昨年のカンヌ国際映画祭で最高賞に次ぐグランプリ、米アカデミー賞では国際長編映画賞と音響賞を受賞した「関心領域」(監督・脚本=ジョナサン・グレイザー)は、アウシュビッツ強制収容所に隣接した邸宅で暮らすドイツ人一家の物語。壁の向こう側に閉じ込められた人々がどんな目に遭おうと、関心事はもっぱら自分たちのこと。とんでもないと最初は思うだろう。だが、見るほどに感じるはずだ。この映画は世界の縮図。時を超えて私たちの前に、どんと置かれた大きな鏡なのだと。(編集委員 恩田泰子)
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「関心領域」から
第2次世界大戦中、上昇志向の強いルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)と妻のヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)は、理想的な家を築こうとしてきた。元気な子供たち。調度の整った邸宅。手入れの行き届いた庭園には陽光が降り注ぎ、プールも備えられている。 夫妻は誰もが夢見る裕福な暮らしを実現したようにも見える。でも、そこは、ナチス政権下、ポーランド南部に置かれたアウシュビッツ強制収容所の隣。ルドルフはその所長(司令官)を務めるナチス親衛隊将校。邸宅を囲む壁の向こうには、ガス室や遺体の焼却炉がある。 一帯は、40平方キロメートル以上に及ぶ親衛隊管理区。世間の目をアウシュビッツでの蛮行から遠ざけるその区域を指す言葉が、原題の「THE ZONE OF INTEREST」(ドイツ語ではInteressengebiet)。それを邦題では「関心領域」と訳している。 原作は、英国の作家マーティン・エイミスによる同名小説(日本語翻訳版は早川書房刊)。ただ、小説の映画化というよりも、小説から派生した映画と言ったほうがしっくりくるかもしれない。小説の主要登場人物のひとりを、実際にアウシュビッツの所長を務めたルドルフ・ヘスに置き換え、歴史的調査を子細に重ねた上で、物語を改めて構築しているからだ。
ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル) 監督・脚本のグレイザーは、ジャミロクワイの「ヴァーチャル・インサニティ」などミュージックビデオで名をあげた後、長編映画も手がけるようになった。前作「アンダー・ザ・スキン 種の補食」では強烈なイメージと音にノックアウトされた人もいるだろう。この「関心領域」では、その卓越した映像感覚を音響とともにさらに研ぎ澄ませ、突き詰めて、観客をのみこむ。 ナチスドイツによる大量虐殺をめぐる映画だが、壁の向こうでの残虐行為は見せない。見せるのは、もっぱら加害者の日常。だが、壁の向こうで何が起きているか、観客はすぐに察知させられる。いわくいいがたい不穏な音が壁の向こうから漂ってきて、あちら側で何が起きているかを伝えるからだ。目に映るのは、楽園じみた光景。でも、耳に入ってくるのは、被害者たちの地獄の苦しみを想起させる音。映像だけ見たら、あるいは音だけ聴いたら、まったく違った映画のようだろう。とりわけ最初のうちは。
ヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー) カメラは、ヘス夫妻と家族の日常を観察するように映し出していく。物語の大半を占めるのは邸宅でのシーン。リアリティー番組のような感覚も漂う映像は、最大10台の固定カメラを使用して遠隔で撮影したという。その冷徹な映像は、邸宅の主たちの日常のそこかしこに現れる異常性を浮かび上がらせる。壁の向こうで何が行われているか。ルドルフはもちろん知っている。ヘートヴィヒもたぶんある程度わかっている。だが、夫妻の関心事は自分たちの幸福であり、欲望を満たすこと。壁の向こうの現実は関心の領域外だから、向き合わない。すぐ近くにある焼却炉から立ち上る煙、異様な音について語らない。 でも、克明にとらえられた登場人物の一挙一動や何げない言葉から、不穏な真実がにじんでくる。子供たちの態度に。就寝前のルドルフの奇妙な習慣に。異様な気配は徐々に膨らみ、イメージや色彩によって、ふいに増幅される。ヘートヴィヒが丹精こめて育てた花からも、それはまがまがしく広がる。映像の世界と音の世界は感覚的にどんどん近づいていく。
ルドルフとヘートヴィヒの寝室 この映画を見ていて、最も恐ろしいのは、観察対象であるヘス夫妻のとんでもない言動が「理解」できてしまうことだ。現実と向き合わず、自分の幸福を追いかけ、欲望を肥大化させていくさまに思いあたるところがひとつもない人、組織、国がどれだけ存在しているだろうか。そうした利己主義の果てにあるものを、この映画は文字通り時空を超越して突きつける。振り返る形ではなく、現実の先にあるものとして。ナチスによる大量虐殺のつめあとが、これまでとはまったく異なる衝撃をもって刻みつけられる。 原作の中に、「人のほんとうの姿。それを映し出すのが重要区域だった」(重要区域は、THE ZONE OF INTERESTのこと)という言葉が出てくる。グレイザーはその言葉をひきとるように、本作を鏡にしてみせた。目をそらせない、恐ろしくよく出来た鏡に。暗闇に分け入っていく作品だが、折に触れ、発光する存在も映し出される。それが救いだ。 撮影は、ポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ監督による「イーダ」「COLD WAR あの歌、2つの心」も手がけたウカシュ・ジャル。音響には「アンダー・ザ・スキン」や「哀れなるものたち」「NOPE/ノープ」も手がけたサウンドデザイナー、ジョニー・バーンが携わっている。不穏な音の世界は、現実の世界から収集した音・声を収集して作られているという。
「関心領域」から※場面写真クレジット=(C)Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.
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「関心領域」
(原題:THE ZONE OF INTEREST)=2023年/アメリカ、イギリス、ポーランド/上映時間:1時間45分/配給:ハピネットファントム・スタジオ=5月24日から、東京・新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
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