ベルギー・ブリュッセルの欧州委員会本部前ではためく欧州旗。REUTERS/Yves Herman
トランプ米大統領は4月25日、日本との関税交渉について「合意にとても近づいている」との見方を記者団に語った。同28日にはベッセント米財務長官もテレビ出演した際に「とても実質的な交渉」を進めているとの認識を示した。
日本は関税交渉の「トップバッター」として同16日に初めてアメリカ側と会談した。なぜそうした順番になったかについては、アメリカに対する安全保障面での依存度の高い日本は要求を最も抵抗なく受け入れるだろうとの打算が働いた結果と見る向きが多い。最初の交渉が難航すればその後がつかえるのだから当然だろう。

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しかし、その後に待ち受ける交渉相手は日本のように従順な国ばかりではない。宿敵である中国はもちろん、世界への影響度の観点から欧州連合(EU)への対応も疎(おろそ)かにできない。
実際のところ、経済効果だけを考えれば、交渉の優先順位は日本よりEUの方が高いのではないか。アメリカにとって最大の貿易相手国はいまやEUだ。米商務省の統計から2024年の国・地域別貿易額(輸出総額+輸入総額)を見ると、EUは約9820億ドル、中国は約5840億ドルだった。
同年の貿易収支で見ると、対EU貿易赤字は約2370億ドルと、対中貿易赤字の約2950億ドルより少ないものの、米中間の貿易取引が縮小傾向にあることを踏まえれば、最大の貿易赤字を抱える相手は今後、中国からEUに入れ替わる可能性が高い【図表1】。
【図表1】アメリカの国・地域別貿易収支の推移。下方ほど貿易赤字額が大きい。出所:米商務省資料より筆者作成
トランプ大統領は関税交渉について、猶予期間として設定した(7月上旬まで)90日間の再延長は認めない姿勢を示している。
しかし、そうした短期集中的な交渉相手としてのEUはかなり手強い。トランプ大統領の得意とする二国間交渉で切り抜けることができるとは限らないからだ。
EUと各加盟国の権限を明確にしたリスボン条約(2009年発効)は、EUが単独で立法できる排他的な権限を持つ領域として、五つの分野を厳密かつ限定的に定める。その詳細を整理したのが下の【図表2】だ。
【図表2】EUと加盟国の権限分担。大きく「排他的権限」「共有権限」「補充的権限」に分類される。出所:欧州委員会資料より筆者作成
通商政策や関税同盟は、EUすなわち行政府である欧州委員会の排他的権限に含まれる。したがって、トランプ政権は各加盟国の政府ではなく欧州委員会を相手に交渉しなくてはならない。
アメリカが差し出す安全保障の「傘」について応分の負担を求め、それを通商など経済関係の議論と抱き合わせにして妥協や退歩を迫るやり口がトランプ政権の常套手段だが、欧州委員会にはそれが通用しない。上の【図表2】で見たように、安全保障政策は各加盟国が独占する領域であって、欧州委員会は交渉のカウンターパートになり得ないからだ。
各種報道にも出ている通り、トランプ大統領は日本との交渉翌日にイタリアのメローニ首相と会談し、日本のメディアの中にはその蜜月ぶりを安倍元首相(故人)と同大統領のそれに重ねて報じたところもある。
しかし、トランプ大統領とメローニ首相の間で確認された論点は、国防費の積み増しや米国産の液化天然ガス(LNG)購入などにとどまった。前者の安全保障分野は各加盟国が独占的に権限を有する分野で、後者のエネルギー分野はEUも加盟国も共有権限を持つ。
一方で、関税ないし非関税障壁に関する論点について、トランプ大統領とメローニ首相の会談中に具体的な進展はなかった。すでに述べたように、通商政策や関税同盟はEUが排他的権限を有する分野であり、意思決定者はあくまで欧州委員会となる。
そのようにアメリカにとってEUとの関税交渉は骨の折れる仕事で、筆者としてはこの猶予期間の間に結論にたどり着くのは困難と見ている。交渉が進みそうにないからひとまず相互関税を適用するのか、場合によっては交渉を先送りする判断もあり得るのか、そのあたりは判然としない。

