世界の日本画へ! 立ち上がった若者たちは美しかった
近世以降、京都では四条円山派のような有力な画派があり、徒弟制度によって日本画の伝統が守られてきた。しかし、戦後、急速な欧米化、近代化の波があらゆる文化に影響を与えるなかで、日本画も例外なく、新しい時代の波に向き合い、先陣を切って来るべき時代にふさわしい表現を模索することになった。「日本画アヴァンギャルド」の時代だ。
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この展覧会「⽇本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970」では、1940年から70年に京都で決起された3つの前衛運動を紹介する。「これが日本画?」と驚きの作品の数々は、若き画家たちが新時代を目指し、自らが立つ「日本画」という枠を粉砕せんと果敢に体当たりしたことの証人だ。
会場の京都市京セラ美術館の東山キューブは現代アートのための展示空間だが、ここに半世紀以上前の日本画の「前衛」の作品が並ぶ光景からは、どんな時代であっても、アーティストたちはその時代の価値観と既存の表現に対して情熱的に行動し、向かってきたということが伝わる。
前衛の動きの最初は、1948年に立ち上げられた団体「創造美術」だった。日本は敗戦国として旧時代の文化や封建的な価値観の見直しを迫られ、画壇のなかからも古いシステムや絵のスタイルへの批判の声があがった。「日本画滅亡論」という言葉まで飛び出すなか、若い画家たちは「世界」に目を向けていた。
創造美術の綱領には「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」とある。若い彼らが学んだ欧米の絵画のなかには、シュルレアリスムやモダンアートもあった。「世界のなかの日本」を強く意識し、日本画にモダンな風を吹き込んだ。
作風だけでなく、画家の活動のあり方も画期的だった。それ以前、日本画家は画塾、画派や、日展などの組織に属して活躍することが常だったが、「創造美術」はそうしたグループから距離を置いた。当時、読売新聞の記者だった井上靖は「若い野心的な芸術家たちの新団体結成の奮は、見ていて美しかった」と記している。
