鮮やかな朱色で復元された多賀城南門。青空に映えていた=宮城県多賀城市鮮やかな朱色で復元された多賀城南門。青空に映えていた=宮城県多賀城市

「日本三大史跡」と聞かれて、ピンとくる人はなかなかの歴史通といえるかもしれない。答えは、平城宮跡(奈良県)と大宰府跡(福岡県)、多賀城跡(宮城県)の3つの史跡だ。平城京は古都・奈良のシンボル、大宰府は「学問の神様」菅原道真が左遷された地として有名だが、「多賀城跡は…?」という方もいるだろう。そんなイメージだった多賀城跡が昨年来、歴史的な価値も含めて改めて注目されている。

多賀城は724年、大野東人(おおののあずまひと)によって創建された。陸奥国府と、軍事拠点の鎮守府が置かれた。約900メートル四方の敷地に、東北地方全体の政務や儀式を仕切る役所が置かれていた。年代として平城京遷都(710年)とほぼ同じだ。人口は約1200人。直線道路によって整然と区画された街並みは9世紀中ごろから最大となり、古代都市を形成していった。

多賀城は昨年から今年にかけ、2つの慶事に沸いた。ひとつは、歴史的な価値を証明してきた多賀城碑が国宝に指定されたこと。もうひとつは、多賀城の象徴ともいえる南門が復元されたことだ。

石碑は南門近くにある小さなお堂に収められているが、うっかりしていると見逃してしまうほどひっそりと立っていた。

お堂は水戸光圀公が石碑の歴史的な価値を見いだし、風化しないよう建築を進言したと伝えられる。常時施錠され、四方を木製の格子で囲われている。顔をくっつけて中をのぞくが、薄暗くてよく見えない。石碑の上部に「西」の大きな文字だけがやっと確認できた。

国宝の多賀城碑を収めてあるお堂=宮城県多賀城市国宝の多賀城碑を収めてあるお堂=宮城県多賀城市

石碑は高さ196センチ、最大幅92センチの砂岩で、表面はほぼ真西に向いている。

碑面には141字の文字が彫り込まれ、中央上部に「西」の一字がある。

碑文は、京(奈良の平城京)、蝦夷国(えみしのくに、東北地方北半)、常陸国(ひたちのくに、茨城県)、下野国(しもつけのくに)(栃木県)、靺鞨国(まつかつのくに、中国東北部)から多賀城までの距離が記されている。

後半には、多賀城が724年に大野東人によって設置され、762年に藤原恵美朝狩(ふじわらのえみのあさかり)によって改修されたことが記され、最後に石碑の建立年月日が刻まれている。

松尾芭蕉も1689年、旅の途中にこの碑を訪れ、深い感動をもって対面した様子を「おくのほそ道」に残している。

長年、多賀城の発掘事業や研究に携わってきた多賀城市埋蔵文化財調査センターの普及啓発専門員の瀧川ちかこさんは、石碑に各地域への距離が書かれていることに「すべての地域の中心にあるとする『中華思想』を具体的に示したものとも考えられます」と解説する。

また、今年4月に創建1300年を記念して復元・公開された南門は高さ14・5メートルの二重門で、鮮やかな朱色は格式の高さをうかがわせる。門から政庁跡をのぞくと、古代の人々が行き来しているかのような想像をかきたてる。

なぜこれまで注目されなかったのか。瀧川さんは「大宰府は人気スポットの天満宮がありますよね。政庁だけだったら、どれほどの方々が見にきたのかはわかりません」。なかなか説得力のある言葉だ。

多賀城跡の発掘調査は昭和38年に始まり、令和6年に第100次の調査が終わった。「今後、数百年かかるとも言われています」(瀧川さん)。古代ロマンの興味は尽きない。(菊池昭光、写真も)

【アクセス】

■多賀城跡 仙台駅からJR東北本線(仙石東北ライン)で国府多賀城駅(14分)、JR仙石線多賀城駅(22分)。高速道・仙台東部道路仙台港北ICから国道45号(松島・塩釜方面=20分)。見学は年末年始とお盆休みを除く毎日。午前8時半から午後5時まで。時間があれば、江戸の風情を残す塩釜街道を歩くのも楽しい。

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