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デジタル赤字への課税を検討
EUに対するトランプ政権の追加関税について現状を整理しておくと、鉄鋼とアルミニウム製品への25%は3月12日に発動済み。自動車および自動車部品への25%のうち前者は4月3日に発動。後者は5月3日に発動予定だ。
また、いわゆる「相互関税」については他国同様の基本税率10%に加え、EUには20%の上乗せ税率が発表されている。現在は90日間の猶予期間で、基本税率の10%のみ発動している。
鉄鋼・アルミニウム製品への関税発動を受け、欧州委員会はアメリカからの輸入品の一部(ナッツ類、オレンジジュース、家禽類、大豆、鋼鉄、アルミニウム製品、タバコなど)に25%関税を課す対抗措置を加盟国に提起したものの、アメリカの動きに応じて90日間停止とした。
一方でアメリカに対して「全ての工業製品について関税を撤廃(ゼロ対ゼロ)」するよう提案。トランプ政権はこの提案を即座に拒否し、米国産の自動車や農産品を受け入れるよう、EU側に譲歩を求めた。EU側はこのまま交渉がまとまらなければ、先述の品目とは異なる追加の報復措置を検討・発表する可能性もあり得る。デジタルサービスへの課税がその候補として検討されている模様だ。
なお、EUは第三国からの経済的威圧を受けた場合に発動できる「反威圧措置(ACI)」の法的枠組みを規則として採択し、2023年末に発効させた。ただし、この規則の運用による対抗措置の発動は一種の最終手段と位置づけられていることから、実際に運用に至ったことはまだ一度もない。具体的な措置としては、関税賦課や輸出入の制限、金融サービスや対内直接投資の制限、資本市場へのアクセス制限などが選択肢となる。
このACIを通じたデジタルサービスへの関税賦課、いわばデジタル赤字へのカウンターパンチは、EUにとって有力な「次の一手」と言えるだろう。

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「アメリカ抜き」の貿易秩序
猶予期間内に妥結できるのか先行きの見通せないアメリカとの関税交渉と並行して、貿易相手の多角化戦略を加速させようとするEUの取り組みは(少なくとも日本では)あまり注目されていない。
欧州委員会が2021年2月に「開かれた持続可能で積極的な貿易戦略」を発表して以降、EUは自由貿易協定(FTA)の締結先を着実に増やしている。2024年12月には南米南部共同市場(メルコスール、アルゼンチンやブラジルなど南米5カ国が加盟する関税同盟)とのFTA締結に最終合意、中国を代替する巨大市場であるインドとは2025年末までの締結を目指している。
また、トランプ政権発足後の関係変化を踏まえて対米依存度の引き下げを急ぐメキシコとも、この1月に従来のグローバル協定を更新(サービス貿易に関するルールなどを付加して現代化)する形でFTAを含む協定交渉を完了したと発表した。
同様に、トランプ政権の関税政策の影響が甚大で、対米貿易の代替経路として利害関係の一致するタイやマレーシアなど東南アジア諸国とのFTA交渉も進んでいる。
さらに、欧州委員会のフォンデアライエン委員長は4月中旬、日本も主導的な役割を担う「環太平洋経済連携に関する包括的・先進的協定(CPTPP)」とのより緊密な協力を検討していることを明かした(イギリスは2024年12月に加盟済み)。EUの同協定加盟も視野に入れた発言とみられる。
トランプ政権による相互関税の発表直後のこの発言は、EUとアジアが歩調を揃えて対米依存度の引き上げに取り組もうとの呼びかけと理解していいだろう。

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中国との貿易関係改善狙う
なお、フォンデアライエン委員長はやはり相互関税発表直後の4月8日、中国の李強首相と電話会談を行っている。
欧州委員会は同日、この電話会談に関する声明を発表。欧州と中国が意思疎通を強化し、「自由、公平、かつ対等な競争条件に基づく強力な貿易体制を支える責任がある」ことを強調した。
この会談には二つの重要な側面がある。一つは、EUにとって中国との接近は対米関税交渉におけるレバレッジ(相対的優位性)として機能すること。もう一つは、ロシア・ウクライナ戦争におけるアメリカとロシア主導の和平プロセスに中国を介入させる土台作りだ。
前者については、EUが対中貿易の回復に舵を切れば、アメリカに強いプレッシャーをかけられることは間違いない。フォンデアライエン委員長の対中スタンスはそもそも「デリスキング(リスク回避)」で「デカップリング(切り離し)」ではないので、貿易面で利害が一致すれば両者の関係修復は急速に進む可能性がある。
後者については、EUは従来から「当事者であるウクライナが和平条件を決定すべき」との立場で一環しており、そのためにロシアを譲歩させる仲介役は中国が適任と考えてきた。そして、中国を動かすために貿易関係修復ないし改善から始める外交戦略は、有効に機能する可能性がある。
このように、米国抜きの貿易秩序を構築する動きがEUを中心に進みつつあることは見落とせない事実だ。
日本の立場としては(軍事的に解消不可能な弱みを有しているがゆえに)何事も対米配慮優先にならざるを得ないのは致し方ないとしても、EU中心の新たな貿易秩序に全く関与せずという立場はさすがに問題だろう。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
