天皇皇后両陛下は、即位後初めて被爆地・広島を訪問し、戦後80年にあたって原爆慰霊碑に花を供えて戦没者を慰霊されました。
昼前に特別機で広島空港に到着した両陛下は、午後3時前に広島市の平和公園を訪ねられました。
被爆地を訪問したのは天皇陛下の即位後初めてで、おふたりは34万人余りの原爆死没者名簿が納められた慰霊碑の前で一礼したあと、花を供えて犠牲者の霊を慰められました。
続いて、公園内に3年前に新たに設けられた被爆遺構の展示施設を視察されました。
天皇陛下は、地中から見つかった原爆の被害の痕跡が残る住宅の基礎部分を見ながらこの近くで多くの命が失われたことなどについて館長から説明を受け、「痛ましい」と話されていました。
このあと両陛下は、平成の時代の終わりごろに展示内容を一新した原爆資料館を訪ねて、去年日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が受賞したノーベル平和賞のメダルと賞状のレプリカなどをご覧になりました。
そして、90代の被爆者3人や、高齢になった本人に代わって被爆体験を伝える活動をしている20代と30代の「伝承者」と懇談されました。
天皇陛下は、高等女学校1年生の時に被爆した広島市の笠岡貞江さん(92)に「被爆された時はどちらに」とか「お体に気をつけて」などとことばをかけられました。
また、皇后さまは、笠岡さんの体験や平和への思いを語り継ぐ「伝承者」を務めている安芸高田市の大河原こころさん(35)に、「伝承活動で一番お伝えになりたいことは」などと尋ねられました。
さらに、高等女学校3年生の時に動員先の工場で被爆した広島市の梶本淑子さん(94)が、「戦争のない世の中になってほしい。両陛下も原爆の悲惨さを伝えてほしいと思います」と話すと、両陛下は、「大変なご苦労をなさいましたね」とか「お体を大切に」などとことばをかけられていました。
【広島空港の様子】
広島空港のターミナルビルの前には多くの人が集まり、天皇皇后両陛下を乗せた車列が通ると小旗を振るなどして歓迎し、両陛下も車の中から笑顔で手を振って応えられていました。
東広島市の60代の女性は「素敵でした。原爆資料館では寄付されている遺品など犠牲者が生きていた命の証を見てもらえたらと思いますし、世界各地で紛争や戦争が起きている今こそ被爆者の方たちの話は大事だと思います」と話していました。
廿日市市の60代の女性は「広島には皇太子時代にも来られていたと思いますが、陛下になられて雅子さまも来られたということで感激しています。高齢化で語り継ぐ方たちがいなくなっている中で両陛下に来ていただくことは外国の方にもインパクトがあると思います」と話していました。
三原市の50代の夫婦は「一生に一度しかないと思って早起きして来ました。原爆資料館ではいろいろなことを感じ取ってもらいたいと思いますし、広島市内の今の発展も見てもらいたいです」と話していました。
【平和公園周辺の様子】
原爆資料館や原爆慰霊碑がある広島市中区の平和公園の周辺では、多くの人が集まり、両陛下を乗せた車列を迎えていました。
被爆者の87歳の男性は、「原爆資料館の視察や被爆者との懇談を通じて、生死の境をさまよった被爆者の気持ちや原爆で亡くなった人たちのことを改めて心にとめていただき、平和を願っていただきたい」と話していました。
山口県から訪れた80歳の女性は、「上皇ご夫妻も戦後50年に広島を訪問していて、皇室の方々が平和への思いを受け継いでくださっているのはありがたいと思います。今回の広島訪問でも、平和を広く呼びかけていただきたいです」と話していました。
【天皇陛下と被爆地】
戦後生まれの天皇陛下は、上皇ご夫妻の思いを受け継ぎながら、被爆者や被爆地に心を寄せられてきました。
天皇陛下は、上皇さまが「忘れてはならない4つの日」に挙げられた8月6日の広島原爆の日と8月9日の長崎原爆の日には、幼い頃から毎年ご家族で黙とうを捧げ、今も皇后さまと長女の愛子さまとともに続けられています。
初めて被爆地を訪問したのは、昭和52年、17歳の時に訪れた長崎で、昭和56年、学習院大学4年生の時には初めて広島を訪ねられました。
その後、公務で、広島市を7回、長崎市を4回訪問して、犠牲者の慰霊を重ねられてきました。
令和2年に行われた天皇として初めての記者会見では、原爆投下から75年を前に、「被爆者の方々も高齢化が進んでおりますし、本当に皆さん大変な思いをされたということ、今御存命の方々も本当に大変な思いをされているということは私もよく承知しております。その上で、やはり世界の平和というものを心から望む立場として、今後とも、広島、そして長崎についても心を寄せていきたいと思っておりますし、また、広島、長崎を訪れる機会があればと思っております」と述べられました。
また、翌年の記者会見では、「節目の年を迎え、戦争の悲惨さと平和の尊さを今後とも心に刻んでおかなければならないとの思いを新たにいたしました。また、先の大戦で世界で唯一の被爆地となった広島、長崎には永く心を寄せていきたいと思います」と語られました。
