世界を大きく変えつつあるAI技術。我々オヤジはどう向き合い、付き合って行けばよいのか? そのヒントとなる新連載開始にあたって指南役の松永エリック・匡史さんにインタビュー。ドラマティックで破天荒な人生を語っていただきました。
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加速度的な進歩で世の中を大きく変えつつあるAI技術。現代に生きている限り、生活のすべての面で影響を受けずにはいられないAIについて、イケてるオヤジはどう立ち向かえばよいのか? 何をどこまで知ればよいのか? その指針となる「AIとの付き合い方」をテーマとした連載が本サイト(Web LEON)で始まります。指南役は青山学院大学・地球社会共生学部学部長・教授の松永エリック・匡史さんです。
連載開始前に、まずはエリック先生がどんな背景をもった方なのか皆さんに知っていただきたく、お話を伺ってきました。エリック先生、実はかなりユニークな経歴をおもちです。ドミニカ共和国で幼少期を過ごし、10代でプロのギタリストに。ボストンのバークリー音楽学校に進学するも、なぜかシステムエンジニアになり、ネットワークエンジニアとしてニューヨークに勤務、さらに大手外資系コンサルティング会社で役員を務めた後に大学教授に就任── 。インタビュー前編では、経営コンサルタントになるまでの、その破天荒な履歴書を紐解きます。
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── なぜドミニカ共和国での幼少期を過ごしていたのでしょうか。またその暮らしはどんなものだったのでしょうか。
松永エリック・匡史さん(以下、エリック) 父の仕事の関係で生まれてすぐにドミニカ共和国へ行きました。当時の海外駐在員というのは、現地で人脈をつくることも重要な仕事としていたので、毎晩父と母はパーティーに出かけるんです。僕も早い時間のパーティーには社交の仕事をサポートするために着いて行きましたので、物心ついた頃には社交ダンスが踊れていました。南米では常にどこでも音楽がかかっていて、自然と音楽とダンスには囲まれていた幼少期だったと思います。
あとは、みんな積極的で情熱的なので、僕も10歳にして大人の女性に「綺麗ですね」なんて声をかける、ませた子になりました(笑)。貧困格差や人種間で差別というものがあることを体験したことも、その後の人生に大きな影響を及ぼしました。
── 日本にはいつ帰国されたのですか?
エリック 小学校6年生の頃に日本に帰ってきて、吉祥寺の小学校に転入しました。そもそも転校生ということで目立ちましたし、しかも南米のノリでベラベラ喋る子でしたので、友達もたくさんできて、すぐに馴染むことができました。
