2026
6/24

遥か遠くに見える水平線が美しい高知の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝く。高知市中心部から車を走らせること約30分。太平洋に突き出る横浪半島の付け根、ヤシの木に囲まれた南国の風情が漂う一角に「高知大学 総合研究センター」の海洋生物教育研究施設はある。
建物に足を踏み入れると、まず巨大な魚の標本に目を引かれる。この魚こそ、高知県を代表する日本固有の肉食魚「アカメ」。絶滅が危惧される希少種だが、高知県の四万十川河口域や浦戸湾には、現在も多くのアカメが棲息している。大きいもので2メートル近くにまで育つこの巨大魚の存在は、豊かな海や汽水域の証明とも言われてきた。しかし、今、その豊かさが大きく揺らいでいる。
漁師たちの「昔のように獲れない」「季節がずれてきた」という声は、海の変化が確実に進んでいることを示していた。

目次

海藻が消えつつある海で始まった、静かな危機

「世界平均では100年で0.6度、上昇していますが、高知沿岸はその約2倍のスピードで上がっています」と話すのは、海藻研究の第一人者である高知大学の平岡雅規教授。

高知県は温帯性の海藻の南限付近にあたり、1970〜1980年代の高知沿岸には温帯性の海藻が豊かに生い茂る「藻場(もば)」が広がっていた。藻場は海の森とも呼ばれ、稚魚が隠れ家にしたり、イカが卵を産み付けに来たりする。アワビやサザエ、ウニなどは藻場の海藻を食べて育つ。さらに、それら小魚や甲殻類を捕食する大きな魚たちがやってくる。海の生き物たちを底辺で支える海藻が豊かであることは、海の生態系の豊かさそのものを意味していた。

海水温1度の上昇が、海を劇的に変える

しかし、温暖化の影響で海水温が上昇し、今、その藻場が急速に失われているという。たとえば、アオノリや昆布などの海藻は、冬の冷たい水温で成長する。しかし、生育上限温度を超えてしまうと、光合成や代謝が困難になり細胞構造の維持ができなくなる。水温が上がって生命の危機を感じた海藻は、自分が葉を伸ばして育つ代わりに次世代を残そうと胞子を放出し、体はバラバラになって消えてしまうのだそうだ。

また、近年は熱帯性の海藻が急速に増えた。1970年代にはほとんど見られなかった熱帯種が、80年代、90年代、2000年代と年を追うごとに勢力を広げ、今では高知で最もよく見かける海藻が熱帯種に置きわってしまったという。

その代表的な例として、熱帯性のホンダワラという海藻が挙げられる。もともと生えていた温帯性ホンダワラがほぼ年中繁っていたのに対し、熱帯性は温かい時期しか生えないため、水温の低い時期に藻場を利用していた魚の生活の場が失われた。

そして、沿岸部の環境の変化は、沖合の魚にも影響を及ぼす。沿岸に生えているホンダワラはちぎれて沖に流されることがある。その「流れ藻(ながれも)」に、高知ではブリの稚魚が集まってくる。漁師たちは、「モジャコ」と呼ぶその稚魚たちを獲って養殖に使っている。そのモジャコ漁の時期は春先に限られるのだが、熱帯性のホンダワラ類は夏場にしか流れてこない。将来的にモジャコ漁にも影響が出ることが危惧されている。

さらに言うと、2メートルの長さにも成長する熱帯性のホンダワラだが、食用には向かず、産業利用も進んでいない。

教授は「海藻は食材である前に、海の生態系を支える“基盤”です。海藻が消えれば、魚の回遊ルートも変わり、貝類の生息環境も失われます。さらには漁業そのものに影響を与えます」と言う。

四万十川のアオノリが消えた日

特に衝撃的なのは、県内唯一の海藻産地として知られる四万十川(しまんとがわ)河口で起きた変化だ。高知の食文化を支えてきた海藻は、四万十川河口の川と海水が混じり合う汽水域で育つ、スジアオノリとヒトエグサ(アオサノリ)だった。特にスジアオノリについては、四万十川汽水域は全国一の天然漁場として知られており、1メートル以上に育ったスジアオノリが広がる様は、高知の冬の風物詩だった。

