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【写真で見る】「節ちゃん。遅くなってごめんね」妹の生きた証を平和の礎に刻む姉の思い

■24万人以上の「生きた証」沖縄戦の記憶を刻む平和の礎

節子さんの姉 稲福昌子さん
「あった…節ちゃん。遅くなってごめんね」

今年(2026年)新しく刻銘碑に刻まれた、「漢那節子」の文字。たった一行の名前を抱くように触れ、話しかけるのは姉です。

沖縄県糸満市の平和祈念公園にある「平和の礎」。沖縄戦などで犠牲になった24万2659人の名前が、生きた証として刻まれています。

1945年4月1日に沖縄本島に上陸したアメリカ軍。戦闘に参加したのは延べ54万人もの兵力です。

住民を巻き込んだ数か月の沖縄戦で、日米双方、計20万人以上が犠牲になりました。

公園を管理する平和祈念財団の松川さん。礎の置き方にも意味があると言います。

小川彩佳キャスター
「波のような形に設置されているんですね」

平和祈念財団 松川満 事務局長
「一人ひとりの思いが、この波に乗って全世界に広がっていきますようにと願いが込められている」

組織的な戦闘の終結から81年。刻銘を希望する遺族は、今も少なくありません。今年(2026年)は沖縄県や県外、そして海外から計95人の戦没者が礎に。

■シベリア抑留に飢餓…敗戦で一変した家族の日々

与那原町で夫と暮らしている漢那節子さんの姉、83歳の稲福昌子さん。生まれは、日本がかつて中国東北部に建国した満州です。

両親は沖縄出身で、国家公務員だった父、安昌さんが満州に赴任。そこで昌子さんと妹の節子さんが生まれたのです。

稲福昌子さん
「戦争に負けると同時に父はシベリアに抑留され、負けてしまったので、中国・ロシア(旧ソ連)からの逆襲を受けて、食料品を奪われたり、いろんな生活用品を奪われて」

旧日本軍の謀略に端を発した満州事変によって、1932年満州国は作られました。当時国策により、多くの人が「満蒙開拓団」として日本から送られます。

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