<div class="caption">日本兵による避難民虐殺の現場となった国頭村半地の「ザークビー(座峠)」。80年前、読谷山村(現読谷村)からの避難民4~5人を茂みの木につるし、刀でめった斬りにした。辺り一面に血が飛び散り、凄惨(せいさん)な景色が広がっていたという。茂みのそばにある階段を下りるとほこらがあり、事件を知る地元民の中には通る際に手を合わせる者もいる=8日、国頭村半地(写真部・小宮健撮影)</div>

日本兵による避難民虐殺の現場となった国頭村半地の「ザークビー(座峠)」。80年前、読谷山村(現読谷村)からの避難民4~5人を茂みの木につるし、刀でめった斬りにした。辺り一面に血が飛び散り、凄惨(せいさん)な景色が広がっていたという。茂みのそばにある階段を下りるとほこらがあり、事件を知る地元民の中には通る際に手を合わせる者もいる=8日、国頭村半地(写真部・小宮健撮影)

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2025年7月18日 13:27有料

[シマぬ記憶(うびぃ) 地域の沖縄戦](19)国頭村 東村 大宜味村

 国頭村半地の国道58号沿いに、「ザークビー(座峠)」と呼ばれる小さな森がある。住宅や飲食店に挟まれたひっそりとしたその場所は80年前、一面真っ赤な血で染まった。日本兵が、複数の避難民にスパイ嫌疑をかけ、木につるして刀で惨殺した。

日本兵による避難民虐殺の現場となった国頭村半地の「ザークビー(座峠)」。80年前、読谷山村(現読谷村)からの避難民4~5人を茂みの木につるし、刀でめった斬りにした。辺り一面に血が飛び散り、凄惨(せいさん)な景色が広がっていたという。茂みのそばにある階段を下りるとほこらがあり、事件を知る地元民の中には通る際に手を合わせる者もいる=8日、国頭村半地(写真部・小宮健撮影)

日本兵による避難民虐殺の現場となった国頭村半地の「ザークビー(座峠)」。80年前、読谷山村(現読谷村)からの避難民4~5人を茂みの木につるし、刀でめった斬りにした。辺り一面に血が飛び散り、凄惨(せいさん)な景色が広がっていたという。茂みのそばにある階段を下りるとほこらがあり、事件を知る地元民の中には通る際に手を合わせる者もいる=8日、国頭村半地(写真部・小宮健撮影)

 殺害されたのは読谷山村(現読谷村)から避難してきた2~3家族。時期は不明だが、国頭村史「くんじゃん」に「4人か5人、手首を縛られてめった斬りにされ、目を疑う地獄の惨状であった」と書かれている。

 国頭村では戦中戦後、日本兵による虐殺事件が相次いだ。半地の他、桃原では1945年5月ごろ、那覇から疎開していた親子3人が身を寄せていた民家に日本兵が手りゅう弾のような物を投げ込み…

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