スジアオノリは香りが強く、お好み焼きやたこ焼きに欠かせない高級食材として知られる。ヒトエグサは佃煮や天ぷらとして親しまれてきた。しかし、温暖化による自然環境の変化はこの二つにも打撃を与えた。かつて年間10〜20トン採れていたスジアオノリは、2020年以降、天然ではゼロに。養殖されていたヒトエグサも2021年から採れなくなり、高知で唯一の海藻産業は一度、完全に姿を消した。

高知大学が世界に誇る「陸上養殖」で、海藻産業の復活を目指す

四万十川の海藻が姿を消しはじめた頃、その変化に最初に向き合ったのは高知大学の研究者たちだった。

「このままでは、海藻文化そのものが途絶えてしまう」——そんな危機感が、静かに大学を動かしていった。

状況を変えたのが、陸上養殖の技術だ。高知大学では、高知の持続可能な海藻産業を再構築するため、2004年に高知県室戸市沖合の海洋深層水を使った陸上養殖システムを開発し、スジアオノリの生産に成功する。室戸は日本でも数少ない陸上近くから海洋の深層水を取水できる場所だ。水深320〜374メートルの深さから汲み上げた海洋深層水は、年間を通して約10度と低温で安定しており、冬に採れる海藻だった青のりを一年中育てられる環境をもたらした。

さらに、研究は進み、胞子を一斉に放出させて、集塊化した上で培養、浮遊させることで均一に育てるという特許技術「胞子集塊法」を開発した。それにより絡まりのない高品質な種苗を安定して生産できるようになったことは、世界レベルでみても画期的だった。胞子の生存率が劇的に向上、陸上での大量生産を可能にして、産業化への道を開いたのだ。

スジアオノリの陸上養殖量は、当初は1トンだったが、数年間の内に3トンへと増加。現在は10トンを超え、かつて天然で採れていた量の半分以上が陸上で再生されるまでになった。ヒトエグサ(アオサノリ)の陸上養殖も大型タンクでの生産が始まりつつあり、近い将来、安定供給が可能になる見込みだ。

海藻研究と陸上養殖の最先端地域に

陸上養殖は設備投資が大きく、効率的に育てる技術が不可欠だが、それでも全国20カ所以上の企業が高知大学の技術を導入し、海藻の再生に取り組んでいる。さらに、藻場の再生への応用や、高水温で消失する海藻群落の復活に貢献できる可能性に期待がかかる。

高知の海で起きている変化は、日本全体の縮図でもある。海藻を育てることは、食文化を守るだけでなく、海の生態系を再び息づかせるための挑戦でもある。高知の海藻がたどってきた変化と、その再生に向けた歩みは、モデルケースとしてこれからの日本の海の未来を示すひとつの指標となるだろう。

食からエネルギーまで、海藻がつくる未来──高知から始まる挑戦

2004年に成功した海藻の陸上養殖に始まる研究の積み重ねは、食の領域を超えて新たな可能性を広げている。 高知では今、「しまんと海藻エコイノベーション共創拠点プロジェクト」と呼ばれる大きな取り組みが進んでいるという。行政、企業、研究者、そして地域の人々が連携し、海藻を育て、新たな産業を生み出そうという試みだ。プロジェクトリーダーを平岡教授が務める。

1日で3〜4倍に増える海藻を使った紙や繊維、食用ゼリーの開発、海藻由来の生分解性プラスチック、牛など反芻動物の飼料に微量添加することで牛たちのゲップに含まれるメタン排出を9割減らすカギケノリの研究など、海藻は未来の素材として期待されている。さらに、海藻1トンがCO₂を1トン吸収するという特性から、海藻を育てること自体が地球環境を守る行為にもなる。こうして現在、海藻は、食材であり、資源であり、未来をつくる素材として、世界的に注目を集めている。

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