この宇宙は約138億年前のビッグバンによって誕生して以来、現在に至るまで膨張を続けていることが知られています。この宇宙の膨張する速度を示す重要な指標が「ハッブル定数」です。

これまでの研究によれば、宇宙誕生から間もない頃の光であるCMB(宇宙マイクロ波背景放射)を観測して導き出された初期宇宙のハッブル定数は、約67〜68km/s/Mpcと推定されています。一方で、超新星爆発などを用いて現在の近傍宇宙を観測して直接導き出された値は約73km/s/Mpcとなっており、両者の間には明らかなズレが存在しています。

この食い違いは「ハッブルテンション(ハッブル定数の緊張)」と呼ばれていて、測定手法の誤差なのか、あるいは私たちの知らない物理法則が存在するのか、現代宇宙論における最大の謎の一つとなっています。

そんななか、近傍宇宙のなかでも私たちの住む天の川銀河により近い領域である「局所宇宙」の膨張速度が、これまで推定されていたよりも遅い可能性を示す研究成果が発表されました。Astronomy & Astrophysics誌に掲載された2つの論文によれば、新しい手法で測定された局所宇宙の膨張速度は、初期宇宙の観測から得られた値とよく一致しているといいます。

銀河群に属する銀河の速度と距離の関係。重力と宇宙膨張の均衡によってハッブル定数が制約されることを示している(Credit: AIP/ D. Benisty / J. Fohlmeister)【▲ 銀河群に属する銀河の速度と距離の関係。重力と宇宙膨張の均衡によってハッブル定数が制約されることを示している(Credit: AIP/ D. Benisty / J. Fohlmeister)】銀河群における銀河の動きを利用した新手法

今回の研究に研究者が参加したAIP(ライプニッツ天体物理学研究所)によると、研究チームは従来の超新星爆発を用いる手法とは異なり、膨張する宇宙のなかに存在する「銀河群の動き」に着目しました。

数個から数十個ほどの銀河の集団である銀河群の内部やその周辺では、銀河同士が重力で引き付け合う力と、宇宙の膨張によって引き離される力が同時に働いています。この相反する力のせめぎ合いを詳しく調べることで、従来の超新星爆発などに依存することなく、局所的な宇宙の膨張速度(ハッブル定数)を独立して求めることができるのです。

近傍の矮小銀河の動きをマッピングするために、研究チームは「TRGB(赤色巨星分枝先端)」と呼ばれる指標を用いた高精度な距離測定データを利用しました。

TRGBとは、比較的軽い恒星が年老いた頃に到達する段階のひとつで、内部に蓄積されたヘリウムが急激な核融合反応(ヘリウムフラッシュ)を起こし、最も明るく輝く時期を指します。このときの本来の明るさはどれもほぼ一定とされており、様々な銀河までの距離を正確に測るための強力な物差しとして利用できるのです。研究チームは観測されたTRGBまでの正確な距離と銀河の動きをもとに、重力と宇宙膨張のバランスを精密に分析することで、銀河群の質量とハッブル定数を同時に算出しました。

ちなみに、TRGBに着目したハッブル定数の測定は今回が初めての試みではありません。過去には、TRGBを利用して超新星の明るさをより正確に見積もることで、ハッブルテンションをわずかに和らげる値(約69.8km/s/Mpc)が導き出されたこともありました。今回の研究は、こうした先行研究による高精度な距離測定データを土台としつつ、超新星に依存しない力学的なアプローチへと昇華させたものといえます。

算出されたハッブル定数は「約64」近傍宇宙の銀河群を示した図。今回の研究ではM81の銀河群とケンタウルス座Aの銀河群に焦点を当てた(Credit: AIP/ D. Benisty / J. Fohlmeister)近傍宇宙の銀河群を示した図。今回の研究ではM81の銀河群とケンタウルス座Aの銀河群に焦点を当てた(Credit: AIP/ D. Benisty / J. Fohlmeister)【▲ 近傍宇宙の銀河群を示した図。今回の研究ではM81の銀河群とケンタウルス座Aの銀河群に焦点を当てた(Credit: AIP/ D. Benisty / J. Fohlmeister)】

論文によれば、研究の対象となったのは、おおぐま座にあるM81およびM82を中心とする銀河群と、ケンタウルス座のケンタウルス座Aおよびうみへび座のM83を中心とする銀河群の2つです。

分析の結果、これらのグループ周辺の局所宇宙におけるハッブル定数は約64km/s/Mpcであると算出されました。この値は現在の近傍宇宙における標準的な測定値(約73km/s/Mpc)よりも低く、初期宇宙の測定値に非常に近いものです。研究チームは、ハッブルテンションが生じている理由の一部は、私たちがハッブル定数を推定するために選択した観測手法や局所的な環境に起因している可能性があると示唆しています。

また、副次的な成果として、これらの銀河群の力学的な動きを説明する上で、過去のシミュレーションで想定されていたほどの大量のダークマター(暗黒物質)を必要としない可能性も同時に示されました。

今後の展望として、研究チームはこの新しい力学的なアプローチをさらに広範囲の宇宙に適用する予定です。今回の成果は、ハッブルテンションという難問の解決や、宇宙に存在するダークマターの正確な量の解明に繋がると期待されています。

 

文/ソラノサキ 編集/sorae編集部

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