
メイキングカット。ドウェイン・ジョンソン(左)とベニー・サフディ
“ザ・ロック”という名が象徴するのは、揺るぎない強さだった。鍛え上げられた肉体、圧倒的な存在感、どんな困難も跳ね返すヒーロー像——ドウェイン・ジョンソンは長らくそのイメージを背負いながらハリウッドの頂点を走ってきた。だが5月15日公開のA24製作の映画「スマッシング・マシーン」で、彼は自らそのイメージを解体する。そこでジョンソンが演じるのは、”最強”の称号の裏側で静かに壊れゆく男だ。
本作が描くのは、1997年から2000年にかけて総合格闘技の世界で活躍し、日本の「PRIDE」でも“霊長類ヒト科最強”として愛された伝説のファイター、マーク・ケアーの実話である。無敗の王者として頂点に立ちながら、ケアーは勝利の重圧、薬物依存、そしてエミリー・ブラントが演じるパートナー、ドーンとの関係に追い詰められていく。
そうしたケアーの知られざる一面を捉えたドキュメンタリー映画に深く感銘を受けたジョンソンが、その映画化に向けて奔走。そのため主演のほかにプロデューサーも兼任している。そんな彼が監督として白羽の矢を立てたのが、「アンカット・ダイヤモンド」などで知られるベニー・サフディだ。これまでサフディ兄弟名義で活動してきた彼にとって単独での初監督作でありながら、第82回ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞(監督賞)受賞という快挙を達成した。なお、兄のジョシュ・サフディが単独で監督したのが「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」(2025)。どちらも重要なシーンを日本で撮影したという点で共通している。
強靭な身体は、何かを隠すための鎧になり得るのか。勝利を求められ続ける男は、敗北の果てに何を見つけるのか。ドウェイン・ジョンソンとベニー・サフディに、実在の人物を演じ、描くことの責任、そして“本当の強さ”について聞いた。

ベニー・サフディ監督(左 PHOTO:YUTAKA KISHI)とドウェイン・ジョンソン
マーク・ケアーの魅力

メイキングカット
——マーク・ケアーという人物はベニー・サフディ監督がこれまで描いてきた主人公像とも、ジョンソンさんが演じてきた主人公像とも大きく異なりとても繊細で脆さを持つ人物です。そのような人物を中心に据えることはこれまでにない挑戦だったと思いますが、それぞれケアーのどのような部分に魅力を感じ、このプロジェクトに挑んだのかを教えてください。
ドウェイン・ジョンソン(以下、ジョンソン):私がマーク・ケアーという人物、そして彼を演じることに惹かれたのは、多くのものを持つ1人の人物の探求をしたいと考えたからです。かつては地球上で最も偉大なファイターとして、彼はすべてを手に入れていた。才能に溢れ、負け知らずで、超人的な強さを誇っていました。しかし実際は、私たちの誰もが押しつぶされかねないもの——プレッシャーによって深く苦しめられていたのです。彼は「最強の男」という鎧を身につけ続けなければならなかった。私はそれがとても難しいことだと知っている。だからこそ彼に惹かれたんです。
想像してみてください。私たちは皆、外に出るときには「一番良い自分」を見せようとしますよね。だから鎧を着る。自分は有能で、物事を成し遂げられて、信頼できる人間だと思われたい。でも、実際はいつもそういられるわけではありません。マークに関して言えば、彼はそのプレッシャーに耐えきれずに崩れてしまった。無理もありません。彼は依存症という大きな困難を抱えていました。それでもなお「最強の男」という鎧が剥がれないように、依存症の中で必死に闘っていた。今ではベニーも私もマークとすっかり親しくなり、彼のことはいろいろと知っているんですが、日本のファンに対する彼の愛には限りがないんです。というのも、日本の人々は心が折れた彼に生きる力と救済、そして赦しを与えてくれたから。それはなかなか得られるものではありません。それも彼に惹かれた要素のひとつでした。
またこのプロジェクトに臨む上で私にとって何より重要だったのは、ベニー・サフディの存在、彼のビジョン、そして私たち全員が深く入り込み、皆が自分自身に挑める場を作ることでした。ベニーは最初から「史上最もリアルなスポーツ映画を作りたい。限りなく本物に近いものにしたい。そして人間性を真正面から見つめたい」と言っていました。
