24年12月、サンフレッチェ広島レジェンドマッチで教え子の日本代表森保一監督(左)と歓談
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 サッカーの日本代表は、今年6月11日に開幕するW杯に8大会連続で出場する。米国、カナダ、メキシコの共催で48カ国が出場。アジア予選で圧倒的な強さを見せた日本代表が、本大会で目標の「ベスト8以上」に行けるか注目している。

 森保一監督が日本代表を率いているのを見ると感慨深いものがある。マツダにスカウトする時のことだ。運動量と視野の広さはあったが、技術やフィジカルに際立ったものがなく、足も速くなかったので、評価は高くなかった。だが、話をした時、相手の目を見ながらしっかり聞き、サッカーに懸ける情熱もあって「ただ者ではない」と感じさせられた。東洋工業の練習に呼んだ時、面接したコーチの高田豊治(元Jヴィレッジ副社長)に「どうかチャンスを下さい」と深々と頭を下げたという。高校3年生でここまでしっかり自分の目標を持っている選手は見たことがなかった。

 報告を聞いた私は、彼のようにひたむきにサッカーに取り組む選手が頑張れば、日本のサッカー界が変わると思った。入社した頃から「将来、いい指導者になる」と思ったが、まさか日本代表を率いるとは想像もしなかった。W杯でも、森保らしく戦ってほしいと願っている。
 ハンス・オフトとの出会いも私の人生を変えた。お互いに何でも話し、オフトは生い立ちについても「先祖は南米出身で、子供の頃、オランダで差別を受けた経験がある」と明かした。そして「スポーツに差別はない。だからサッカーの指導者を志した」と言っていた。私は4歳の時に広島で被爆し、左足のやけど痕がケロイドとなり、コンプレックスになっていた。子供の頃、いじめられたこともあるが、私もサッカーで救われた。オフトは私と出会って良かったと言っていたが、私も同じ思いだ。オフトは「日本もいずれはサッカーが盛んになる」と言っていたが、その通りになった。

 私は1月に85歳になった。悠々自適で、サンフレッチェ広島の試合をEピースウイングスタジアムで見たり、日本代表の試合をテレビで見るのを楽しみにしている。昨年11月には、母校の東京教育大学の流れをくむ筑波大学が関東大学リーグで優勝。私はその試合を筑波大学グラウンドで観戦していたので、優勝した時だけ歌う「桐の葉」を選手やOBと一緒に初めて肩を組んで歌うことができた。高校1年生の終わりからサッカーを始め、やけど痕の影響で左足でボールが蹴れなかったが、日本代表にもなった。現役引退後は、小、中学生にサッカーを教え、子供たちの笑顔を見ることにやりがいを感じた。サッカーの普及発展に貢献できたと思うし、サッカーをやったからこそのいい人生だった。

 私の世代の選手がどうサッカーと関わったか、被爆経験のある選手の苦悩、風間八宏、森保ら素晴らしい選手に出会えたことなど、ぜひ書き残しておきたい。記憶が薄れていることもあるが、妻の美代と3人の子供たちに感謝しながら、私のサッカー人生を振り返りたい。

 ◇今西 和男(いまにし・かずお)1941年(昭16)1月12日生まれ、広島市出身の85歳。広島市立舟入高から東京教育大(現筑波大)を経て東洋工業(マツダ)入り。俊足とハードタックルが武器のDFとして活躍。日本リーグ42試合、日本代表11試合出場。引退後はマツダの監督、総監督を務め、日本初のGMと言われた。サンフレッチェ広島の設立に尽力、日本サッカー協会強化委員、FC岐阜社長などを歴任。