田中実子さんに優しく話しかける下田良雄さん(4月27日、熊本県水俣市で)田中実子さんに優しく話しかける下田良雄さん(4月27日、熊本県水俣市で)
 1956年5月1日。68年前のきょう、「原因不明の疾患」として熊本県水俣市の水俣保健所に届けられ、水俣病公式確認のきっかけとなった小児性患者・田中
実子(じつこ)
さん(70)は、寝たきりでしゃべれず、ヘルパーが24時間態勢で命をつなぐ。長年支えてきた長姉は昨年、亡くなった。平均年齢が80歳を超えた認定患者に、支える家族らの高齢化という課題がのしかかる。(白石一弘)

寝たきりの義妹 水俣市内の見晴らしのいい高台に立つ県営住宅。4月下旬、明るい日差しが入る寝室で、義兄の下田良雄さん(76)は、電動ベッドで寝たきりとなった実子さんの髪をなでた。 重い症状がある実子さんは、しゃべることも、一人で食べることも出来ない。朝昼晩と6人のヘルパーが交代で介護。意思表示も難しく、うめき声のようなものから、尿意や便意を察知して介助している。以前は魚の刺し身が好物だったが、のみこむ力が弱まり、ミキサーでペースト状にして口に入れている。 9歳上の長姉で、良雄さんの妻、綾子さんは昨年12月、79歳で亡くなった。死去は伝えていない。良雄さんは「勘がいいから分かるでしょう。耳は聞こえるし、目も見える。私たちの会話を理解しているのかも」と語る。2歳11か月で発症 実子さんは1953年、6人きょうだいの末っ子として生まれた。2歳11か月だった56年4月、三女の静子さんと同じ時期に発症。靴が自分で履けず、歩けなくなった。翌月、病院長が姉妹を含む4人の症状を保健所に報告したのが、後に公式確認の日となり、「原点の患者」とされてきた。 1 2

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