大阪駅に向けて出発する記念列車(11日午前、神戸市中央区の神戸駅で)=吉野拓也撮影大阪駅に向けて出発する記念列車(11日午前、神戸市中央区の神戸駅で)=吉野拓也撮影

 大阪―神戸間に鉄道が開業し、11日で150年となった。工業化を進めるため明治初期に敷設され、主要路線に成長。高架橋が倒壊するなど甚大な被害が出た阪神大震災を乗り越え、1日約170万人が乗降する大動脈として列車は走り続けている。(林佳代子) 11日午前、神戸駅で式典があり、JR西日本の三津野隆宏・近畿統括本部長が「海運の拠点・神戸と商業の街・大阪をつなぎ、近代化に寄与した」とあいさつ。記念のヘッドマークを付けた列車の出発を見送った。 大阪―神戸間が結ばれたのは1874年(明治7年)。東京・新橋―横浜間に日本初の鉄道が開業してから約1年半後だった。国が建設する官設鉄道として、同年5月11日、大阪、西ノ宮(現・西宮)、三ノ宮、神戸の4駅を設け、6月には神崎(現・尼崎)、住吉の2駅が開設された。列車は1日8往復し、32・7キロを1時間10分で結んだ。 開業時に走った英国製の「123号機関車」(国重要文化財)は、京都府与謝野町で保存されている。 工業化のため貨物輸送が重視されていたが、沿線で都市化が進むにつれて通勤や通学の利用が増えた。大阪―神戸間は現在、東海道線の一部で、新快速や特急が姫路や京都方面を結ぶ。難工事 工事で難航したのが、石屋川、住吉川、芦屋川の川底を通るトンネルだった。いずれも、周囲より高い場所を流れる天井川だ。当時の機関車では堤防を越える勾配に対応できず、トンネルを選択したとみられる。 石屋川のトンネルは1919年に複々線化工事で解体されたが、「日本で最初の鉄道トンネル」と書かれた記念碑が立つ。芦屋川と住吉川のトンネルは現在も構造を残し、使用している。 甲子園口―芦屋間には開業当初、線路の盛り土の下に農業用水を通すため設置された通称「マンボウトンネル」が3か所残る。現在は歩行者用で、狭いものは高さ約130センチほどだ。2か月半で復旧  最大の危機は1995年1月17日の阪神大震災だった。住吉―灘間で高架橋が崩れ、六甲道駅のホームが倒壊。「復旧に2年かかる」と言われたが、応援の作業員を集めて工事を急ぎ、約2か月半後の4月1日に運行再開した。 大阪―神戸間は、4駅から17駅まで増えた。沿線の再開発も進み、三ノ宮駅は30階建ての複合ビルに建て替えられる。新たなランドマークとして、2029年度に開業する見通しだ。 兵庫県の地域史を研究する園田学園女子大の田辺眞人名誉教授は「国家経済の起爆材になっただけでなく、後に開業した阪神電鉄、阪急電鉄との相乗効果で阪神間の都市が発展するきっかけになった」と指摘する。駅弁「肉めし」名物に 
 老舗の弁当会社「淡路屋」(神戸市東灘区)は第2次世界大戦中に神戸駅に出店し、大阪―神戸間を使う多くの旅客に駅弁を提供してきた。5代目の寺本
督(ただし)
社長(63)は「これからも共に歴史を重ねていきたい」と語る。
 淡路屋は1903年、大阪駅を拠点に創業。神戸駅の業者が戦災で営業をやめたのに伴い、44年に同駅に進出した。戦後は米の入手が難しく、小麦の表皮を使った蒸しパンで主食を代用してしのいだという。 寺本社長は神戸駅周辺で生まれ育った。当時、駅は東海道・山陽両線をつなぐ一大ターミナルだった。「遠方へ向かう特急が行き交い、旅客でごった返していた」と懐かしむ。65年に、神戸牛にちなんだ「肉めし」を売り出し名物となった。 72年に転機が訪れる。山陽新幹線が開業し長距離の旅客が流出。「通勤路線になり、商売にならなくなった」。神戸駅での販売は10分の1以下に落ち込み、新たに開業した新神戸駅の店舗が主力となった。 近年は「駅ナカ」の弁当店として、通勤帰り客向けなどを強化する。寺本社長は「神戸駅の駅弁屋」を自負しており、「これからも店を守っていきたい」と力を込める。淡路屋は11日、鉄道開業150年を祝う駅弁を売り出した。各駅構内の店舗で買える。

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