カンヌ映画祭で最高賞を受賞したのも納得の、巨匠ジャファル・パナヒ監督の大傑作『シンプル・アクシデント』
A Great Filmmaker Is Back
2026年05月02日(土)17時15分
サム・アダムズ
(スレート誌映画担当)
イランのジャファル・パナヒ監督は、女性の行動が厳しく制限される現代イランの日常を描いた映画『チャドルと生きる』(2000年)や『オフサイド・ガールズ』(06年)などで当局に目をつけられ、何度も逮捕されたり、映画製作や出国を禁止されたりしてきた。
そのパナヒが14年ぶりに出国禁止を解かれ、昨年のカンヌ国際映画祭に姿を見せると、会場は総立ちの喝采に包まれた。出品作の『シンプル・アクシデント/偶然』は、審査員の目に触れる前からパルムドール(最高賞)の最有力候補とささやかれていた(そして実際に受賞した)。
『シンプル・アクシデント』はチリの劇作家アリエル・ドーフマンの戯曲『死と乙女』をベースにしているが、それを思い出させないほど、現代イランが抱える苦悩を見事に描き出している。
映画は、中年の男エグバル(エブラヒム・アジジ)が妻と娘を車に乗せて夜道を帰宅するシーンから始まる。誤って犬をひいてしまい、車が故障したため、エグバルは目の前のガレージで工具を借り、応急処置をさせてもらう。
偶然そのガレージの2階にいたワヒド(ワヒド・モバシェリ)は、エグバルの足音を聞いてはっとする。忘れもしない、義足のきしむ音──。
ワヒドはかつて反体制運動に関わったとして投獄され、連日のように激しい拷問を受けた。目隠しをされていたから、憎い男の顔を見たことはない。だが、その義足のきしみ音はよく覚えている。絶対にあの男だと、ワヒドは確信する。そしてエグバルの車を追いかけ、自宅を突き止めると、翌朝、彼が出かけたところを殴り倒して拉致する。
投獄中に非道な扱いを受けたワヒド(右端、ワヒド・モバシェリ)らは復讐に燃えるが、人違いの可能性に頭を悩ませる ©LESFILMSPELLEAS
誰も彼の顔を知らない
ワヒドは郊外の砂漠でエグバルを生き埋めにしようとする。だが、「人違いだ!」と必死に抗議するエグバルに、ワヒドの心はざわつく。そこでエグバルを再び気絶させて車に乗せると、エグバルの拷問を受けた人たちを訪ねて、確認してもらおうとする。
ドーフマンの戯曲には始終重たい空気が漂うが、『シンプル・アクシデント』は不条理喜劇として展開する。ワヒドの車が街中で故障し、全員(ウエディングドレス姿の花嫁もいる)で車を押すシーンは、その象徴だろう。
パナヒはイラン政府に約15年間映画製作を禁止されていたが、その間もひそかに映画を撮り続けた。よく知られるのは、自宅軟禁中の自分の暮らしを記録したドキュメンタリー『これは映画ではない』(11年)だろう。その映像はUSBメモリーに収められ、カンヌまで運ばれた。
パナヒは自分の作品に出演することも多い。前作『熊は、いない』(22年)では、トルコとイランの国境地帯で映画製作の指揮を執る「リモート監督」に扮した。国境を越えれば自由になれると分かっているが、あえてイラン側でひそかに活動する役だ。
『シンプル・アクシデント』は、映画製作の禁止を解かれたパナヒが初めて作った映画で、逮捕されたり、長期にわたり抑圧を受けたりした者が普通の生活に戻る難しさをリアルに描いている。
エグバルが本当に自分たちを拷問した男かどうかを確かめるために、ワヒドがかつての「仲間」を訪ねると、みな日常を忙しく生きている。だが、ひとたびワヒドの車に乗り込み、木箱の中のエグバル(ワヒドに殴られて失神している)の手足を指でなぞり、自分が命乞いしたとき触った男の手足と同じかを確かめようとすると、過去のトラウマが一気によみがえる。
©2026 The Slate Group
IT WAS JUST AN ACCIDENT
『シンプル・アクシデント/偶然』
監督╱ジャファル・パナヒ
主演╱ワヒド・モバシェリ、マルヤム・アフシャリ
日本公開は5月8日
『シンプル・アクシデント/偶然』予告編
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【note限定公開記事】カンヌ映画祭で最高賞を受賞…現代イランが抱える苦悩を見事に描き出す大傑作『シンプル・アクシデント』
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