小野田れいさんは結婚を機に日本に帰国したあと、夫とともに東京を離れ、田舎でパン屋を開いた。Provided by Rei Onoda小野田れいさんはドバイを拠点に、客室乗務員として4年間働いた。日本に帰国後、妊娠中に東京を離れ、地方に移住した。現在は夫と幼い息子とともに、築180年の古民家を改装して開業したベーカリーカフェを営んでいる。
日本の田舎で放棄されていた、築96年の家をある夫婦がエアビーに改築。1泊2万5000円で貸し出している | Business Insider Japan
この記事は、日本の地方でベーカリーカフェ「上条庵(かみじょうあん)」を共同経営する小野田れいさん(34)への取材をもとに構成したエッセイだ。発言は、長さと明瞭さを考慮して編集している。
大学卒業後、私はドバイに移り住み、エミレーツ航空(Emirates)の客室乗務員(CA)として約4年間働いた。
おかげで世界中を旅することができた。数多くの国や都市を見て回ったことで、自分にとって一番好きな場所は日本なのだと気づいた。外の世界を知ることで初めて、日本という国の独自性をあらためて実感したのだ。
当時の私は遠距離恋愛中だった。結婚を機に日本に帰国し、転職することを決意した。新しいことに挑戦したかったし、英語のスキルをこれまでとは違う形で活かしてみたいと思ったからだ。
帰国と転機
私は東京のPR会社に入社し、日本各地を巡るメディアツアーを企画・運営する仕事に就いた。海外から訪れる人々を、大都市だけでなく、魅力ある地方の場所に案内する仕事だった。
その経験を通じ、自分も知らなかった美しい場所が、日本には数多くあることに気づいた。この経験をきっかけに、いつからかもっと田舎で暮らすことを考え始めたのだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が始まると、私の仕事は完全なリモートワークに移行した。当時、東京のなかでも特に混雑する渋谷駅の近くに住んでいたが、街なかの店はどこも閉まっており、高い家賃を払いながら自宅に引きこもる日々が続いた。
家は約6エーカー(約2.4ha)の農地に建っているが、その土地を管理するには認定農業者としての登録が必要だった。Provided by Rei Onoda田舎暮らしとの出合い
夫と私は、もっと静かな場所へ引っ越すことについて話すようになった。もともと「いつか年をとってから」と思い描いていた夢だったが、ふと「なぜ、いましないのか?」と考えるようになったのだ。
夫の実家が東京から1時間半ほどのところにあったため、その周辺で家を探し始めた。あくまで一時的な移住のつもりだった。
日本の田舎で見つけたその古民家は、10年間も空き家のままになっていた。Provided by Rei Onoda
初めはパン屋を開くつもりはまったくなく、ただ住む場所を探していただけだった。約2年にわたって物件を探し続けた末に、私たちは東京から北西約140マイル(約225km)離れた山梨県甲州市の上条集落にある築180年の古民家を日本円で800万円、米ドルでおよそ5万ドル(1ドル=160円)で購入した。6エーカー(約2.4ha)の農地も含まれていた。
その家は約10年間も空き家として放置されていたため、大規模なリノベーションなしに住める状態ではなかった。日本では農地の取り扱いが法律で厳しく規制されているため、ファッション小売業界で働いていた夫が、農地管理に必要な認定農業者の資格を取ることを承諾してくれた。
家を購入した当時、室内は寒く、畳は傷んでいた。Provided by Rei Onoda
住居としてリノベーションするには、厳格な保存規定に従わなければならないことがわかった。それでは費用がかかりすぎる。そこで思いついたのが「自分たちが住むのではなく、小さなカフェを開いてこの空間を多くの人と共有してはどうか」というアイデアだった。
それが、私たちのベーカリーカフェの出発点となった。
保存地区での改修は予想以上に複雑だった
家が重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)内にあったため、市、県、そして国からの許可を得る必要があった。リノベーションを含むプロジェクト全体には、約3年の歳月を要した。
資金は貯蓄、銀行融資、補助金で賄い、厨房設備を含む総費用は約5000万円に上った。建物の歴史的価値を保ちながら安全な状態にする必要があったため、建築家や文化庁とも連携しながら作業を進めた。
このプロジェクトを「カフェの開業」と「歴史的建造物の保存」という2つの目的を持つ取り組みとして位置づけることで、地域振興と文化財保存のための補助金として2900万円を獲得した。
小野田さんはこのプロジェクトを、カフェの開業であると同時に歴史的建造物を保存する手段として位置づけた。Provided by Rei Onoda次ページ
簡単ではなかった地域コミュニティとの関係構築
