米国外交の大御所で、ソ連封じ込め政策でも知られるジョージ・F・ケナンの『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)は、20世紀前半のアメリカ外交を検証した古典。他国の事情を顧みずに、法律家的・道徳的原則を押しつければ、戦争や離反を引き起こすことになる。トランプ政権の「ドンロー主義」に世界が振り回されている現在、改めて米国外交に対する現実主義者のまなざしを見てみたい。
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民主主義と平和の逆説
民主主義は平和を好むはずなのに、民主主義の国である米国は戦争の歴史に彩られている。いざ戦争に突入すると、「無条件降伏」を実現するまで戦い続ける。そんな逆説がなぜ生じるのか。米国外交の大御所、ジョージ・F・ケナン(1904~2005年)は『
アメリカ外交50年
』(近藤晋一、飯田藤次、有賀貞訳/岩波現代文庫)で、米外交の秘密を解き明かしている。

『アメリカ外交50年』(ジョージ・F・ケナン著)。画像クリックでAmazonページへ
確かに民主主義は平和を愛する。だが、ひとたび戦争しなければならないほど挑発されると、相手を容易に許そうとはしない。「民主主義は忿怒(ふんぬ)に狂って戦う(Democracy fights in anger.)」。第1次世界大戦や第2次世界大戦に米国が参戦した経緯をみても、この言葉はピタリと当てはまる。
前者はドイツ潜水艦による無差別攻撃による犠牲への怒り、後者は日本軍による真珠湾攻撃による怒りである。それまでは参戦に消極的だった米国の世論は一変し、形相は怒りへと変わった。ひとたび参戦するや「全面勝利をもたらすまで徹底的に戦わねばならない、との何人にも負けぬほど強固な決意」が立ち現れた。
そんなはずじゃなかったのに。ドイツ帝国のウィルヘルム2世、ナチスドイツのヒトラー、軍国日本の指導者からイラクのサダム・フセインまで。米国と戦火を交えた国々の指導者が当惑したのは、こうした米国世論の豹変(ひょうへん)ぶりだったはずだ。
太平洋戦争の終戦80年を迎えた昨年、石破茂前首相は退任直前、本人のライフワークというべき所感を発表した。そこでも軍国日本が太平洋戦争に突入した経緯が反省とともに語られる。なぜ戦争終結のメドも立たないまま開戦したのか、が石破所感の大きな論点である。
だが戦争は相手あっての話である。日本が戦いを挑んだ米国こそ、いったん戦い始めると全面勝利を求めなければやまない国だった。真珠湾攻撃の成功が米世論の怒りに火をつけてしまったことに、日本の失敗の本質があるように思える。
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「法律家的・道徳家的アプローチ」という過誤
「法律家的・道徳家的アプローチ」という過誤
米国は国際問題に「法律家的・道徳家的アプローチ」で臨む、とケナンはいう。それは、ある体系的な法律的規則を設けることによって、「国際社会における各国政府の無秩序でかつ危険な野心を制御することが可能になるという信念」である。
「アングロ・サクソン流の個人主義的法律観念を国際社会に置き換え」ることは、なるほどエレガントではある。ただ、その地域の実情を把握しているかどうか疑わしいのに、余計な口出しをしてくる米国を煙たがる国は多いはずだ。「法律家的・道徳家的アプローチ」をケナンは、米国が「政策樹立にあたって犯した最も重大な過誤」とまでいう。
その根は深い。前回
「ベネズエラ攻撃 「覇権国」の論理を読み解く『アメリカ大統領演説集』」
では「モンロー宣言」を取り上げたが、今回は1899年に国務長官のジョン・ヘイが表明した「門戸開放宣言」をみよう。中国に対する門戸開放、機会均等、領土保全を唱える「門戸開放宣言」は、列強による中国の領土分割に待ったをかけた。戦後の日本の歴史の教科書では、この宣言はおおむね肯定的に記述されている。
米国にとって「門戸開放」の訴えは、崇高な道徳的・法律的原則を極東地域に扶植しようとする宣言だった。だがケナンは米国による抽象的な原則の押しつけが、外国の政治家に「何か、別の動機を隠匿しているのではないかとの猜疑(さいぎ)心」を招いてしまったことを見逃さない。
東アジアにおいて、猜疑心を募らせた国。それは日本だった。「われわれは十年一日のごとく、アジア大陸における他の列強、とりわけ日本の立場に向っていやがらせをした」「多年にわたって、われわれは、われわれが要求していることが、日本の国内問題の見地からみていかに重大な意義を持っているかについて、考慮を払うことを拒んできた」
1905年の日露戦争での勝利。坂の上の雲をつかんだ日本の前に米国が立ちはだかる格好になった。そのときも、「われわれは別段これを気にしなかった」。そして第1次大戦後、「中国大陸での立場の強化は対独参戦の当然の報酬であると考えた日本から、これを剥奪しようとする断乎(だんこ)たる運動の中心的指導者」として、「再びわれわれが出しゃばる」ことになった。
もちろん中国からすれば、米国の助太刀は正義の振る舞いとなる。それは確かだが、日米関係には「長い不幸な物語」が紡がれることになった。そして20世紀前半の米国内に目を向けると、「われわれが幾度も、移民政策や、特定地方における日系ないし一般的に東洋系の人びとに対する処遇によって、神経質な日本人を刺戟(しげき)し怒らせた」。
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助けたはずの中国が対抗者になる逆説
助けたはずの中国が対抗者になる逆説
1931年の満州事変以降、日本の中国への軍事進出が日米間の溝を深め、最終的には1941~45年の日米戦争へと向かっていく。職業外交官、ジョン・V・A・マックマレーは1935年に日米の戦争を予想しつつ、その戦後に現れる世界をこう描いてみせた。ケナンの引用によろう。
「日本に代わってロシア帝国の後継者としてのソヴェト連邦が、東アジア制覇の競争者として……立ち現れるだけであろう。このような戦争におけるわれわれの勝利から利益をうるものは、おそらくロシアの外にないであろう」。これは第2次世界大戦後の東アジアでの冷戦の構図そのものである。
ならば中国は米国の助太刀に感謝し、米国の朋友になるのか。残念ながら否。「かれらはわれわれに対してなんら感謝することもないし、……かえって、かれらは、われわれが引き受けた責任を果たそうとする場合、これに対抗しようと試みるであろう」
事実、国共内戦を経て1949年に成立した中国の共産党政権は、米国に「感謝」するどころか、「対抗しようと試みる」存在となった。そして1950年に始まった朝鮮戦争では毛沢東の人民解放軍が参戦し、米国が主力の国連軍を人海戦術で苦しめることになる。
『アメリカ外交50年』の基になったシカゴ大学でのケナンの講演が行われたのは、朝鮮戦争さなかの1950年冬だったから、米国外交の逆説を語る口調には切実感がある。ドナルド・トランプ大統領の「ドンロー主義」外交に振り回されている今、米国外交の伝統に立ち戻ることを説く論調が多い。だがそこにあったのは何だったのか。ケナンの本をひもとくとよいだろう。
写真/スタジオキャスパー

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