ベニー・サフディ(以下、サフディ):ドウェインが言ったことが本質だと思います。その上で付け加えるなら、マークはあれほど大きな存在感を放ちながら、自分を目立たせまいとする。身体が大きいぶん、ファイターとしての威圧感を隠すことは難しい。でも実際の彼はとても控えめで礼儀正しく、ユーモアもある魅力的な人物で、まるで「身体の大きいファイターとしてではなく、その奥にいる自分を見てほしい」と言っているようなんです。
そんな性分でありながら、彼は人を殴り倒すスポーツに身を置いている。相手を徹底的に叩きのめしてから、申し訳なさを覚え、相手が大丈夫かを気にかけるのです。その矛盾に強く惹かれました。一人の人間の中に、相反する二つの側面が存在している。ではその二つの側面をリングの外でどう折り合わせていくのか。相手を叩きのめすような感情に身を委ねたあと、それは彼の内面に何を残すのか。そして優しさや愛、親密なつながりを必要とする相手と、どう関係を築いていけるのか。リング上にいる彼は、誰もが見ることができます。ではリングの外ではどうなのか。そして彼の内側では何が起きているのか。この映画は、それを探求する試みでした。彼をスクリーン上で立体的な人物にしたかったし、そうした矛盾を抱えた彼の存在を目撃する感覚を描きたかったんです。
それは演じるドウェインにとっても、エミリーにとっても、非常に高いハードルでした。できる限り本物であることを求めていたから。台詞の間、すべての動きのリズム、ふとした微細な反応、肩の向き一つに至るまで、すべてが100%本物でなければならなかった。彼らならそれができると分かっていましたし、ドウェインなら必ず応えてくれると信じていました。完成品を観るとき、私は何度もシーンを見返すんです。だって彼らの演技を見るのが好きだから。まるで魔法のようなんです。彼らの演技を見ていると、その場に一緒にいるような気持ちになる。それはとても特別なことだと思います。
実在の人物を描くことの責任
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——これまで監督が手掛けた劇映画の中で唯一のノンフィクションであり、現代劇でない作品でもあります。実際の物語だからこそ、よくあるスポーツ映画やロマンス映画のような典型的なクライマックスは訪れない。それはこれまでの映画づくりと違ったと思いますが、製作する上で苦労はなかったのでしょうか?
サフディ:劇映画として実在の人物を描くのは初めてですが、実は以前、高校バスケ界の元有名選手を題材とした「Lenny Cooke」(2013)というドキュメンタリーを撮ったことがあるんです。その編集をしていたとき、「実在する人物を描く以上、その映画が本人の見え方を大きく左右してしまう」という事実がずっと頭にありました。その映画によって被写体がそれまで築いてきたイメージを超えるかたちで、新たな人物像が世の中に広がっていく可能性もあるわけです。レニー・クックもまた、ある時期にバスケ界で脚光を浴びながら、その後栄光から遠ざかっていった人物でした。彼の人生を振り返る中で、私にはある種の「責任」があると感じました。それは彼に実際に起きた出来事をそのままなぞることではなく、その物語に対して誠実であること。その責任の重さから、悪夢を見ることもあったことを覚えています。
今作「スマッシング・マシーン」では、その責任はさらに大きなものになりました。今回は実際の映像を扱うのではなく、自分たちの手で出来事を再現しなければならなかったからです。いくつもの瞬間を再構築し、さまざまな要素を映画に取り込んでいかなければならなかった。本作には、細部まで徹底的に再現した部分が数多くあります。並べて参照できるドキュメンタリー(※)が存在するからこそ、その二つが互いに呼応するようにしたかった。そしてこれまでにないレベルで現実を再現できるのかを確かめたかったんです。
※本作の着想源となったマーク・ケアーのドキュメンタリー「The Smashing Machine: The Life and Times of Extreme Fighter Mark Kerr」(2002)
それを実現するには、俳優たちの演技がとてつもなく高い水準に達していなければなりませんでした。同時にカメラもまた、現実をそのまま捉えているように見せなければならなかった。あらかじめ動きを設計していたとしても、まるでその場で初めて何かを見つけたかのように見せたかったんです。
——過去の出来事を本物のように再現するため、具体的にどのようなことをしたのでしょうか?
