両備グループ代表 小嶋光信さん 79 三井銀行に入った時、私は小生意気にも「日本の産業がどうなっているのか知りたい。大企業には興味はない。中小企業が勉強できるところに配属してほしい」なんてことを人事に言った。それで、中小企業の多い神田支店に配属された。

近畿マンション発売3割増…大阪府郊外、ファミリー向け物件人気

 最初の担当は出納係。札勘定などをする係で、その後は普通預金や当座預金の口座に関する業務などを担当した。どういう企業があって、どれくらいの頻度でお金が入ったり出ていったりするのかを学んだ。三井銀行の同僚と記念撮影する小嶋さん(提供写真)三井銀行の同僚と記念撮影する小嶋さん(提供写真) 当時は企業などにお金を貸す貸付係が花形だった。私はそこに早く行きたかった。おおむね、10年くらいキャリアを積んだ人が多かったけれど、一生懸命勉強したらなんと2年目で配転された。行内で制度改革が進行中で、若者にやらせてみようというテストケースだった。

 この時、「業績の悪いところを中心に勉強したい」と、また余計なことを言ってしまった。そうしたら、鉄鋼や出版、衣料などの業種が私の担当になった。どれも、当時は経営環境が厳しい業種ばかりだった。当時を振り返る小嶋さん(岡山市北区で)当時を振り返る小嶋さん(岡山市北区で)
 取引先を片っ端から回った。いろんな仕事の現場に立ち会えて面白かった。ある出版社では、労使紛争の現場を見た。社長に
罵詈(ばり)
雑言を浴びせたり、閉じ込めてトイレに行かせなかったり。あれはひどかった。社内に実情を話すと社員が驚いて組合離れにつながり、紛争は収まった。企業というのは、労使の関係も大事なんだと学んだ。
◎ そんな感じで、意気揚々と仕事をしていたある土曜日のこと。昼に社員食堂でカレーを食べようとしたら、テレビニュースで名古屋の問屋が倒産したと流れた。融資先ではないが、記憶にある名前だった。昼食を切り上げて席へ戻って資料をめくると、倒産したのは、融資を担当している衣料品会社の仕入れ先だった。 めくっていた資料は、お客さんから預かった手形を担保とした融資先のリスト。ここで気づいた。なぜ手形があるんだ。売掛先なら手形があるのはわかる。しかし、仕入れ先にはお金を払うわけだから、手形があるのはおかしい。実際には取引していないのに、資金繰りに困って出し合った融通手形だ。ここも危ない。 センスのいい背広を作る伸び盛りの会社で、私も力を入れている会社だった。すぐに向かうと、すでにたくさんの人が群がって取り付け騒ぎが起こっていた。残っていたのは電球玉ぐらいで、がっくりして上司に報告した。 「若いんだから仕方ない。融通手形なんて、なかなかわからない」。うわさは支店内に広まったものの、温かく接してくれた。ところが1人だけ、私の横を通りながら振り向きもせず、「小嶋ももう、おしめえだなあ」と言った。 びっくりした。焦げ付きを作ったらおしまいなのか。これは大変なことをしてしまった。すぐに、その会社の取引先や入出金をすべて調べあげた。 都内の百貨店に背広を納めていることがわかった。それから衣料品会社の社長を必死に捜して「大切な取引先からお預かりしているお金だから回収しなければいけない」と説得し、証書に判をついてもらった。何とか現物を回収できることになって自分でトラックを運転して百貨店へ行き、商品を積み込んで神田支店へ。さらにトラックで千葉の百貨店まで運んで買い取ってもらい、全額回収して事なきを得た。経営の怖さを肌で感じた出来事だった。◎ その後、希望の三田支店に転勤し、1972年、27歳の時に結婚した。義父は両備バスの松田基社長。年齢は親子ほど違うものの、実は津山市出身の母の姉の長男で、いとこにあたる。母と岡山に行った時によく会っていて、銀行に入ってからは、会社経営について話すことも多かった。「両備運輸という会社が大赤字でどうにもならん。帰ってこい」と言われ、後ろ髪をひかれたが銀行を辞めて常務として岡山に移った。