外国人が活用している、意外なもの
2025年3月、筆者はイタリアから東京に降り立った。前回訪れたのは2023年11月だから(その1、その2、その3)、1年4カ月ぶりということになる。今回は、滞在中に感じた変化と悲喜こもごもを記す。
いくつもの統計が示すとおり、東京は前回訪問時以上に訪日観光客であふれていた。筆者が滞在した民泊は住宅街にあったが、同様の施設が周辺にほかにもあるらしく、チェックアウトと思われる時間になると、バックパックやスーツケースを携えた外国人があちこちに現れた。
面白いのは、ある雨の日であった。彼らの多くは傘をささない。いっぽうで、やんちゃざかりの若者数名が、「ハンズ」の店頭に敷いてある足拭きマットで、丁寧にスニーカーの底を拭いてから入店していた。いずれも、欧州の多くの国で浸透している習慣を、そのまま日本でも実践している。
また今に始まったことではないが、東京には2つのものが氾濫している。1つ目は色の氾濫である。強調したいメッセージを周囲との均衡を考えることなく表示するものだから、色の洪水となる。2つ目は音だ。駅では発車メロディーが絶え間なく流れている。量販店では店内放送が「ソソ~ラ、ソミソ!」を繰り返す音声POP「呼び込み君」を繰り返している。さらに駅では別々のホームの2つの旋律が重なり、店内でもタイムセールのアナウンスが音楽にかぶさる。
他国からやってくる観光客は、それらをエキゾチックな感覚として楽しんでいるようだ。秋葉原の歩行者天国で、記念写真を撮影している外国人観光客が多いことからしてもそれはうかがえる。しかし、長くいると、この色と音の無秩序がストレスの原因になり得ることを、なぜ指摘しないのだろう。音楽は静寂から、美術は透明から生まれる。少なくとも、東京の生活にどっぷりと漬かっていては、優秀なアーティストやデザイナーは生まれないと思う。訪日ブームよりずっと以前から日本を愛していた、イタリアやフランスの知日知人たちが、羽田や成田に到着すると東京を避け、田舎に向かってしまう理由もおのずとわかるのである。
ところで訪日観光客を観察していると、多くが近年導入された「駅ナンバリング」を活用している。JY17が新宿駅、JK23が浜松町駅……というやつだ。ある日、筆者と偶然出会い、銀座までの経路を聞いてきたイタリア人も、私が乗換駅を教えると、都営浅草線の大門駅を示すナンバーを「E20、E20」と暗唱していた。大半の日本在住者が意識していない、それもいわばアナログ的システムだが、便利に用いられているのはあっぱれである。