サフディ:例えば、カメラが何かを見つけようとして下へ動く。その動きも事前に設計されています。今回はマークの家のセットを建てました。もちろん彼の実際の家を基にしていますが、同時にカメラをどこに置けるか、どこに隠せるかという視点からも設計しています。なぜならドウェインやエミリーがシーンの中でリアルに動けるようにしたかったから。そうやって事実を再現していくことで、観客には、その時代、その瞬間の空気を感じてほしかった。熱に浮かされた夢のように、あの時間を体験してほしかったんです。だから16ミリフィルムでの撮影が重要になりました。ファイトシーンの一部はビデオで撮りましたが、基本的には16ミリで撮りたかった。そうすることで、映像にどこか夢うつつな質感を持たせたかったんです。
もう一つ大切にしたのは映画全体のリズムです。観客には、マークやドーンと同じ時間を過ごしているように感じてほしかった。同時に、いつ何が起きてもおかしくないような張りつめたプレッシャーも感じてほしかったんです。格闘家であるマークという存在、そして彼とドーンの関係性を考えると、常にどこか不穏な空気が漂っている。二人の関係はとても衝突的で、互いに求め合いながらも、それぞれが自分のやり方で相手の注意を引こうとしているんです。マークとドーンは今も生きていて、この映画とともに生きていくことになります。だからこの映画が彼らをどれだけ誠実に描こうとしているのかを、彼らにも理解してほしかった。
それで制作の過程に彼らを招き入れ、私たちがこの映画で何をしようとしているのかを共有する必要がありました。それは彼らに拒否権があった、という意味ではない。事実を描く以上、「こう見えるのは嫌だから変えてほしい」と言えば変えられるようなものにするつもりはなかったので。ただ自分たちがどのように描かれるのかを、きちんと受け止められる状態でいてほしかったんです。だから時間をかけて説明し、対話を重ねました。それはきっと、私が人間として大切にしている部分なのだと思います。この映画が、彼らの人生にとって何かを奪うものではなく、むしろ何かを与えるものになってほしかった。ただし、それは作品を手加減するという意味ではありません。限りなく本物に近づこうとするからこそ、彼らとの対話が必要だったんです。

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演じる上で話し合ったこと

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——サフディ監督はこれまでもロバート・パティンソン(「グッド・タイム」)やアダム・サンドラー(「アンカット・ダイヤモンド」)など、人気俳優の知られざる一面を作品の中で引き出してきました。今回のジョンソンさんはその最たるものだと感じました。レスラーとして固定化された「強さ」のイメージを逆手にとった演技には真実味が宿っていましたが、内面から滲み出るようなその演技に辿り着くため、2人の間でどのようなお話をされたのでしょうか。
ジョンソン:褒めていただきありがとうございます。ベニーと私はかなり早い段階から、マークを演じることがどれほど素晴らしい機会となるかについて話していました。かつてリングに立っていた彼は地球上で最も偉大なファイターでしたが、同時にその内側には豊かな感受性を持ち、脆さと「恥」を抱えて生きていたんです。恥というのは、心理的にも感情的にも人をどん底まで追い込むもの。彼は薬物使用や依存症を含め、自分が何をしているのか理解していました。それでも自分の人生を何とか保つために、そうしたものに頼らざるを得なかった。
だからベニーとは、俳優としてそんな彼の内面にどう入り込み、信憑性のある演技をどうつくり上げるかを話し合いました。重要だったのは、感情を出しすぎないことでした。ただ抑え込むのではなく、抑えた表現の中にいくつもの層を持たせること。そして沈黙や間を恐れず、そこに留まれることが大切だったんです。俳優はどうしても沈黙が生まれると何かで埋めたくなる。言葉を足したり、動きを加えたりね。でも今回はそうしない。ただその沈黙の中にいる。それでいいんです。
——これまでさまざまな映画で「強い男」を演じられてきましたが、「弱さ」を追求する本作の演技経験はやはり特別なものだったのでは?
ジョンソン:ええ。正直に言うとベニーが「君とこの映画を作りたい」と言ってくれた瞬間から、これが特別な挑戦になるということは分かっていました。話し始めてすぐに彼のビジョンを理解しましたし、撮影中は毎朝、現場に向かうのが待ちきれなかった。4時間かけて特殊メイクを施される時間さえ刺激的に感じていました。俳優としてこれほど生きている実感を持てることはなかなかありませんし、本当に大切な経験でした。だからこそ、ベニーと次の作品で再び一緒に仕事ができることを今から楽しみにしています。その作品についても、いずれ日本に来てお話しする機会があると思います。
——サフディ監督はケアーの内面をどのように分析し、ジョンソンさんの演技をディレクションしたのでしょうか?
