2025年10月1日 午前7時30分
【論説】県内の写真館経営者でつくる県写真師会がこのほど、創立100年を祝った。福井県からは明治時代以来、日本の写真業界をけん引した人材が輩出している。都会に移住し皇族や高名な政治家を撮ったり、関東大震災の被災記録を残した写真家もいる。写真業界を取り巻く環境は厳しいが、こうした写真師の業績に改めて光を当ててみたい。
昨年8月、横浜市で3代続いた前川写真館が115年の歴史に幕を閉じた。撮影機材の老朽化や後継者の不在が主な理由だった。
写真館の初代・前川謙三は1873(明治6)年に大野郡矢戸口村(現勝山市)に生まれた。88年に上京し、福井出身の写真師丸木利陽の門下生となり技術を習得。渡米して最新の撮影術を学び、帰国後は写真界の重鎮として後進の育成にも尽力した。関東大震災の際は横浜の貴重な被災記録を残している。
前川謙三について調査研究している横浜都市発展記念館の吉田律人さんは、前川のような都市移住者が日本の近代に大きな役割を果たしたと評価する。
前川が残した写真やガラス乾板などは相当な量があり、中には福井で撮影したとみられる写真もあるという。こうした写真を歴史資料として保存するとともに、さらに撮影地などの調査研究も進めてもらいたい。
吉田さんによると、福井県出身の写真師が写真界で大きな位置を占めたのは、丸木利陽の存在が大きかった。1854年、福井城下に生まれ、一念発起して上京。写真師の元での厳しい修業時代を経て独立し、写真館を開業した。明治天皇の御真影をはじめ皇族や官僚、軍人など社会的地位の高い人物の肖像写真を数多く撮影した。旧千円札の伊藤博文、旧百円札の板垣退助の肖像画の元になった写真は丸木写真館で撮影された。
丸木は明治時代の福井新聞に自身の写真館での修業志望者を募る広告を出すなど、福井出身者を積極的に採用。明治期の写真界の中枢を担う人材を育てた。
旧1万円札に使われた福沢諭吉の肖像画の元写真を撮影したのは福井出身の成田常吉とみられ、丸木の助手を務めたことがあった。同じく丸木門下生の伊東末太郎は、日本写真文化協会会長に就いた。
一方、地方においても写真師は家族写真はもとより、地域の歴史や自然を記録し地域文化の振興に寄与してきた。県写真師会は創立100周年記念事業として、多様な分野で活躍する高齢者108組を撮影した写真展を開き、好評だった。後継者不足やスマートフォンの普及もあり写真師の数は減り続けているが、先人の歩んできた道や功績に光を当て、写真文化を後世につないでもらいたい。
