「 夢中になってやることが楽しかった 」

沖縄のおばぁは、元気だ。貧しさも、戦争も世替わりもくぐり抜けて達者でいる。元気なおばぁたちにあやかって、週刊レキオは創刊40周年の節目に「おばぁが笑ってV」を復活。今回登場するのは、県かりゆし長寿大学校最高年齢の“女子大生”、安里貞子さん。「貧しくて高校に行けなかった。勉強したかった」と、念願の学びを成就してこの2月26日、めでたく卒業する。

貞子さんは昨年4月、県かりゆし長寿大学校生活環境学科の第33期生として入学した。同期生150人中、最高年齢の88歳。入学式で、新入生代表として最高年齢の男性と共に「誓いの言葉」を高らかに読み上げた。

那覇市首里の県総合福祉センターにある同大学校は、60歳以上が1年間3学科で、教養・専門のカリキュラムと、クラブ活動を学ぶ。貞子さんは登校日の毎週火曜、出身地の北中城村から娘三姉妹の送迎で通学した。「書道クラブで夢中になってやることが見つかった、友達もいっぱいできた」と、努力家の貞子さん。ほぼ皆勤賞で卒業する。

小学校卒業の答辞

貞子さんは1936(昭和11)年、フィリピンで生まれた。戦前、貞子さんの父、新垣仁輔さんは家族と一緒に北中城村熱田から出稼ぎでフィリピンへ渡り、ミンダナオ島でマニラ麻の生産工場を起こした。「フィリピンのバヤバス日本人小学校に通いました。ミンダナオ島は果物が豊富でいい所でした」。幼い日の鮮やかな思い出を笑顔で語る貞子さん。

太平洋戦争の終戦で強制送還となり、46年ごろ福岡県博多港にたどり着いた。「父ときょうだいが福岡県の靴製造会社に勤めたので、私は福岡県の住吉小学校に2年間通いました」。終戦後の混乱期、9歳ほどの女子児童の記憶は明瞭で、賢さがうかがえる。

北中城中学校卒業記念写真。前列左端が貞子さん北中城中学校卒業記念写真。前列左端が貞子さん

北中城村熱田に引き揚げ後、北中城小学校へ2年遅れで入学する。

「小学校の卒業式に代表で、先生が書いた答辞を読みました」。貞子さんはこの時、初めて答辞を読んだ。さらに中学卒業式でも成績優秀で代表表彰と続いた。「親に高校に行きたいと言ったけど、貧しい家庭だったから家の手伝いをしなさいと言われました。同級生は皆、高校へ行きました」

学びの夢かなえる

「中学の担任も貞子さんは高校に行かさねばならないと、親に頼みに来たけど、駄目でした」。中学校卒業後、貞子さんはアメリカ人家庭のハウスメイドや、米兵の作業服の洗濯をした。那覇に出て、マチヤグヮーの住み込みで働いて、親元へ給料を郵便で送金した。「店の前を通学していく小学生がうらやましかった」と、抑え難い学びの気持ちであった貞子さん。20歳の頃、隣近所の顔見知りであった安里英保さんと結婚した。5人の子どもを育てながら、米、芋、野菜などを作る畑仕事をして、ママさんバレーボールなどに参加した。子育てはとっくに卒業した。

書道クラブ員が師事する、龍賓沖縄書道会師範の大田春翠(安子)さん(左から3人目)。学習発表会を控えて完成した作品に落款印を押す。書道クラブ員(左から)棚原睦子さん、安里貞子さん、東江アヤさん(右端)
書道クラブ員が師事する、龍賓沖縄書道会師範の大田春翠(安子)さん(左から3人目)。学習発表会を控えて完成した作品に落款印を押す。書道クラブ員(左から)棚原睦子さん、安里貞子さん、東江アヤさん(右端)

同大学校入学のきっかけは、体操指導者で大学校卒業生からの勧めと、「お母さんは仕事ばかりやってきたから」という長女のアドバイスだった。生活環境学科の入学が決まり、入学式の前日、「これから大学校に学びにいきます」と、両親の墓前で報告した。長女いわく「母は学びたかった人。この1年、大学校の迎えの車中で、講座内容や学科の皆さんのこと、楽しそうに話しています」

1年を振り返って貞子さんからのメッセージ。「あっという間の1年でした。先生方、事務局の方に感謝します。生活環境学科の仲間にお礼を言いたい。来期入学生も年齢に負けないでできるだけ頑張ってほしい」

(伊芸久子)

 あさと・さだこ 1936(昭和11)年12月6日、フィリピン生まれ。終戦で福岡県博多港に帰還し、福岡県住吉小学校2年生まで通う。46年ごろ家族で沖縄に引き揚げ、北中城村熱田にユイマールで建てられた茅葺屋で家族6人暮らした。20歳で結婚。子ども5人、孫13人、ひ孫6人。

学生募集中

令和8年度(第34期)沖縄県かりゆし長寿大学校

募集受付期間:~令和8年2月27日(金)
問い合わせ先:TEL 098-887-1344

(2026年2月12日付 週刊レキオ掲載)