴は千鶴子と距離をとらざるを得なくなり、千鶴子は自分の中にある支配者的視点に気づかされる。
本書はメタフィクション的な入り組んだ結構を持つわりに、文体はライトで非常にリーダブルだ。しかしこの表向きの軽さに「欺かれ」てはいけないだろう。翻訳(通訳)という媒介が台湾と日本を語るうえで決定的なポイントとなる。
本書は日本語で書かれたテクストを装っているが、台湾には現実に日本語で書かれた・書かされた文学(日本から見て外地文学などと呼ばれる)があり、それは戦後失われたり、翻訳を介さなくては読めなくなったりしている。日本語で書かれ中国語に翻訳されたふりをすること、その架空の「訳し戻し」のプロセス自体が重い批評性を帯びている。
ふたりの千鶴の関係にも翻訳という行為が介在する。介在というより、ふたりを繋ぐものが通訳という営みなのだ。被支配者の通訳が帝国の言語との間をとりもつこと。「真の作者はだれなのか」というオリジナルの不透明さ。そこには深淵が口を開けているはずだ。その批評性は、台湾と日本、中国語と日本語という”当事者”を離れた英語という他言語に訳されてより鮮明になったのかもしれない。
とはいえ、作者の楊は、かつての日本帝国に対する台湾人の感情は嫌悪だけではないとしている。「台湾では嫌悪と郷愁が複雑に入り混じっている。私は現代台湾の視点から、当時の台湾人たちが置かれていた複雑な状況を解きほぐし、さらに私たちがどのような未来を目指すべきなのかを探ろうとした。/旅と食というこの小説の中心テーマのためのリサーチは、私の人生を二つの意味で変えた。貯金が減って、体重が増えたのだ」
ちなみに、版元は独立系出版社のアンド・アザー・ストーリーズ。 昨年のバヌ・ムスタグ作、ディーバ・バスティ訳のHeart Lampでも受賞をさらっている、賞に強い小版元であり、このことも今回の受賞に寄与したかもしれない。
