2026
5/07
沖縄本島、那覇市のなかでも、特に歴史ある古い街並みが残る首里の街。首里城のお膝元で170年もの長い歳月ずっと味噌造りを続けているのは玉那覇(たまなは)味噌醤油。創業当時の製法そのまま、年季の入る木桶で天然醸造を続けている。
目次
沖縄でも希少な、麹から手作りをする味噌蔵

今から約120年前まで、琉球というひとつの国だった沖縄。首里城を有する首里が琉球国の中心だった。このあたりも武家屋敷が立ち並んでいた場所。そして実際、士族屋敷跡であるこの場所で、琉球王府末期の1855年〜1860年に味噌と醤油を造り始めたのが玉那覇味噌醤油だ。
戦禍をくぐり抜けて残った麹菌
坂道をのぼっていくと、歴史を感じさせる古い石垣が見えてくる。重厚感のある立派な石垣は戦前から残るもの。建物は沖縄戦で倒壊したが、焼けずに残った柱を防空壕の中で保存し、柱についた麹菌が玉那覇の味をつないでくれたのだそう。
沖縄県内でも、麹から手作りをしている味噌蔵は希少。以前は醤油も醸造していたが、設備の老朽化により10年ほど前から醤油造りは休止している。
米軍統治下の時代に移行した後も、首里の街だけでも、味噌や醤油を造る蔵がけっこうあったのだそうだが、1972年の日本本土復帰により、県外の製品がどっと入ってきたことによって、ほとんどが廃業してしまった。
5代目が守り続けた“すべて手作業”の味噌造り

現在、玉那覇味噌醤油の当主を務めるのは、6代目となる大城由美さん。5代目で2025年4月に亡くなった玉那覇有紀(ありのり)さんの長女にあたる。
手入れをしながら、年季の入る木桶で醸造する
味噌を仕込むのはすべて昔ながらの木桶だ。蒸した丸大豆に、米麹、そして、沖縄の海塩のみを混ぜ合わせ、発酵、熟成させる。

麹室の扉を開けると、むわっとした空気が流れ出てくる。麹の発酵により36℃ほどある室内で、工場長が、ずらりと並ぶ麹箱に目を凝らしていた。

写真は2日前に種麹をつけたもの。同社の味噌に使う国産米を使った米麹は種麹をつけて、4日ほどで黄色っぽく変色。そこからさらに発酵が進むと、麹室内は40℃ほどにもなるという。
高温多湿な沖縄は微生物が活発に働き、やはり本土に比べ発酵が進みやすいのだそう。夏場は3〜4ヶ月、冬場は6〜7ヶ月ほど発酵、熟成ののち、味噌が仕上がる。

看板商品である「王朝みそ」は、九州の大豆を使用している。米や大豆のほどよい甘さを感じる、まろやかな口当たりだ。他には、国外産の大豆を使った「首里みそ」、ウコンを混ぜ込んだ「うっちんみそ」、米と麦の合わせ味噌の「特選みそ」を製造している。
直営のほか、地域のスーパーなどで販売、そしてネット販売もしてきた。一時期は製造が追いつかず、新規のネットでの注文はストップしていたが、現在では月1〜2回のペースで販売再開できるようになってきた。
「うちの味噌は1000円するんですけど、1200円の送料を払ってまでも本土から購入してくれる人たちがいるんです。ありがたいですね」と由美さんは話す。
菌にとって最適な環境

年間を通して気温差のあまり大きくない沖縄は、菌の働きに適した環境。大きな桶の中では、乳酸菌や酵母菌が活発に働き、味噌の熟成中だ。ずらりと並ぶ年季の入る桶は、いびつで、漏れがあったりするけれど、できる限り丁寧に修繕を繰り返し、なるべく長く使用する。買い替えの回数を極力減らすことで、創業から続く味を守り続けている。

管理しやすいホーローや強化プラスチックのタンクに変えるという選択肢もあったが、木は断熱性や保温性が高いため、気温に左右されずに温度を保つことができるため、手入れをしながら何十年と大事に使い続けているのだそう。

製造が追いつかないとはいっても、決して効率などを優先せず、これまで大事に守られてきた製法はそのまま。
そんな、品薄状態が続く玉那覇味噌醤油だけれど、近くの保育園の給食で食べられる味噌は途切れることなく確保している。保育園が行う食育に賛同しているからで、すぐ近くで造られる郷里のものを食べて育ってほしいという想いがあるからだ。
80年ぶりに木桶を新調
そして、実は2026年2月に、80年ぶりに木桶を新調したばかり。国内でも少なくなっている本土の木桶職人により、金属を一切使用せず、スギの木の板と竹釘、そして竹で編まれたタガのみで組み上げられた。100年もつとも言われる、真新しくなった木桶での味噌造りが始まる。
日本が誇る発酵文化、発酵調味料である味噌。全国的にも麹から作る味噌蔵が少なくなり、木桶で仕込む蔵も数えられるくらいになっている。
ずっと変わらない人の手による製造方法、そして、この場所ならではの環境とが織りなすことでできあがる、ここだけの味噌の味。先祖代々大事に紡いできた味を守っていくために、小さな味噌蔵の挑戦は続く。
