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その数カ月後、6月14日(日本時間15日)にUFCは米国建国250周年を記念する大会「Freedom 250」を、ホワイトハウス南庭で開催する。国家権力の象徴である場所に、血と歓声が渦巻くケージが設置される――この異様な光景は、トランプ政権下のアメリカを象徴するスペクタクルでもある。

かつてテレビ局からも敬遠された暴力的なスポーツは、いまや77億ドル規模のメディア契約を結ぶ巨大コンテンツとなった。その中心にいるホワイトは、格闘技をビジネスとして拡張し続けるだけでなく、トランプをはじめとする世界の権力者たちとも深く結びついている。彼は何を作り、何を目指しているのか。『Rolling Stone』が、UFCを国家権力の中枢へと持ち込んだ男の素顔に迫った。

「このスポーツはここまで来られる」と、私はずっと信じていた

まずは、ありがとう。私個人と、このスポーツやUFCを切り離して考えるなら、私はずっと、このスポーツは今の場所まで来られると信じていた。かつてこれはペイ・パー・ビューで放送することすら許されなかった。私たちはテレビに出るために1000万ドルを投じた。『ジ・アルティメット・ファイター』を制作し、2005年にSpikeで放送するためだ。最初のメディアライツ契約は3500万ドルだった。そこからSpikeからFoxへ移り、1億ドルになった。FoxからESPNへ移って30億ドル。そしてESPNからパラマウントへ移って77億ドルだ。今や私たちは世界中にいる。今年もまたアゼルバイジャンに行く。長い答えになったけど、このスポーツは今日の場所まで行けると信じていたし、それを実現するのは自分だと、ずっとわかっていた。

―あなたはもともとボクシング畑の人でした。MMAの何に惹かれたのでしょう?

初めて見たのは1993年、最初のUFCがペイ・パー・ビューで放送された時だった。その後は一度、見失っていた。私とフェティータ兄弟――ロレンゾとフランク、ラスベガスのカジノ王で、私の幼なじみでもある――が柔術を始めて、多くのファイターに会うようになるまで、本格的には関わっていなかった。彼らはボクサーとはまったく違っていた。出身地も違うし、背景も違う。そして初めてUFCの大会に行った時、私たちは「もしこれをこうしたら」「あれを変えたら、これは大きくなるぞ」と話し始めた。すべてはそこから始まった。

―あなた自身は、格闘技の何に惹かれたのですか?

子どもの頃、叔父たちがABCの『Wide World of Sports』で試合を見ていた。試合があると家の中にいつも独特の熱気とざわめきがあって、私はそれに夢中になった。私たちはペイトリオッツのファンだったので、大きなアメフトの試合も見ていた。でも、格闘技の試合がある時の感覚とは何もかも違った。私はそれに惚れ込んだんだ。

―格闘技には、ほかの多くの場所では得られないエネルギーがあります。

それはボクシングだけじゃない。ブルース・リーの映画、チャック・ノリスの映画、あらゆる武術もそうだった。いろんなスタイルの格闘技に惹かれていた。Instagramは悪魔だよ。夜ベッドに入って、朝5時までInstagramでストリートファイトの動画を見てしまう。私は単純に、戦いが好きなんだ。

―このスポーツをアメリカの表舞台に出すのは簡単ではありませんでした。初期の頃、「これはうまくいかないかもしれない」と思った瞬間はありましたか?

格闘技ビジネスは、運営するにも、組織するにも、世界で一番難しいビジネスだ。初期にはそういう瞬間がいくらでもあった。テレビ契約を取ろうとしていた時、ペイ・パー・ビューに戻ろうとしていた時、認可を得るために各コミッションとやり取りしていた時。そしてある日、当時UFCのCEOだったロレンゾ・フェティータから電話があって、「もう続けられない。兄弟でずっと資金を入れ続けている。外に出て、これを売れるかどうか見てきてくれ」と言われた。

その日、私は電話をかけ始めた。彼に折り返して、「たぶん600万、700万、800万ドルくらいにはなる」と伝えた。私たちは3000万ドル以上の赤字を抱えていた。彼は「わかった」と言った。電話を切った翌朝、彼からまた電話がかかってきて、文字通りこう言ったんだ。「クソ食らえだ。続けよう」。ロレンゾは今でもその話をする。「一晩ぐっすり眠るだけで、人間はあそこまで変わるんだな」って。

―長年回し続けてきた大きなルーレットが、ついに当たったと感じた瞬間はいつでしたか?

昨日のことのように覚えている。私たちは『ジ・アルティメット・ファイター』をSpike TVで放送するために1000万ドルを調達した。番組の視聴率は、こう上がっていったんだ。あの頃のケーブルテレビの世界では、それだけ成功した番組があれば、街中に広告が出る。ニューヨークのバスにも、ビルボードにも。でもSpike TVは? 番組を宣伝する動きはゼロだった。シーズンの途中で、ネットワークの社長が解雇された。誰も私の電話に出ない。本当に異常な時期だった。

本来なら「これはすごい、次のシーズンの新契約をまとめよう」となるべきだったのに、何も起きなかった。むしろ真逆だった。そしてUNLVのキャンパスにあるコックス・パビリオンで、フォレスト・グリフィンとステファン・ボナーの決勝戦が行われた。あの会場は、まるで列車が突っ込んできたような音だった。観客は足を踏み鳴らし、「もう1ラウンド」と叫んでいた。私たちは戻って、2人に契約を与えた。

その夜、私ははっきり思った。「Spikeが新契約を結ぼうが結ぶまいが、これはどこかに行き着く」と。その夜、Spikeの連中が私たちを路地に連れ出し、ナプキンの上にテレビ契約の草案を書いた。文字通りナプキンだ。契約の要点のようなものを書き出した。それで終わりだった。そこから私たちは走り出した。

―初期の大会のいくつかは、トランプのカジノで開催されました。彼が政界に進出すると聞いた時、どう思いましたか?

最初に彼から電話が来たのは2015年だった。「聞いてくれ。もしやりたくないなら、それは完全に理解する。でも、共和党全国大会で私のためにスピーチしてくれたら光栄だ」と言われた。周囲の全員が、やるなと言った。理由は2つだ。ひとつは、政治には絶対に近づくべきじゃないということ。もうひとつは、彼は絶対に勝たないということだった。

―でも、あなたは引き受けました。あなたはその瞬間を、彼との個人的な関係においても、彼の政治運動においても、大きな転機だったと話していました。それ以来、かなり親しい友人関係になったわけですね。

ああ、私たちは本当に親しい。

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