戦国の世を生きた豊臣兄弟の歩みを描く大河ドラマ「豊臣兄弟!」。滋賀県長浜市は、秀吉が初めて城持ち大名となった地として知られる。
そんな長浜の城下町では、豊臣兄弟! 北近江長浜 大河ドラマ館が開館している。さらに、秀吉ゆかりの「黄金の茶室」復元品も公開されており、今回はその展示の様子を紹介しよう。

大通寺に到着してまず目に入るのが、大きな山門だ。文化5(1808)年に着工し、33年かけて完成したとされる県内屈指の近世大型建築で、長浜を象徴する存在の一つとして知られる。
そんな山門をくぐると、左手には豊臣兄弟! 北近江長浜 大河ドラマ館の会場である長浜別院大通寺 総会所がある。

右手に目を向けると太鼓楼があり、そこで「黄金の茶室」が見学できる。

この茶室の見学は2月から始まっており、9月23日まで公開される。見学には、北近江豊臣博覧会3施設共通券が必要で、中学生以下は無料となる。

靴を脱いで中に入ると、その奥に現れるのが、美しく黄金色に輝く茶室だ。
「黄金」と聞くと、派手でぎらぎらした姿を想像しがちだが、実際は落ち着いた雰囲気で品の良さがある。照明によって内部の黄金色はいっそう際立つが、けばけばしさはなく、上品な印象だ。

天下人となった豊臣秀吉は、関白に就任した翌年の天正14(1586)年正月、京都御所内の小御所に組立式の「黄金の茶室」を運び込み、正親町天皇に自ら茶を献じたという。以後、この茶室は大阪城内や北野天満宮で開かれた北野大茶湯、名護屋城へも運ばれ、茶会に用いられたと伝わる。
その後は大坂城に戻されたが、慶長20(1615)年、大坂城落城の際に焼失したといわれている。

豊臣秀吉が作らせた「黄金の茶室」は、名護屋城での茶会を記した「宗湛日記」によると三畳で、柱や敷居、鴨居、畳、障子の骨や板にまで金箔が施されていたという。
そして、障子には赤い紋紗(もんしゃ/紋を織り出した薄い絹布)が張られ、畳表は猩猩緋(しょうじょうひ/鮮やかな深紅色)だったとされる。

この「黄金の茶室」は、天皇や公家、大名はもちろん、宣教師や外国使節に対しても、政治や外交の重要な場面で披露されたそうだ。

戦国時代後期は、各地で鉱山開発が進み、金銀を取り出す技術も向上したことで、国内の産出量が大きく伸びた時代だった。
そうした流れの中で、天下人となった秀吉のもとには莫大な富が集まった。「黄金の茶室」は、秀吉が自らの権威と財力を示し、見る者を圧倒する象徴的な空間だったのではないだろうか。
<関連記事>
▼秀吉にとって長浜は、喜びと悲しみが交差した地だった。豊臣家の長男・羽柴秀勝が眠る妙法寺へ
▼信長を激怒させた結末。徹底破壊された「小谷城」の遺構を歩く。そこに残る浅井長政の最期
北近江豊臣博覧会特別展示「黄金の茶室」
住所:滋賀県長浜市元浜町32-9(長浜別院大通寺 太鼓楼)
会期:2026年2月1日~9月23日
開館:10時~12時/13時~17時
※北近江豊臣博覧会3施設共通券の購入でご覧いただけます。
詳細は公式サイトにてご確認ください。
公式サイト(外部リンク)
地図(外部リンク)
取材許可:北近江豊臣博覧会実行委員会
<最後に>
今回の内容が「参考になった!」という方は、
「旅人間」の ”記事一覧ページ” などから「フォロー」をいただけると嬉しいです。
また、毎週金曜にLINEでもお届けしています。「お出かけの参考に」って方は、ぜひ下記リンクから友だち追加してくださいね。
LINEアカウントメディア(外部リンク)
※本リンクは「Yahoo!ニュース エキスパート」との取り組みで特別に設置しています。
