たびたび大津波に襲われてきた岩手県宮古市の田老地区。「万里の長城」と称された巨大な防潮堤がつくられ、住民も誇りとしていた。だが、東日本大震災ではその防潮堤を越える津波が到達した。その後、田老では約1.5倍高い防潮堤の建設、高台移転という2大防災事業が実施され、田老に戻る人も出てきた。あれから15年、田老の人たちにとって、防潮堤とはどういう存在だったのか。また、3・11後の防災対策をどう受け止めているのか。現地の人たちを取材した。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
漁港を囲む高さ14.7メートルの防潮堤
77段の階段を登り、防潮堤の上に立つ。視界に入るのは、小型船が複数停留する田老漁港だ。岩手県沿岸の町、宮古市田老地区(旧田老町)。2月下旬の休日、漁業関係者の影は少なかった。
そんな田老漁港を囲むようにそびえ立つのが、2021年に完成した新しい防潮堤だ。高さ14.7メートル、総延長1.2キロ。およそビルの5階の高さに相当する。
この巨大な防潮堤を近隣の住民は「高いほうがいい」と歓迎している、と近くで食料雑貨店を営む川戸弘治さん(79)は言う。
「もともと田老には『日本一の防潮堤』があったが、東日本大震災の津波はそれを楽々と越えた。それで多くの人がやられた。防潮堤に対して過信があった。だから『新しい防潮堤ができた』で安心とは思っていません」
田老は有史以来繰り返し津波に襲われてきた町だ。慶長16年(1611年)をはじめ、複数の古文書に津波の記録が残る。近代以降も津波に襲われ、明治29年(1896年)では1859人、昭和8年(1933年)では911人と、多くの犠牲者を出してきた。
この多大な被災経験から、田老では昭和8年の津波の翌年から巨大な防潮堤を築いていった。
「防潮堤は私の子どものときにはもうあった。その上をマラソン大会で走ったり、イベントで活用したり。市民にとって田老に防潮堤があるのは当たり前という認識でしたね」
NPO法人・津波太郎の前理事長、大棒秀一さん(74)はそう振り返る。第1防潮堤が完成したのは昭和33年(1958年)のこと。高さ10メートル、全長1.35キロ。断面図にすると山型、上から見ると南北に「く」を裏返したような形だった。
