『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』の著者、牧野友香子さんは生まれつき重度の聴覚障害をもちながら、現在は、ご主人と2人の娘さんと共にアメリカで暮らしています。
登録者数12万人超えのYouTube「デフサポちゃんねる」からも伝わる明るさと行動力で、常に前を向いているように見える牧野さんですが、難病をもった長女を出産した直後は“絶望の淵”にいたと言います。今回は本書より、そのときに感じた辛い苦しみや、そこから救いあげた家族の言葉をご紹介します。
はじめに
私は、生まれた時から耳が聞こえません。補聴器をつけても、人の声はほぼ聞こえません。補聴器を外すと、飛行機の轟音(ごうおん)も聞こえるか、聞こえないかくらい。
会話は手話ではなく、「読唇」といって相手の口の動きを読み取って理解し、自分自身の発音でことばを発する「発話」なんです。
大阪で生まれ育った私は、ろう学校には行かず、幼稚園、小・中学校は地元の学校に。天王寺高校から、神戸大学に進学し、就職先は第1志望のソニー株式会社へ。趣味の合うファンキーな夫と結婚し、めでたく2人の子どもにも恵まれ……と文字で書くと順風満帆なようですが、聞こえない私の人生、そんな順調にいくわけがありません。
一番大変だったのは、長女に難病があったこと。聞こえない中での2歳差の姉妹の育児、仕事をしながらの病院通い。でも、複数回にわたる手術に入院と頑張る長女。そして、どうしても我慢の多くなる、“きょうだい児”の次女のしんどさを思うと、親として弱音を吐いてばかりはいられませんでした。
そんな中で長女が2歳、次女が0歳の時に、難聴児を持った親御さんをサポートする「株式会社デフサポ」を立ち上げ、今では子どもたちを連れて家族で渡米。アメリカで生活をしています。いろいろな意味で“規格外”の私ですが、いいこともそうでないことも含めて、おもしろく読んでいただけたらうれしいです。
『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』「はじめに」より一部抜粋
「育てられないかも」と言った私を支えたことば
長女を産んですぐ見た目でもわかったし、看護師さんとドクターがバタバタした雰囲気で、ちょっと抱っこしたらすぐに別室に連れていかれたので、「あ、この子病気あるな」と感じたんです。
ただ、珍しい病気なので、具体的にどんな病気なのかがなかなかわからなくて。複数の診療科に行って、いろんな診察を受けるための書類に大量にサインをした覚えがあります。入院中なんて、ずーっと携帯で朝から夜中まで「骨が短い」「低身長」「難病」といろんなことばで検索したりして、げっそりして。
正直、出産の喜びなんてなくて、「なんでうちの子なんだろう……」って毎日泣き崩れていました。育てられるのかな、どんな病気なんだろうか、私たちも子どもの未来もどうなるんだろう……というのがずっと頭にありました。
子どもはNICU(新生児集中治療室)に入院していて、私は先に退院し、ボロボロのメンタルでバスと電車を乗り継いで病院まで母乳を届けに行っていたんですよね。ドーナツクッションを持ってバスに乗って、お股も痛いし、体もしんどいし、精神的にも肉体的にもこんなにつらいことって、これまでもこの先もない気がします。
皆が子どものかわいい写真とかをSNSに上げているのを見て、「なんで私ばっかりこんな苦労があるの! 私にはこの子を育てられない、育てたくない!」とさえ思いました。本当はそんなこと思っちゃいけないって、理性ではわかっているんです。でも、心から受け入れられる未来が来るなんて思えなかった。
私自身、耳が聞こえなくても、努力したり工夫したりしながら前向きに楽しく過ごせていたのに、どうして私にばっかりこんな試練があるんだろう……。
周りの人たちは耳も聞こえて、苦労もせずに健康な子どもを産んでいて幸せそう。楽しく子どもを育てる、そんな当たり前の幸せすら、自分のもとにはやって来ないのか……。そして、「我が子を育てたくない」って思うなんて、私は人としてありえないのかも……。
人として、母としてだめな人間なんだ……と、絶望の淵にいました。
次のページ
そんなわたしを救ってくれたのは…