サフディ:私たちが役についてどれだけ具体的なところまで話し合えるか、それが本当に重要だった。ドウェインが言う通り、キーとなるのは「恥」という感情です。恥は人の振る舞いにさまざまな影響を及ぼします。恥を感じた人は「ああ、どうしよう!」とあからさまに怯えて縮こまるわけではありません。むしろそれを隠そうとする。では恥を隠そうとするとき、人は何をするのか?自分の恥を悟られまいとして、ごく小さな仕草や振る舞いで埋め合わせようとするんです。「自分が恥を感じていることを知られたくない」と。それが恥に対する最初の反応なんだと思います。私たちはそういったことを話し合っていました。例えばマークが鎮痛剤を打って朦朧としながらテレビを観ているとき、パートナーのドーンが部屋に入ってきますよね。そのときマークはほんのわずかに自分を取り繕おうとするんです。その小さな仕草が、ものすごく多くのことを語っている。
撮影中、ドウェインにはどんなことでも求められると感じていました。彼は私たちの会話を丁寧に咀嚼し、それを具体的な仕草として演技に落とし込んでくれる。その過程を目の当たりにできたことは、本当に刺激的で豊かな経験でした。これほど率直に考えを共有し合える相手はそう多くいません。でもドウェインとはそれができた。私が投げかけたものを彼は受け止め、彼が返してくるものを私も受け取ることができる。現場では多くのことを変えながら、瞬間ごとに芝居が命を持ち、動き出していきました。そのプロセスは本当に楽しかったです。うまくいった瞬間にはちゃんと手応えがありますから。私はそれを「暗証番号の知らない金庫を開けるようなもの」だとよく言っています。ある瞬間、ダイヤルがカチッとはまる。その音が聞こえるんです。そこから次へ進むと、また別のカチッという音がする。そして金庫が開いた瞬間、中にあるすべての財宝が自分たちのものになるんです。
ジョンソン:良い表現ですね。すごく好きなので、書き留めておきます(笑)。
——ケアーが抱いた“男らしさ”や“強くあること”、“負けないこと”へのただならぬプレッシャーは、同じファイターとしてジョンソンさんも感じてきたことではないかと思います。
ジョンソン:その通りで、私はマーク・ケアーに深く共感しています。プロレスとMMA、PRIDEとWWF/WWE——団体や競技は違っても、そこには同じリングがあり、同じプレッシャーがあり、同じジムがあり、同じように薬物や依存症の問題がありました。2、3カ月前、自分のキャリアを振り返って数えてみたのですが、私は依存症によって15人の友人を失っています。プレッシャーに耐えきれず自ら命を絶った人もいれば、依存症の果てに過剰摂取で亡くなった人もいる。マークも、簡単にその一人になっていたかもしれません。でも彼はそれを乗り越えた。
だから「スマッシング・マシーン」は、さまざまなものへのラブレターでもあります。苦しみながら生き延びることができなかった人たちへ。そしてマークのように生き延びた人たちへのラブレターでもある。そういう意味でマークに個人的なつながりを感じていました。そしてベニーもまた彼に重なるものを感じていたと思います。もちろん私たちは、過剰摂取がどんなものなのか、あれほど深い依存症がどんなものなのかを実体験として知っているわけではありません。それでも、依存症を抱える人を愛する痛みは知っている。そして人から求められることや、プレッシャーを感じることがどういうものなのかも。
そうした共通点が、私たちをこの作品へと強く引き寄せました。私もベニーも苦しんでいる人たちへの共感をより深めることになった。その苦しみは今も続いています。世の中には今も苦しんでいる人がたくさんいる。だからこそ「スマッシング・マシーン」には、たとえ言葉にできなくても、観る人の心に何かを残す力があるのだと思います。
人生における本当の勝利とは

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——観た人の反応で印象に残っているものはありますか?
