「公害の原点」とされる水俣病の遺構や資料を後世に残そうと、熊本県水俣市で民間団体が取り組みを続けている。今月1日で公式確認から68年が過ぎたものの、今なお救済を求める訴訟が続く。公害に関連する遺産は「負の遺産」として撤去される例や所有権を巡る課題もあるが、関係者は「水俣病を現在の問題として見つめるきっかけにしたい」と保存を願っている。(石原圭介)百間排水口(写真奥)について、山下さん(中央)から説明を受ける参加者たち(4月28日、熊本県水俣市で)=石原圭介撮影百間排水口(写真奥)について、山下さん(中央)から説明を受ける参加者たち(4月28日、熊本県水俣市で)=石原圭介撮影
 「ここには、メチル水銀の汚染水が流れていたんです」。4月下旬、原因企業チッソの元従業員、山下善寛さん(83)が金網の向こうを指さすと、県内外から参加した約10人がじっと見つめていた。その先には、チッソが有害な工業廃水を流した「
百間(ひゃっけん)
排水口」がある。

 水俣病の遺構を巡る取り組みで、企画したのは昨年7月に結成した「水俣の歴史的遺構(跡)を残す会」。会の発足は、百間排水口の
樋門(ひもん)
の撤去計画が浮上したことがきっかけだった。
 百間排水口では、1932年から、政府が水俣病を公害と認定した68年まで、30年以上にわたって工業廃水が流された。数十年前から市が管理し、現地の案内板で「水俣病の原点」と紹介されてきた。 ただ、老朽化が進み、市は安全面から撤去する計画を公表。被害者や支援者らは会を結成し、市に保存を訴えた。最終的に県が間に入り、樋門を複製して、現地に設置することになった。 1 2 3

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