去年の1月1日、石川県で起きた能登半島地震からまもなく1年半。被災地の現状と支えるボランティアたち、そして被災した人たちの声をお伝えします。

6月上旬。能登半島を縦断する高速道路は片側交互通行が続いていました。復旧は急ピッチで進んでいますが地震の傷跡はいまだに残っています。
去年1月1日、石川県で起きた能登半島地震では最大震度7の揺れと津波で家屋の全半壊30000棟、亡くなった人は災害関連死を含め600人に上りました。まもなく、地震発生から1年半が経ちます。金沢市から約150キロ。能登半島北端、震源地に近い能登町です。

能登町立松波中学校。校庭の一角にプレハブの建物があります。松波小学校です。地震で校舎が使えなくなり去年9月に完成した仮設校舎で授業が行われています。
松波小学校の全校児童は60人余り。去年1月下旬近くの松波中学校の校舎を借りて2週間遅れの新学期が始まりました。地震によるストレスに加え高校受験を目前に控えた中学3年生を気遣いながらの学校生活でした。地震から1年半が経った今、学校現場で必要とされていることはどのようなことなのでしょうか―

■「何も特別なことは考えてなくて、今まで通り、通常に戻す、通常の日常を取り戻す―というのが、やっぱり自分たちの課題だと思っている。地震がったあとの子どもたちだからというのは何もなくて、今まで通りの学校生活をこのまま継続していくということを私たちは考えている。特別なことは何もやらず」

地震後、町を離れていた児童のほとんどは学校に帰ってきました。カウンセラーによる心のケアも行われました。仮設の校舎ですが自分たちの教室で授業を受け、廊下では元気な声が響くーある意味当たり前の学校生活が戻りました。

■児童
「いっぱい遊びたい。縄跳びとか」「今、分数の掛け算をやっているので次は割り算ができるよう頑張りたい」「地震にも負けないで小学校で頑張っています」

住民が徐々に元の生活に戻り始める一方町は依然、地震の爪痕が残ったままとなっています。被災した松波小学校の校舎は地震から1年半が経った今もまったく手が付けられていませんでした。進まない復興。これが能登の現状です。

■「1年半経って、みなさん、どう考えられているのかなというのは正直思うところはある。被災地はほとんど何も変わらず、日々の生活をどう良くしていくかを考えていくのが精いっぱいで、全国の方が能登のことをもしかしたら忘れてしまっているのかなという風な部分については寂しさを感じる」

能登が忘れられている―被災した人たちの声です。
能登町にはボランティアのベースキャンプ奥能登災害支援ベースがあります。東日本大震災をきっかけに誕生した団体「オープンジャパン」が運営していて、がれき撤去をはじめ、全国から集まった様々なジャンルのボランティアがここを拠点に活動しています。
こちらは「アライグマ能登」というボランティアグループ。洗っているのは泥で汚れた写真です。

■「この活動は、東日本大震災の時から始まったんですけど、子どもが生まれたり、あと学校の写真とかですねいろんな写真があるので、やっぱりそこで暮らしてきた方の思い出とか、家族の歴史が刻まれているので、とても大切なものだと思う。それをぼくらの手えきれいにして。完全な元通りには戻らないですけどね」

今もなお、たくさんの写真が復活を待っています。お金では買えない思い出を被災者の手に返す―能登でこれまで洗浄した写真の数は3万枚を超えています。

この日は被災者を集めたサロンが開かれます。災害NGOラブ&アースの橋之口みゆきさん、サロンを担当するボランティアです。サロンの開設は、単にレクリエーションや娯楽の場を提供するのではなく被災者のケアという面で大切な支援活動とされています。

■「高齢の方とかになると、どうしてもお家に閉じこもってしまいがちだったりとか、おひとりになってしまうことが多いので、1人を作らないという。みんなが『元気でいるね』とか『きょうどうした』とか『最近どう?』ということを地域のみなさんが語り合えるそんな場」

能登で今、課題となっているのが「被災者の孤立」です。外との接触を断ち自宅や仮設住宅に閉じこってしまうと安否確認が取れず最悪、孤独死にもつながります。それだけに外に出て人と話をするサロンの存在が重要になります。

能登町の久田(きゅうでん)地区。地震で孤立し住民は約2週間、この公民館に身を寄せ合い助けを待ちました。この日は、地区を離れて仮設住宅に暮らす人を含む10人が集まりました。サロンでは新聞紙を使ったバッグを作りました。1年半前、寒さに震えながら助けを待った公民館は地区の人が顔を合わせる場所となりました。

■「みんなと一緒に話ができる。それで混ぜてもらって、ある時は出て、頑張ろうと(思う)。自分でできることを何でもしようと思うよ」「きょうも来ているけど、やっぱり久田のほうがいいですよ。それでこういう集まりにちょこちょこ来るんです。懐かしいのとみんなに会えるのと」
■「新聞バッグを作ることが大事ではないんです。みんなが集まれるきっかけ作りですよね。1人ぼっちを作らないとか、自分の声をちゃんと声として届けられる場所であったりとか、みんなの安否確認とかそういう意味ではサロンはすごく必要だと思います。土砂を出したりとか目に見えることもあるんですけど、でもやっぱり、元気を出してもらう、やっぱりみんなで笑ったりとかみんなで大変だったね怖かったねと共有できることはすごく大事かなと思う」

久田では今回の地震をきっかけに村づくりの会が発足し、特産品である久田石(きゅうでんいし)を並べた公園を作りました。小さな公園ですが、地区の住民全員で考えた再生への第一歩だといいます。

■「このまま地震あって、高齢者がなんとなくすさんだ気持ちでいるよりは、活性化を図って、こんないいところを知ってもらおうと思うことで、エールになるんじゃないか。久田をもっといい街づくりにできるんじゃないか」

地震からまもなく1年半。復興道半ばの被災地の願いは普段の生活に戻ること、そして立ち上がることです。
高知放送では去年に引き続き大規模な災害が発生した際、必要な情報を集める手段となるラジオを県名の避難所に送る取り組みを実施します。詳しくは高知放送のHPをご覧ください。

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