ジョンソン:ベニーがアダム・サンドラーに今作「スマッシング・マシーン」を見せたあと、彼はすぐに私へ連絡をくれました。アダムはベニーの大親友であり、私にとっても友人です。そのとき彼が電話口で「こんな映画は人生で一度も観たことがない」と言ってくれたことを、私は一生忘れません。さらに彼は「どう説明すればいいのか分からない」とも話していました。でも、この映画が何かしらの感情を呼び起こしたことは確かです。それは題材の力でもあり、この映画の出発点にも関わっているのだと思います。本作は「興行的成功を狙おう!」と始まった映画ではありませんでした。そうではなく人間というもの、人が抱える弱さや苦しみについての作品を作ろうとしていた。これは世界の重圧に押され、引っ張られながら、それでも必死に生きている人たちについての映画なのです。
サフディ:この映画は、観客が観る前に抱くある種の期待を利用しているのだと思います。それは「最強の男」と見なされていたマーク・ケアーという人物のあり方そのものとも重なっている。観客は最初「こういう映画だろう」という先入観を持って観始める。けれど途中からこの映画が本当は何なのか、マークが何者なのか、そして自分がこの世界にどう入り込んでいるのかを真に理解し始めるんです。そして観客はまるで催眠のように引き込まれ、やがてその感覚に飲み込まれて言葉にできなくなる。
この映画が公開されてから、実にたくさんの人から連絡をもらいました。「映画に入り込んでいるあいだに感じていたあの感覚をうまく言い表せない」と。ある人は「終わってほしくなかった」と言い、別の人は「ただマークと一緒にいて、彼を見ていたかった」と送ってくれた。私もまさに同じ気持ちでした。だからこそ、この映画を作ったんです。
——典型的な勝利に帰結しないラストシーンが強く印象に残っています。とりわけケアーとコールマンの表情の対比は、勝利の重圧と解放を見事に表していたと思いますが、お二人は「真の勝利」というものをどう捉え、本作でどのように表現しようと考えたのでしょうか。
サフディ:本当の勝利とは、自分自身で判断するものだと思います。この映画が語っているのもまさにそこです。周りの人たちが勝利と呼ぶもの、いかにも勝利のように見えるものがある。でも本当の勝利は、自分の内側から来なければならない。「自分は勝った」と感じられるのか。それがすべてだと思います。
マークがシャワーを浴びている場面で、彼はついに自由を感じる。あの感覚こそ、この映画を通して観客に体験してほしかったものです。私たちには「スポーツ映画とはこう感じるものだ」と刷り込まれている部分があります。この映画でも、観客は同じような感覚に辿り着く。ただしそれを正反対の視点、つまりは敗北から味わうことになるんです。そしてこの映画は「本当に見るべき場所はそこなのだ」と教えてくれる。周りがどう評価するか、誰にどう思われるかではなく、自分の内側で何が起きているのかを見るべきなんです。なぜなら本当の勝利は外から与えられるものではなく、自分の内側から生まれるものだから。
ドウェイン:「人生における本当の勝利とは何なのか」——私自身、長い時間をかけてその答えを探してきました。20代の頃は分かっていませんでしたし、30代でもまだ分かっていなかった。40代になってようやく探し始めたんです。ここで言う本当の勝利とは、まさにベニーが話していたことだと思います。自分自身とずれていないか、自分の中にしっかり軸を持てているか。人生には、私たちを外部のノイズに夢中にさせ、あらゆる方向へ引っ張る性質があります。スマホを手に取った瞬間から置く瞬間まで、実に多くのものが私たちを一番大切なものから引き離していく。
その一番大切なものとは、自分の中にしっかり軸を持ち、自分にとって本当の「なぜ」を理解することです。なぜそれをやるのか。私たちはしばしば他人のため、承認を得るため、あるいは別の理由のために行動してしまう。けれどそうしたものをすべて洗い流し「これは自分のためにやるんだ」と言える場所に立てたとき、ついに人は自由になれる。朝起きて、すぐにスマホを見ない。まず深呼吸をする。そして自分自身に立ち返る。私はそれが勝利だと思います。もうひとつ言えば、勝利とは平穏を見つけられることでもある。それこそ私が長いあいだ探してきたもの。ベニーもそうだと思いますし、私たちは誰もがそれを探しているのだと思います。自分に真の平穏をもたらしてくれるものは何なのか、と。
「スマッシング・マシーン」で言えば、ラストでマークがシャワーを浴びている場面がまさにそうです。彼はキャリア最大のトーナメントで敗北し、親友のマーク・コールマンが勝者となった。おそらく彼は「もう戦いたくない。これで終わりだ」と感じていたはずです。だけど彼は笑っている。なぜなら平穏を見つけたから。それこそが勝利なんです。
マークの姿を通してこの映画が伝えているのは、そこなのだと思います。人はすべてを手に入れることもあれば、最後にはそのすべてを失ってしまうこともある。それでも大丈夫なんです。人生は続いていくし、人は前に進める。そして物事は、きっと良くなっていく。
映画「スマッシング・マシーン」
■映画「スマッシング・マシーン」
絶賛公開中
監督・脚本:ベニー・サフディ
出演:ドウェイン・ジョンソン、エミリー・ブラント、ライアン・ベイダー、バス・ルッテン、オレクサンドル・ウシク/
大沢たかお、石井慧、光浦靖子、布袋寅泰 ほか
原題:The Smashing Machine
上映時間:123分
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©️2025 Real Hero Rights LLC
https://happinet-phantom.com/a24/smashingmachine/
